この映画は、ひとつの神秘である。
言葉に出来ない感動
今まで、数多くの映画を観てきた。
映画には、個性がある。個性があれば、好みが分かれる。
だから私は、好きな映画を押し付けることを好まない。それは遠慮であって配慮であり、私なりの思慮だ。
だが、『おみおくりの作法』は、そんな思慮すら無遠慮に思わせる作品だ。
全ての感嘆詞が無粋に思える。全ての賞賛は無意味だ。この映画は、「素晴らしい」「良い映画」などといった、凡百の批評をたやすく跳ね除ける。
それは、この映画を観た全ての人々の総意だと、私は信じている。
『おみおくりの作法』は、間違いなく観た人間の心に、針を刺す作品だ。
その針に詰まったものは、薬なのか毒なのか、切なさなのか優しさなのか慈しみなのか。いまだに、私は形容することが出来ないでいる。
『おみおくりの作法』の、一体何が心に響くのか
前項はやや詩的に過ぎたが、要するにそれだけ、筆者はこの作品を愛しているのだ。
あまりにこの映画を好きになりすぎて、数多のレビューを見てきたが、書きこんでいる人たちは一様に「ラスト15秒」で号泣したと伝えている。
では、そのラスト15秒に一体何が込められているのか。また目にこみあげてきたものをぬぐい、改めて考察するとしよう(ちなみに作品を思いだすために、筆者はテーマ曲の『StillLife』を流しながら本稿を書いているのだが、この時点で涙腺崩壊しているのである)。
「ラスト15秒」とはつまり、死んだジョン・メイの墓に、今まで彼が見送ってきた死者たちの魂が続々と訪れてくる、というシーンだ。
こうして冷静に書きだしていると、極めて不思議な情景のシーンだと思える。着々とジョン・メイの墓を訪れる死者たち(彼らが何者であるかは、映画のなかでしっかりと伏線が張られている)。もしかしたら、不気味と感じる人さえいたかもしれない(事実、そういった感想を書いている人も存在した)。
ではなぜ一体、このシーンに多くの人々が涙を流し、心を奮わせたのか?
『おみおくりの作法』は、極めて静かな映画だ。セリフも多くはないし、BGMに至ってはほぼ『StillLife』のみ。
故に観客たちは、ジョン・メイの視線、表情、行動、その全てで「想像」する。彼が何を思っているのか、彼がどういう人間であるか――。
そしてわかる(あるいは、読み解くといった方が正しい)ことは、ジョン・メイは超人的なヒーローでもなければ、正義を振りかざす人間でもない、ということだ。ただの誠実なおじさん、小市民だ。故にビリーの娘と心を通わせたことに喜び、ほんのわずかな不注意で命を落とす。
まずここで、ジョン・メイの“報われない人生”に、おそらく多くの人が落胆したであろう。同時に、人生はこういうものだと再確認させられたかもしれない。
それは、それまでのジョン・メイの生活・表情描写が非常に丁寧で、観客の心に寄り添った(共感性を得た)からこそ発生した作用といえる。
繰り返すが、ジョン・メイはどこにでもいる孤独なおじさんだ。そして作中では、そんなジョン・メイの冴えない暮らしっぷりが丁寧に描写されている。しかし、しつこいぐらい丁寧な描写こそが、実は観客のシンパシーを引き起こす重大なトリガーだったのだ。
ここまで培われたシンパシーが、「ラスト15秒の感動」の大仕掛けの引き金となる。
誠実に朴訥に生きてきたおじさんが、あっさりと死んでしまう。しかも、しっかりとあの世へ旅立つ手助けをすべく、各地を奔走して集めたビリーの弔問客はたくさんいるのに、ジョン・メイ自身の墓は誰も来ない……。もうここで同情と哀れみで筆者あたりは滂沱の涙を流してしまうのだが、更に続きがある。それが、「ラスト15秒」である。
周囲の人間が全て無駄だと吐き捨てたジョン・メイの行動は、実は孤独な死者たちの魂を救っていたのだ。
ここに、ジョン・メイに共感してきた多くの人々は、深い感動を覚える。感動は、“達成感”とも、“満足感”とも言い換えられるだろう。
このラストは映画からの「報われないことはない」という励ましのメッセージでもあり、「死者になっても想いはある」という世界中の多くの人間が茫洋と抱える精神性を、あらためて突きつけているのだ。
映画全体に漂う空気感と丁寧な描写が「シンパシー」を呼び覚ましたうえで、主人公の死によって「無念」と「無常」「虚しさ」を叩きつけ、ラスト15秒が「人生が残す(ほんのわずかな)影響」「人に行動に、無駄なものはない」というメッセージを漂わせる。
これはあたかも、人の人生そのものを映し出した映画なのである。
この映画を観て何を感じたか。それは、一人一人の心にしまっておくべきなのかもしれない
さて、筆者は今まで『おみおくりの作法』について語ってきたが、多弁に過ぎたと感じてしまっている。
最初の項でも述べたように、真に人の心に響く作品は、未熟な言葉を寄せ付けないのだ。それは数多の芸術や、それに付きまとう批評を寄せ付けない、神秘性を纏うためである。エベレストから見た景色をして、「うまく言えないけどすごくキレイでした」「もうとにかくすごかった」とだけのたまう登山家がいたらご退場を願いたくなるだろう。
この映画も、そんな完成された神秘の一つだと、私は思っている。
最後にもう一度だけ、私がこの作品について感想を求められる機会があったのなら、私はこう答えたい。
もし、遠い将来、私がたった一人で死んだとき。
私もジョン・メイのような人に見送られたい。
そして、その人にしてもらったのと同じように、彼の人の死を送りたい、と。
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