ウサギを擬人化するアイデア
登場人物の個性
ウサギを擬人化するアイデアから、当作品の魅力が構成されているのだと考えられます。
ウサギから想像するものとして、小さくて可愛いペットを思い浮かべるのではないでしょうか。しかし、戦時中や戦後を体験した方にとって、ウサギから想像されるものは、食料というイメージなのだそうです。雑食だから餌に困ることなく、繁殖させることも容易だったことから、食肉として飼われていたことが多かったそうです。
このエピソードは、本件とは関連しないので、この辺りにしておきます。
しかし、このアニメを観る大半の視聴者は、戦争を体験していないでしょう。そのことから、ウサギから想像するイメージは、やはり小さな可愛いペットだと考えられるのです。もっと簡略に、「可愛さ」を象徴するものと考えて良いのではないでしょうか。
そして、登場人物に当てはめたとき、「可愛い」イメージから、全く別の要素を加えられ、二面性とギャップが演出されていることに気付けます。
まずは、主人公ミナライですが、元々は揺るキャラでありながら、人気が弱くなり、生活できなくなってしまった苦労人の一面が強調されています。可愛さとは違った方向性の要素である苦労・不幸な境遇が付加されたキャラクターといえます。
また、オヤカタは、可愛さとは別要素の、厳しさ、懐の大きさが付加されたキャラクターです。
そして、ソウチョウは、可愛さとは別要素の、大きさ、男らしさが付加されたキャラクターです。
さらに、ネエサンは、可愛さとは相反する要素の、セクシーさが付加されたキャラクターです。
オジョウは、可愛さとは別要素の、気の強さを象徴するキャラクターといえます。
概ね全ての登場人物のキャラクター性に、ウサギがもつ可愛さとは、相反するような別要素が付加されているのです。意図的に、ウサギがもつ印象を逆手に取り、二面性を強調することで魅力を打ち出すキャラクターデザインがされていると考えられるのです。
ウサギを擬人化しておきながら、キャラクター性はウサギとは関係しないものを打ち出しており、そのチグハグさが当作品の魅力を形作っているのだと考えられます。
全力×ウサギ
世の中には、色んな考え方があり、様々な感性があるのかもしれません。しかし、ウサギという存在から、「全力」という言葉を出す方は少ないと思われます。この場合の少ないは、限りなくゼロに等しいといえるのではないでしょうか。
その二つを掛け算していることが、当作品の魅力の根幹になっています。
これが、擬人化していない人間を描いた作品を想像してみれば、面白さが半減することも容易に予想ができるのではないでしょうか。映像としては、ウサギが擬人化しているからこそ、面白いアニメーションなのであり、面白い映像だと感じさせるのです。
昭和の時代を思い浮かべさせる人間臭さを、ウサギが演出しているから面白いと感じさせるのです。
さらに、簡略に、人間臭いウサギと言い換えることができるのではないでしょうか。
また、面白さを構成するものとして、全力を格好悪く描くことで、視聴者の笑いを誘っています。しかし、見た目は格好悪くても、全力を貫くことの美しさも描かれています。制作スタッフは、意図的に、全力の印象を落としておいて、最後に持ち上げているのです。
こういった構成を立てることにより、笑える話であり、美談にもしていこうとする制作の意図が明確になっているのだと考えられます。
男女平等を訴求
建設現場での仕事が、物語の背景になっています。
現実社会において、建設現場の現状は、今の世の中では間違いなく男社会といえるでしょう。
しかし、当作品においては、女性の主張が強い印象をもつのです。すなわち、男女平等を訴求した内容と考えることができます。男社会を背景にしながら、意図的に、女性キャラクターを登場させているのだと考えられるのです。
女性進出が進んでいる業界ではなく、これから先も、女性進出が難航しそうな業界といえるのではないでしょうか。
そして、体力面では劣ってしまう女性は、あまく見られてしまう業界だといえるのです。しかし、与えられる仕事の内容次第では、女性が活躍することも可能の業界なのではないでしょうか。世の中では、警備員の業界にも、女性進出して活躍されているようです。また、タクシードライバーにおいても、女性の存在が多くなってきたように思えます。
当作品において、直球で女性進出を訴えている存在が、オジョウだといえるのです。
ソウチョウにも負けん気むき出しで挑んでいくオジョウの姿は、間違いなく男女平等と、女性進出を訴える意図があったのだと考えられます。そうでなければ、オジョウという存在が、女性キャラクターである必然がありません。本編におけるオジョウの役割、立ち位置を考えるなら、男性キャラクターでも成り立つと考えられるのです。
むしろ、リアリティーを考えるなら、本来、オジョウは男性キャラクターであるべきでしょう。
しかし、リアリティーや必然性を無視してまで、オジョウを女性キャラクターにした背景には、女性を応援したいという気持ちの表れだったのだと考えられます。
元々、揺るキャラである主人公ウサギを背景にした内容であり、原作者がメインで狙ったターゲット層は女性でしょう。そのことから、意図的に、女性の視聴者を応援するような内容で構成されているのは間違いないと考えられるのです。
男女平等・女性進出といったメッセージ性が強く込められていると考えられます。
人間臭さを客観視!?
前項までで述べているように、本編は全体的にリアリティーを優先されていないのです。
擬人化を導入していること、女性キャラクターを無理矢理にでも押し込んでいることが表しています。登場人物が人間ではないことで、感情移入ができないのです。リアリティーを感じられず、建設現場というリアルを背景にしながら、身近なものに感じられないのです。この点に注目すると、別の見方ができるのではないでしょうか。
制作スタッフは、意図的に、リアリティーを求めなかったのではないでしょうか。
そうだとしたら、リアリティーを求めなかった真意は何だったのでしょうか。まずは、人間臭さということを前述させて頂きました。人間臭さを描きながら、リアリティーが追求されていないのです。矛盾しているように感じられ、とても不自然に感じられないでしょうか。
しかし、それは、視聴者が本編に感情移入することで、リアリティーを感じさせず、人間臭さを感じてほしかったことに他ならないと考えられます。感情移入とリアリティーを求めていないと考え、逆の言葉に言い換えてみましょう。該当する言葉を探すなら、客観視という言葉が挙げられるのではないでしょうか。
当作品は、人間臭さを客観視させたかったのだと考えられるのです。
それでは、人間臭さを客観視させる狙いは何だったのでしょうか。
それは、客観視することで、人間臭さを強調したかったのではないでしょうか。感情移入やリアリアリティーを感じさせると、当然ながら視聴者も同じ人間なので、人間臭さを感じるのが弱くなってしまうのだと考えられます。私たちが日常生活をしていて、人間臭いと感じる場面はあるでしょうか。おそらく皆無に等しいレベルでないのだと考えられます。
物語やドラマ、小説など、自分自身が客観視していることで、はじめて人間臭さという印象を感じることができるのではないでしょうか。
リアリティーを意図的に求めないことで、人間臭さを強調する作品づくりがされているのだと考えられます。
そして、人間臭さがもつ矛盾点を、面白味・醍醐味として描いているのが、この作品のもつ魅力なのだと考えられるのです。
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