葉問の偉人伝
羨ましい人物
中国を舞台にした物語であり、イップ・マンは実在した人物です。
その事実を知ると、個人的な感想として羨ましいと思えてしまいます。物語の背景として描かれていた時代に、日本が誇れる偉人は居るでしょうか。そんな人物の名前を思い浮かべることができるでしょうか。私が無知で、知らないだけなのかもしれません。しかし、偉人伝として、何度も映画制作されて、クローズアップされるような偉人が日本には存在しません。
だから、中国や、中国人が羨ましいと思えてしまうのです。
唯一、イップ・マンと同じような方向性で名前を挙げられるとしたら、極真空手の祖である大山倍達さんではないでしょうか。しかし、残念なことに大山倍達さんは、厳密にいえば、韓国人の両親から生まれ、韓国籍をもった韓国人なのです。そのことから、日本が誇れる武人と言うことができないのではないでしょうか。
ただ、日本においても、国として戦争に傾注していた時代でした。
個人として活躍したり、歴史に名前が残すような機会は限られていたのだと考えられます。
ただ、本編の最後では、日本の武道である空手と、詠春拳イップ・マンの試合する場面がありました。そう考えると、日本にとっては皮肉な物語だと思えてしまいます。
武道が盛んだった中国という土地が排出した偉人だと考えられるのでしょうか。
伝記ではなく創作物である内容
少年期や青年期を飛ばし、成年期から物語が始まっています。
そのことから、伝記という位置付けではないと考えて良いのではないでしょうか。日本の作品でいえば、時代劇の「暴れん坊将軍」「水戸黄門」のように、実在した人物をモチーフにしながら、ストーリー性を重視した内容だと考えられます。すなわち、「暴れん坊将軍」「水戸黄門」のように、事実ではない、脚色の要素も強い内容だと予想することができます。
確かに、映画本編のイップ・マンは聖人君子のような人柄であり、まさに絵に描いたような善人です。当然のことながら、日本における時代劇にも同じことがいえ、「暴れん坊将軍」主人公の徳川吉宗もそんな立派な将軍だったという逸話はありません。「水戸黄門」主人公である水戸光圀においては、刀の試し切りで、町人を切り捨てていたという話も出てきています。
イップ・マンの経歴を調べてみると、最後には、家族を置き去りにして、国外に逃亡・亡命されているようです。映画本編に映っていた、奥さんをとても大切にしていたイップ・マンからは想像もできないような経歴と考えられるのです。
そう考えると映画本編の物語も、どこまで事実で、どこからが脚色・作り話なのでしょうか。
イップ・マンの人物像の考察
この観点で捉えたとき、最強クラスの拳法の実力、そして、聖人君子のような内面の二つに支えられているのだと考えられます。
尋常じゃない強さがありながら、それを鼻にかけることなく、常に謙虚な態度・姿勢を貫いています。自慢することなく、己の人間性を磨くことを怠っていないのです。格闘における激しさと、日常生活の穏やかさの二面性が、イップ・マンを魅力的に映すのだと考えられます。また、その二面性のギャップの大きさもイップ・マンの魅力といえるでしょう。
強さが、家族や他人を思いやる優しさになっているのだと考えられます。
「イップ・マン」という映画作品が面白いのではなく、イップ・マンという人間が魅力的なのです。
イップ・マンという人物像が、「イップマン」という映画の魅力の真骨頂なのだと考えられるのです。
イップ・マンの悪い部分を描くことなく、イップ・マンの凄さのみを伝える本編の作り方に、制作者の意図が表れているのだと考えられます。
詠春拳の魅力
映画本編を観る限り、連打で構成された拳法なのだと考えられます。
映画本編の最後に戦った空手との、根本的な違いは、そこにあるのではないでしょうか。
空手における理想をいえば、一撃必殺なのだと伺ったことがあります。しかし、それは理想であり、現実はそうならないため、いくつもの技があるのだそうです。しかし、理想としているものが、全然違う格闘技だと考えられるのではないでしょうか。
詠春拳は連打を集めながら、敵に攻撃することを許さずに倒すものなのではないでしょうか。
また、超接近戦であることも特徴的だといえます。詠春拳の技は、足技ではなく、手技による攻撃に特化しているのではないでしょうか。木人を用いて、イップ・マンが修練する場面がありましたが、足技を修練している場面がありませんでした。
また、肘で攻撃する機会が多かったことから、敵に超接近して戦うスタイルが、格好良く映るのではないでしょうか。戦う場面を想像すると、敵の間合いに入りたくないというのが、一般的な考え方であり、戦っている最中に思うことなのではないでしょうか。できるだけ離れた間合いで敵を倒すことができれば、自分の身は安全といえます。
しかし、身の危険を冒して、敵に超接近するスタイルは、敵を恐れない勇気と受け取れるのです。
そして、肘や拳技で連続攻撃するのに、接近していた方が手数を多くすることができます。敵との距離が離れていれば、離れているほど、仕掛けた攻撃が敵に当るまでに時間が要するのです。自身の動きや、攻撃の早さには限りがあるので、敵との間合いの距離は、攻撃があたる早さに比例すると考えられるのです。
間合いが近ければ、近いほど、身体の動きがコンパクトになるので、攻撃の手数を増やすことができると考えられます。現に蹴りと拳では、拳の方が、身体の動きがコンパクトな為、早い連続攻撃が可能だといえるでしょう。
詠春拳の魅力は、間合いであり、超接近して戦うスタイルにあるのだと考えられるのです。
詠春拳VS空手
手技を得意とし、息をつかせぬ連続攻撃を仕掛けるのが、詠春拳の特徴です。
それに対し、一撃必殺を信条とし、全力で打ち込むのが、空手の特徴です。
そういった格闘技スタイルの特徴が見てとれるのも、当作品の魅力だと考えられます。そして、日本の空手においては、諸説ありますが、中国拳法が日本に伝わり、日本流にアレンジされた流儀といえます。当然のことながら、詠春拳も中国武術の一派です。
詠春拳と空手は、兄弟流派とは言えなくても、従兄弟関係にある流派と考えることができます。
同じ流派から枝分かれした同士の格闘技と捉えることができるのです。
そういった背景もあり、蹴り技や拳技、肘技、膝技、頭突きと五体を駆使して闘うスタイルは類似しています。
しかし、今項の冒頭でも述べているように、敵を倒すまでのイメージが異なる流派だといえます。
どちらが優れた流派ということは、とりあえずは置いておきます。
ただ、両者の格闘スタイルを考えたとき、空手スタイルは、イップ・マンを一撃必殺で倒してしまわないと勝機がないのです。一方、イップ・マンは一撃必殺にこだわる必要はないでしょう。
懐に飛び込んで、一撃を決めれば、その後にお得意の連打を浴びせれば良いのです。
また、一撃必殺を前提としている空手スタイルにおいては、本来は、一撃で敵を沈めることは容易ではないのです。
パンチを当てたからといって、人間は簡単に倒れてくれません。格下であれば容易なのかもしれませんが、お互いの力量が均衡していれば厳しいことは容易に想像できます。
その為、空手のパンチ、正拳と呼ばれる拳技は、足で大地を踏み込み、腰の回転を連動させ、全身の力を注いで打ち込むのです。その特性から、本気で打ち込んだ正拳が避けられれば、隙が生じ、反撃のチャンスを与えることになります。
だからこそ、一撃必殺で相手を倒さなくてはならない格闘技スタイルなのです。
そういった格闘技スタイルの違い、特性が、最後の試合には表れていました。しかし、イップ・マンが勝ったのは、空手より詠春拳が優れていたという事実ではありません。お互いの修練・力量の差が表れたに過ぎないことは、当作品の続編で、イップ・マンの口から語られています。
武術家と軍人の差が、実力の差として、明確に表れたものだと考えられます。
軍人は戦争をする兵隊、又は、指揮官なのであって、格闘技に長けていても、格闘技のプロフェッショナルとはいえないのだと考えられるのです。
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