とことん追求されたリアリティー
登場人物における特徴
登場人物において、一切の名前の設定がないことが特徴の作品です。
そして、名前がないだけではなく、画面の中の登場人物に動きもないです。
驚かされるのは、本編が終わってエンディング曲になると、登場人物たちが踊っているのですが、踊っていることもあり、本編より登場人物が動いているのです。登場人物が、本編より、エンディング曲の映像の方が動きを見せており、本末転倒と考えることができます。アニメ作品というのは、これまでの風潮や一般常識で考えるなら、本編で動きを表現するジャンルなのではないでしょうか。
実写における映像作りではできないことを、画を描くことで再現できるのが、アニメ作品の強みだといえるのです。そして、その強みを潔く手放しているように感じられる当作品は、これまでのアニメ作品とは全く違った考え方で制作されていると考えられるのです。
さらには、場面という概念は皆無であり、登場人物が延々と同じ場面で話しているだけです。アニメ作品というジャンルに分類してしまって良いのか、考えさせられる作品だといえます。
それだけに、アニメ作品として捉えるなら、非常に飛び抜けた存在であると考えることもできます。
どう捉えて、どう評価して良いのか、悩まされる作品といえるのではないでしょうか。
そして、率直に申し上げて、思いっきり笑えてしまう場面はありません。
ただ、独特の雰囲気を打ち出し、笑える面白さではない面白さがあるのだと考えられます。
明らかに異なる制作方法
場面が変わることもないし、登場人物にも詳細な設定がされているわけではありません。
そして、アニメ作品としては不思議な感じですが、登場人物や背景、画面での動きに乏しい作品なのです。他にも、不思議な点は多く挙げられ、考えていくと謎が解明できないままなので、インターネットで検索してみました。すると、不思議に思っていたことの大半が、納得のできる答えを見付けることができましたので、ご紹介させて頂きます。
脱力系のアドリブ芝居とアニメーションを融合させたもので日常会話のワンシーンから生まれる「間」や「仕草」が半笑いを誘う。
役者は、設定のみ提示され、それに沿ったストーリーをアドリブで演じていく。
(参照元:Wikipediaより一部抜粋)
「Wikipedia」において、当作品の概要記載から、その一部を抜粋させて頂きました。
まずは、声を担当されているのが、声優ではないという事実です。そして、台本というものが存在せず、声を演じている役者が、即興でセリフを考えているということです。どこかの深夜バラエティーテレビ番組を彷彿とさせる制作意図なのです。
そして、不思議に感じていた点として、笑いながら吹き込まれているセリフ回しや、明らかにセリフを噛んでいる場面が挙げられます。しかし、制作意図を考えれば、それも当然のことだと考えることができます。また、制作スタッフにおかれては、背景や場面を与えるだけなのです。当作品の面白さや魅力は、役者のアドリブによって成り立っていると考えることができます。
アニメ作品としては、非常に斬新な制作手法といえるのではないでしょうか。
そのことからいえるのは、アニメ作品である必要性・必然性があるのか、という点です。
台本はなく、役者の即興であるなら、アニメ作品というジャンルである必要はなく、お笑いコントや劇場ネタであっても問題はないと考えられるのです。また、ドラマやバラエティー番組としても成り立つことでしょう。
アニメ作品というジャンルで制作されている必然性が感じられません。
しかし、考え方の切り口を変えてみると、単純に当作品は面白いと評価できるレベルのものです。逆説的に考えてみて、アニメ作品であってはいけないという理由も見当たりません。ただ、独特な制作意図であり、それが特徴・個性として成り立っている、他で類を見ない不思議なアニメ作品だと考えられるのです。
アニメ作品としての存在価値
お笑いコントや劇場ネタ、ドラマやバラエティー番組としても成り立つ内容です。
しかし、アニメ作品であることからのメリットを深く掘り下げて考えていきます。そして、それこそが、当作品のアニメとしての存在価値になると考えられるのです。
まず、お笑いネタや劇場ネタ、ドラマやバラエティー番組として制作された場合、役者がダイレクトに画面に登場することになります。しかし、役者においては、そのイメージが視聴者に先行していることは多いのではないでしょうか。
例えば、お笑い芸人でいえば、お笑いやネタの方向性があることは間違いありません。そして、それは視聴者がもっている印象として刷り込まれていることでしょう。世間一般へ、その印象が刷り込まれることこそ、お笑い芸人の世間一般への認知度を高めることになると考えられるのです。
そして、それは役者においても同様のことがいえるのではないでしょうか。
役者がダイレクトに画面に登場することによって、その人物の印象が先行してしまうことがあると考えられるのです。
アニメ作品として、それを実現すると、その人物のイメージ・印象が先行することがないのです。
よって、その設定やセリフ回しを素直に受け入れ、アニメ本編を楽しむことができるのではないでしょうか。
また、役者がダイレクトに画面に登場することで、できることの幅に制限が生まれます。具体例を挙げれば、外見がイケメンではない役者は、イケメンを演じることに無理が生じます。男性においても、女性においても、同じことがいえるのではないでしょうか。
また、画面にダイレクトに登場しないのであれば、女性役を男性が演じることができるかもしれません。逆に、男性役を女性が演じることだってできるのかもしれません。現に、アニメの声優は、逆の性別のキャラクターを演じることが少なくありません。男性キャラクターの声優が、女性である例は多いのではないでしょうか。
そういったことを無理が生じることなく、アニメーションとして再現できるのです。
日常生活のリアリティー
このアニメをお笑いコントや劇場ネタで再現することも可能でしょう。
また、ドラマやバラエティー番組で再現することも容易だと考えられます。
しかし、間違いなくいえるのは、舞台の上にたった非日常になってしまうということです。役者がダイレクトに画面や舞台に立ちって演じることで、リアリティーを感じられないと考えられるのです。
ドラマ作品を観て、リアリティーを感じるでしょうか。
ドラマ作品とは、リアリティーではない部分を楽しむジャンルなのではないでしょうか。どちらかというと、その本質は非日常を楽しむものと考えられるのです。
また、バラエティー番組や舞台ネタとして考えてみても、画面の中、舞台の上で起きていることに、日常感やリアリティーを感じることには無理があるように思えます。
しかし、アニメ作品の中で、日常生活が描かれることで、妙なリアリティーを感じることができないでしょうか。ドラマ作品やバラエティー番組、舞台より親近感を感じることができると考えられるのです。そして、その親近感がリアリティーを感じさせるのだと考えられるのです。
アニメ本編で、現実社会にありそうな背景を設定されると、自分の姿と重ねられるものがあると考えられます。また、現実社会のリアルな場面を、まるで、覗き見しているような気持ちにもなれるのかもしれません。
それこそが、このアニメ作品の最大の魅力なのだと考えられるのです。
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