波照間島を襲う巨額詐欺
ヒロイン・凜田莉子の故郷に及ぶ危機
人の死なないミステリ『万能鑑定士Q』シリーズ、第八弾目となる『万能鑑定士Qの事件簿 VIII』は、ヒロイン・莉子の故郷波照間島から台湾へと舞台を移す。
それまで莉子の心の支えだった波照間島が巨額詐欺の標的となり、島の行政の存続の危機になる。莉子がいくら危機感をもって訴えても、波照間島の人はまともに取り合おうとしない。牧歌的でおおらかだった波照間島の人々の性格が、ここにきてマイナスとして浮き出た形だ。また、劣等生だった莉子の過去もまた、足を引っ張ることになる。淡水化フィルター製造法と権利取得のための送金のタイムリミットが迫るなか、莉子は同級生二人と共に詐欺師のいる台湾へと目指す…というストーリーになっている。
このように、今シリーズは莉子を支えてきた精神的支柱が崩れる構図になっている。また、振り込みまでタイムリミットがあるためか、総じてクールで知性的だった莉子が慌てながら謎を解き明かす様が見れる、貴重な話となっている。
台湾の地理・言語を活かしたトリックは冴えにさえわたり、流石の人気シリーズであることを改めて思い知らされる一作だ。
作者がどうやって資料を集めているのか本当に知りたい
『万能鑑定士Q』シリーズを読むたび、作者・松岡圭祐の広範な知識に脱帽させられる。美術品・骨董品の鑑定はもとより、金融、印刷、服飾、音楽、ありとあらゆる全ての事柄に詳しい。一体何冊の本を読みどこへ行ったらそれほどの知識を得られるのか、教えていただきたいほどである。
今作『万能鑑定士Qの事件簿 VIII』は、先にも述べたように台湾を舞台としている。他の国を舞台とする以上、松岡圭祐はやはり、ここでもたぐいまれなる観察眼と表現力を発揮して等身大の台湾を描いている。
トリックに至る部分もさることながら、台湾でも映画『リング』の幽霊・貞子は有名であるといったちょっとした雑談に至るまで、松岡圭祐は全くその手腕を振るうことを惜しまない。
むしろ『万能鑑定士Q』シリーズで注目すべきは、キャラ同士の雑談なのではないだろうか、と筆者はたびたび思う。主観となるキャラクターのバックボーンを活かし、世代、性別問わず様々な話題を”地の文”として活用する力。小説家として、これほどの才能を持つ人も珍しい。しかもどれも的外れでなく、むしろその分野に詳しい人間がシャッポを脱ぐほどのネタを仕込んでくるのだから恐れ入る。冗談抜きで、松岡圭祐は一日二十四時間以上を生きている人間だと疑いたくなるほどだ。
クライマックスギリギリまで謎が引っ張られるケースもレア
さて、今回の『万能鑑定士Qの事件簿 VIII』だが、莉子が終始犯人グループに振り回される、『万能鑑定士Q』シリーズのなかでも珍しい展開になっている。
シリーズの”探偵”役である莉子は、一つ一つの謎を踏みつぶしながら最終的に事件を解決するタイプではなく、クライマックスになって初めて犯人の前(あるいは読者の前)で全てのトリックの謎を明かす”探偵”だ。しかし、莉子は物語の最中においても、あくまで冷静に一つ一つの謎と向き合っているため、読者としても不安を覚えることはない。いわば取りこぼしがないか不安になる必要がない、ということだ。
だが、『万能鑑定士Qの事件簿 VIII』では、莉子が事件解決へ前進しているとおぼしき描写がほとんどなく、むしろ進めば進むほど犯人の奸計にはまっていくような一種不気味な構成となっている。巨額詐欺というスケールの大きさや、周到な時間稼ぎのやり方、誘導した先でカメラまで仕込むという念の入れ様も、得体のしれない外国で端を発した事件だということも、読者の不安を煽ってくる。中盤過ぎても事件の全貌がわからず、この謎は果たして本当に解けるのだろうかと不安になるぐらいだ。
故に、最後に犯人グループを捕まえたときの爽快感は実に見事なものであった。警察に扮するために、珍しく高圧的な態度の莉子が見れるのも『万能鑑定士Qの事件簿 VIII』ならではだろう。
協力者である老婆のひれ伏し方はややオーバーであったが、巨額詐欺事件を食い止められたという達成感のおかげであまり気にはならないだろう。
また、本作は故郷では劣等生として知られた莉子への、故郷の人々の見る目が変わるというシリーズにおける重要な転換点ともなっている。
読者としては本作で登場する葵に莉子がバカにされるシーンが挿入されるたびに、ちょっと腹立たしい気持ちを覚えたりもしたのだが、やがて見返されるようになるとこちらまで誇らしい気持ちになってくるから不思議だ。
『万能鑑定士Q』は単発のシリーズものだが、人間関係がごくごくわずかに動き始めている。また、一度登場したキャラクターが思い出した頃に再登場するのも嬉しい。
『万能鑑定士Qの事件簿 VIII』を皮切りに、莉子の周囲にどう変化があったのか。それを知るのも、今作品の重要な見どころの一つになっている。
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