強き政体にも永遠なし
将来の社会予測
本著の世界は第二次世界大戦前後の政府や社会をモデルにしているという見方もあれば、未来の政府・社会の姿を描いているという見方もできる。そこで、本著を「未来予測書」と捉えた場合いくつかの論点がどう整理できるかを見ていく。
国家権力強大化か弱体化か
国家権力が強まるか弱まるかという観点では、本著は紛れも無く強まるという描写をしている。国権強化は、現代においてはそうマイナーな考えでもない。むしろ国権弱体化を予測するほうが珍しい。利他的な理念を有した非営利の第三勢力が台頭しない限り、国家が弱体することは考えにくいということだろうか。
本著で描かれる世界において第三勢力が台頭することは不可能に近い。思想/精神面における統制・従属が徹底的に試みられる世界では、<ビック・ブラザー>とは異なる理念・価値観をもつ人が登場することすら困難だと思われるからだ。また、同様の統制により利他的な人間に育たぬよう「教育」されている。全ては「利<ビック・ブラザー>」にあるべきで、それ以外のもののために動くことができない。本著で描かれているレベルまで教育されてしまえば、そもそも利他的思想を持った人物も生まれないだろう。生まれたところで組織化するまえに洗脳されるのがオチだ。
正と善の価値観
本著の世界では、「正しいこと」も「善いこと」も全て<ビック・ブラザー>が決める。個々人の良心などは存在せず、ただ<ビック・ブラザー>の価値観に従いさえすればよいという考えだ。そのため、ひとりひとりの個性は重視されない。<ビック・ブラザー>からすれば組織が不老不死の為政者として永遠に機能し続けさえすればよいのだ。1人の人は組織のなかの、取り替え可能な1パーツにすぎない。
具体的に「正・善」の価値観を決めている存在は、主人公たち真理省に改変の指示を出している者だと思われるが、その者は本著において正体を現さないためそれが誰なのかはわからない。特筆すべきは、日常的に事実の改変に携わる真理省の人々がその仕事に違和感を感じる様子が見られないということだ。我々の感覚だと、公式資料の改変やねつ造は罪に問われるため内部の誰かが告発し、世の白日の下に晒されるのがオチだ。だが、<ビック・ブラザー>に良い感情を持たない主人公でさえも、仕事が一番楽しいというほどこの職務に熱心に取り組んでいる。この社会の人間にとって唯一頭を使うことが許される至福の時間だから、その頭を使う内容については深く気に留めないということなのだろうか。正も善も自分の良心などを働かせて考える必要がないのだから、それこそ公務員ポジションの人々は目前の仕事をマニュアル通りにこなすことにしか頭が働かないのかもしれない。
そう考えると、<ビック・ブラザー>の各省で働く人々(愛情省をのぞく)の姿は現代公務員の風刺と捉えることもできる。国民・地域住民にとって本当に「善い」政策が何なのかを考えず、とにかく現状を維持することと予算を使い切ることばかりに腐心する。そんな大多数の「国家の駒」的な公務員像がここに描かれているのではなかろうか。
経済成長の限界と戦争
経済成長に関する問題としては主に「人口増加率よりも生産能力効率化の方が勝り、供給過多になる可能性がある」ということと「物質的豊かさがある程度のレベルまで達したら、それ以上モノが増えても満足感が得られない」ということが挙げられる。これらを解決する手法として、本著では戦争を挙げている。戦時中、戦場となったヨーロッパでは需要過多となり経済が疲弊したという歴史を逆手に取り、供給過多を解消するのに利用しようというわけだ。確かに、短期間で多くの消費が行える戦争があれば、需給のサイクルを伸ばしながら回していける。むろん、生産地が攻撃を受けなければ、という条件付きではあるが。
とはいえ、国の生産力より戦争の消費力の方が高いことは容易に想像がつく。永続的に戦争を繰り返していたら、一般人の生活レベルは下がり貧しくなってしまうだろう。だが、<ビック・ブラザー>はその性質をも利用する。実際に生産力向上の成果が還元されていなくても「今は"過去"より状況が良くなったのだ」という刷り込みを行い、貧しいなりに豊かになってきていると民衆に思い込ませることで『物質的豊かさ』が頭打ちになることを防いでいるのだ。
また、衣食住を戦時体制のように配給制にし、満足に与えないことは充分な思考の成熟を妨げる効果も期待される。古代ギリシャの時代から、哲学者のように思索をめぐらせることは、衣食住に困らず余暇を有する人のみが楽しむものであった。余計なことを考えさせず、従順な人々の育成にも一役買っているというわけだ。
さらに、戦争などによって生じる対立構造は、人々の不満のはけ口の役割をも担う。戦勝したときのお祭り騒ぎや<二分間嫌悪>における政敵への攻撃、政治犯罪者の見せしめの殺害などなど。
このように、本著において戦争は「供給過多・物質的豊かさの限界到達・民衆の不満爆発」を解決する一挙三得のツールとして考えられている。あえて物質的貧しさを強いることで求心力を保つというやり方をしている国は、今でいうと北朝鮮であろうか。現代でも少数の独裁国家では、有用な手段として用いられる考え方ということだ。
格差の問題
本著の世界は格差が明確に存在し、かつ上位層がそれを自覚し容認している。その割には格差に大きくスポットが当たっていないような印象を受ける。
「格差」には党中枢ー党外郭ープロールといった身分格差に加え世代間の認識の格差なども考えられる。党内部では、上層部に近づくほど物質的豊かさが得られることがいくつかの部分(オブライエンがワインを持っているなど)から読み取れる。しかしそれに対する主人公たちの反応は薄い。そこが物語の本質ではないといえばそれまでだが、『あの本』にも書かれているように中間層が上部層に反旗を翻すというのが歴史上よくみられるパターンである。ならば、中間層たる主人公たちが上位層に接した時、もう少しマイナスの反応を見せるのが普通であるような気もする。
また、世代間認識の格差もあまり見受けられない。主人公とヒロインのジュリアは一回り近く年が離れているようだが、2人の思想の差は年の差というより各人の性格の差として描かれている。それはおそらく、「未来の社会構造も今と変わらない(よくも悪くもならない)」という共通認識がこの時代の人々の間にあるからではなかろうか。今の人々のライフスタイルが将来もずっと続き悪化しないとわかっているのであれば、若者の為政者(年長者)への反逆といったことは起こりえないだろう。
数少ない世代間格差は、純粋な子どもの密告による恐怖心拡大という部分に見られる。大人になってから<ビック・ブラザー>の支配下に置かれた労働者世代と、生まれた時から<ビック・ブラザー>の教育を受けている子どもたちは、政体への忠誠心が違う。むしろ世代が下れば下るほど、政体崇拝が進み反社会的人物をーたとえそれが自分の親であってもー思想警察に引き渡す傾向が強まっていく。つまり、若者が為政者に反逆するというより、若者が為政者を支持し、それによって年長者をも弾劾するといった構図が生じている。
制度崩壊の可能性
党関係者の格差がこのような状態であるからこそ、主人公はプロールに光明を見いだしたのかもしれない。確かに、ここまで見てきた様子だと党内部から崩壊するのは難しそうだ。だが、技術的にも知識量的にも生活レベル的にも格差が大きい党とプロールで対立が起ることも考えにくい。党とプロールが互いに「好き・嫌い」以前に無関心である以上、反逆を企むプロールはほとんど現れなさそうだ。
<ビック・ブラザー>的な組織が崩壊するシナリオとして最も有力なのは、完全な外部圧力…すなわち他国による軍事制圧ではなかろうか。実際に、本著の末尾にはそれを匂わせる記述がある。オセアニア本土まで敵が侵入してきたかもしれない、と主人公が考えている時に戦勝のニュースが流れるというシーンがそれだ。これまで本著を読んできた読者は、大々的に流される情報が<ビック・ブラザー>に都合のいいものだけに改変されていることを知っている。そのため、この時本当は本土まで敵が侵入してきており、近いうちにオセアニアの政体が崩壊することが予感させられる。
ポスト<ビック・ブラザー>
崩壊の予兆を感じさせる締めがあったので、<ビック・ブラザー>的体制が無くなった後の社会がどうなるかも予測したい。もし征服国が民主主義国家であれば、思想警察などが有していた情報を元に「過去」を正確に復元し恣意的に改変されていない歴史を公表するだろう。だが、一種のトランス状態におかれていたオセアニアの民衆の精神状態を革命前に戻すことは短くない時間を要するに違いない。
そんななか、軍事制圧前後も暮らし向きが大きく変わらないのがプロールだ。彼らは支配者が誰になるかにかかわらず衣食住を求め自給自足し、ご近所さんと語らい、歌を歌い生活していくのだろう。彼らは政治的知識を持たないかもしれないが、工夫する知性を残している。主人公が隠れ家にしていた家の下で歌う女性がそれを証明する。その意味では、ひょっとするとかつての党関係者たちがプロールの地位に堕落し、教育を受けたプロールたちが政権を担う時代が来るのかもしれない。
終わりに
一見すると、逃れられない監視社会の恐ろしさを記した作品だが、特に終盤を注意深く見るとひとつの政体の栄枯盛衰を書いているようにも受け取れる。<ビック・ブラザー>は情報・思想統制によって栄え、またそれによって滅びる。ある政体の利点たる特徴がそのまま衰亡の理由になることがままあるが、本著でもそのパターンが取り入れられているように見える。
また、様々な社会階層の人物が登場するのも興味深い。本著は単なる小説ではなく、様々な示唆に富んだ社会構造説明評論だということもできるだろう。
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