孤独死から考える「生き方」
他人事ではない「孤独死」
2013年に製作されたこの映画は、今後私達が直面するであろう大規模な社会問題をテーマにしていました。そのテーマとは「孤独死」。
近年のお一人様ブームや未婚化を考えると、これはもはや他人事ではない問題です。自分は結婚しているから大丈夫、そう思う方もいるかもしれません。
しかし伴侶の兄妹が独り身だったら?子供が将来結婚しなかったら?
考えればキリがありませんが、身近な問題として考えた方が良いことは確かです。
内閣府の年齢別未婚率推移データによれば、2000年~2010年の10年間だけでも女性の未婚率は約8%上昇しています。また、1980年~2010年の30年間で見ると約36%も上昇しているのです。(いずれも25~29歳の女性)なぜこんなことが起こっているのでしょうか。
現代社会には多くの娯楽があり、ネットを利用すればいつでも誰かに繋がることができます。一人が寂しいという感覚は薄くなり、その手軽さはやがて、実社会での人間関係の面倒くささを遠ざけるようになります。
昨今、女性をターゲットにした市場は目覚ましい成長を遂げています。スイートルームやリムジンでの女子会、お一人様でも楽しめるカフェ、会いに行ける地下メンズアイドル…色々な話題が楽しそうに語られますが、その幸福な一時を過ぎた先にはどんな世界が待ち受けているのでしょうか。楽しいコンテンツを提供する会社は、自社の利益のために女性を幸福にしてくれますが、その後の将来は何も保障してくれません。
最近は、実際に孤独死が起こった現場を清掃する「特殊清掃員」のドキュメンタリーなども良く目にするようになりました。遺体が横たわっていた床についた染みや匂い…初めて現場に行った人間は、その衝撃に吐いてしまうこともあるといいます。あまり公にはならない仕事ですが、こういう仕事を請け負う人がいるからこそ孤独死した方はしっかりこの世から去ることができるのです。孤独死は老人の問題だと思われがちですが、実際には働き盛りの独身男性が多いといいます。死はいつ訪れるか分かりません。他人事ではないのです。
「面倒くさい」を超越する「道草力」があるか?
この映画の主人公・ジョンは地区の民生係であり、孤独死した人の葬儀を執り行う仕事をしていますね。その仕事ぶりは実に丁寧。わざわざ生前のその人の宗教に合わせた葬儀をし、たった一人でも祈りを捧げる姿には感服します。
この映画に登場する死者の家族の多くは、その人が死んだことよりも、どれだけ葬儀にお金がかかるかなど、自分達にふりかかるデメリットを気にしていますよね。残念ながら恐らくこれが現実でしょう。
親族から見捨てられた死者を弔うのは、生前会ったこともない見知らぬ他人であるジョン一人。しかしジョンの手厚い弔いは、もしかすると家族による事務的な葬儀より幸せだったかもしれません。
ストーリーのメインとなる映画後半、ジョンの向かい側に住むビリーが孤独死をします。ジョンはビリーの葬儀をするべく彼を知る人々を訪ねる…つまり彼の人生を辿ることになるわけですが、ここで考えたいのが「ジョンのような真面目で親切な人間でもごく身近にいる他人の死に気付かない」ということです。
ジョンの仕事ぶりは真面目で信頼できますが、プライベートの彼は自分にルールを課しそこから逸脱しない一種のつまらなさがありました。彼がそのつまらなさを超越した出来事こそ、ビリーの人生を辿るという旅です。いつも通りという自分のルールを破って、他人の人生に沿ってみる…つまり大がかりな「道草」と言っても良いかもしれません。
他人の人生に関わるということは実に面倒くさいことです。だからこそ昨今のSNSでは面白いものだけを共有し、憂鬱な呟きは叩かれます。誰だって他人の感情に振り回されるのは嫌ですからこれは当然かもしれません。しかしその面倒事を引き受けてこそ、他人の感情に触れてこそ、見えてくる自分自身があるはずです。
ふと頭を掠めるのは我が家の隣人です。あなたの家の隣人も思い出してみて欲しいのですが、その人がどんな人か、どんなことを考えているか分かりますか?その人が具合が悪そうにしていたら、大丈夫ですかと声をかけるくらいの道草力があるかどうか…もしその人が孤独死したら自分はすぐに気づけるのか。そのことを考えるとヒヤッとします。
自分の人生を証明してくれるものとは
この映画のラストについて、釈然としないと感じた人も多いのではないでしょうか。救いがあると解釈すべきなのか否か…なかなか判断の難しいラストでしたよね。
唯一の財産であったお墓も愛する人に譲り、人知れず死んでいくジョン…どうしてこんなに心優しい人が誰にも悲しまれずに逝ってしまうのかと心苦しい気持ちにならないでもないですが、ジョンは「立派なお墓に入って死ぬのがベストである」という分かりやすい世の中のルールやしがらみから解放されたのかもしれません。この世の誰かが悲しんでくれなかったのではなく、あの世で待っていてくれた大勢に歓迎されたのかもしれません。
「自分が死んでも誰も悲しんでくれない」と嘆く言葉を良く聞きますが、ともすればこの言葉は見当違いかもしれません。残念ながら感情は持続しません。例えば喜ばしいことがあったときも、嬉しかったという記憶は残るけれど、嬉しいという感情そのものをリアルに思い出すことは不可能です。
自分が生きていたことを証明をしてくれるのは誰かの感情ではなく、自分の言動が誰かに与えた影響だけです。しかし誰かに影響を与えるということは簡単なことではありませんよね。社会や目の前の他人と積極的に関わっていくことでしかその可能性は生まれないのですから、それはとても面倒くさいことです。コストパフォーマンス重視の現代ですが、道草力を磨くことで人生は更に輝くかもしれません。
この映画の音楽はシンプルでした。ラストシーンに於いてもそれは同様で、そのシンプルさがジョンの死を更に素朴で切ないものに仕立てていたと思います。
実際に人が死ぬとき、そこにBGMは流れません。静かな空気の流れがあるだけでしょう。そういう意味で、この映画はとてもリアルな死を思い出させてくれます。
孤独死を扱った映画でありながら、どうやって生きるべきかという大切な問いかけを与えてくれたように思います。
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