外側からのSPEC愛
何だったんだろうこのドラマ。
思えば、この作品との出会いにより、平成のドラマを見始めたのです(レンタルで…)。
で、見ていくと、やっぱりドラマは、ポピュラーミュージックみたいに、時代を映し
彩っているのものだねえと思うのですが、(そこが良いところ)この作品は、未だに
「何だったんだろう、このドラマ」と考えちゃいます。
自分史上、会心のドラマ、それが「SPECスペック」です。あ、本当はとても長いタイトルで
「SPECスペック 警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿」ですね。
こんなにタイトル長くしてみるのも、制作側の仕掛けと言うか、憎い仕事のひとつなのかと。
わざとらしくなく、なんか、こう、ちょっとひっかけてくる感じです。
SPECのファンならわかるんだと思います。この感じ。
いや、最初は思ったんです「こんな気色悪いドラマ、 好きな人おらんやろうなあ」って。
だけど、ファンがいっぱいいました。それはそれで、大丈夫なのかなって、変な気持ちになったけど。
そのファンにも濃度差があるんだと思いますけどね。温度差というより、濃度差と言わせていただくのは、
「執着」がSPECのファン心理と近いから。原作や出演者への「憧れ」からくるファン心理には
温度差、「執着」となれば濃度の差が出てくるように思うのです。最後の映画まで見て、
餃子のグッズとか、パンフレットとか、SPEC全記録集とか、書籍のほうまで手が出てしまうと、
濃いめのファンかと思います。確か、ガチャガチャとかもありましたねー。可愛かった。
私も本を書店で見かけて、明日買えるだろうと、後日行ったら
「スミマセン…売り切れました」とのこと。即買いの濃厚なファンが思ったより多かった!
品切れを知ったその場で、ガーンときて、作品への脅威と敬意を感じました。
普通のファンの多さだけじゃなくて、よりハマってるファンが多かったですよね。
なんでそんなに執着してしまったのだろう。登場人物は個性派揃いで魅力的でしたね。でも
魅力はあれど、あこがれるようなキャラクターはいなかった。等身大のキャラ、でもなかった。
見る人は、自分と能力者たちを重ねられたでしょうか。
んー重ねられるような能力者がいたかなあ、個性的で哀しかったですよねえ。
哀しいから視聴者は見逃せなかったのではないでしょうか。
当麻と瀬文のつながり方は、見ていて面白かったと思います。
恋愛とも友情とも戦友とも何とも違う絆が新しかったし、
ラストのシーンで腕を掴む、その強さやタイミングに強烈なものを感じました。
二人のつながりを表現するのにぴったりだった。誰かが恋を恋と名付けたように、
愛情の分類でまだ名前がついていない感情があるのだということを目の当たりにしました。
まだ名前のない感情やつながりを表現したドラマだったな、と思います。
だから、見ていたかった。
能力者や、天才頭脳や筋肉主体の人間が、どんなふうに行動するのか。彼らは感情の揺れが
少ないので(目的意識がしっかりしている)、その全員がぶつかりあうとどうなるのか、
一般人の自分にはちょっと予測がつきませんでした。先が読めなかった。普通はいくつかの
パターンを想定して、どれになるのかとドキドキするものですが、SPECでは、常に知らない感性に
出会うので、その感性や感情を想像することから始めないといけなかった。それを式にして
「どうするんだろう。どうなるんだ?」という科学実験さながらのドキドキわくわくを
感じられました。
バイト先で気の強いおばちゃんたちの派閥争いを、巻き込まれないように見るよりも、
怖くて新鮮で快感でした。
それでも、やっぱり、好きじゃない人は全然好きじゃなかった。それが良かったです。
「え、気持ち悪い。怖い。」みたいな人たちがいたり、ふざけてると思われたり、
最後までついてこれなかったり。(ちゃんと結末がつけられないのではと不安でしたが、
終結して良かったです。)わかる人だけ楽しめたのもSPEC愛を深めました。
みんながみんな好きだとつまらなかったと思います。
好きな人たちの間でさえ、好きポイントが違ったのも 良かったですよね。
パロディ探しやギャグが好きな人、純粋に物語が好きな人、キャラが好きな人 …。
全部あいまって、それがまた良いとなる。
未完成という完成は 完成を量産する
熱いドラマを見ると、ちょっと冷めちゃうのかな。乗れない時がありますが、
その点SPECは、表情涼しめの内容だったと思います。クールと言うか暗いと言うか。
にもかかわらず、
ドラマのファンがアニメのファンのようになっている!
(このニュアンスは、私見が過ぎるかもしれませんが)
ドラマのファンが、茶の間を出てきた!腰を上げさせられたぞ!
そんな現象そのものが、SPECの面白さかと思います。
いくら続きが気になっても、映画はあとで家で見られますからねえ。
それまで待っていてもいいのに、待てなかった!
なんなら映画館で見たかった!そういうのがいいじゃないですか。
あれ?普段冷静なあの人が、ちょっと踊ってしまっているよ!みたいな。
そもそも、ドラマファンは作品に対して、 結構大人しめかと思います。
制作側から煽られることも少なく、ファンから食いつくことも少なく、で。
アニメファンには、団体で熱風が巻き起こっている感じがするのですが、
ドラマファンは個々で、茶の間の範囲を超えずに作品に集中している雰囲気かと。
出演者が好きだったり原作が好きだったりで、向かっていくこともありますが、
家で過ごすいつもの時間のいつものテレビで、「見たな」くらいで割と満足することが
多いかもしれません。
確かにヒットした朝のドラマや韓流ドラマのファンには、熱いものがありますが、
しつこさはないな、と思います。これは、見ている場所が観客席なので、
舞台と自分の境界線があるのです。あくまで、娯楽の快楽です。
アニメ作品やSPECのファンは、しつこいです。見ている場所が、疑似世界の中なので、
「入り込む」とはこのこと。観客席に座っている気がしない。
入り込んだ世界というのは自分のいた世界なので、客観性が失われて、執着してしまう。
そんなハマり方の違い、がSPECはアニメ寄りだったと思います。
視聴してもそこで終わらなかった、というのはすごいことです。
見終わらない、というか、作品の生命力が突き抜けていて、放送(放映)終了後も
実体験したかのような名残惜しさを感じさせられるんですよね。
夢と現実が違うゆえに、「夢の世界」というのが別にあるのかな、と思うのに似て、
ドラマの世界と現実の世界が別ではあるけど、だからこそ 「SPEC」の世界が
確立されて感じたのかもしれません。
リアルに感じられたのは、作品の出来栄えが良かったからだと思います。
役者も監督も原作者も宣伝する人も グッズ作る人も音楽もCG作る人も何もかも
みんなが、 すみずみまで いい仕事をしていた。多方面から見て、完成度が高かった。
抜けているところも計算のうち、というか。そして、視聴されたときに完成した。
これが重要なポイントだったのではないでしょうか。
私たちは、完成されたものを見たのではなくて、見ることで完成させていたのだと
そんな気がします。引っかかるポイントもそれぞれちがったでしょうし、
それに対して自分なりの解釈をするしかなかったので。(最後、何であんなに
長時間空を飛んでいたのか、餃子ロボはなんだったのか、等々)
そんな運転ハンドルでいうアソビ部分が多いのが良い所で、事故にならなかった。
こうだ!と固められていると、否定的な意見も持てますが、みなそれぞれ好きなように
完成形を持てた。なんでしょう、芸術性なんて普段のドラマではそこまで気にしない部分に
思い当たらせてくれた作品でもあります。
偶然なのか、必然なのか、勘なのかい?
そもそもが、映画ファンの私は、「劇場版 SPEC〜天〜」がSPECとの始まりで、
あとからドラマを見ました。映画で加瀬亮出演作を追っていて、ほぼ全作見たうち、
SPECで「これが加瀬亮?」と驚きました。こんなに運動する役は、無かったので。
どこか、弱めの役柄が多かったから。逆に、瀬文のイメージで他の出演作を見たら
「違う違う」って言ってしまうと思います。それを言うと、戸田絵梨香も
「ライアーゲーム」と全然違っていて面白い!この二人がSPECの雰囲気をばっちり作ったんだと
絶賛したいところです。すごく華があるわけではなく、まじめオーラが抜けない二人だったので
他の出演者も映えたし、パロディも絶妙に効いていたのだと思います。
SPECロスのまま、次の堤幸彦監督作品「ヤメゴク~ヤクザやめていただきます~」を見ると、
どうも大島優子の「華」が邪魔する感じが否めませんでした。女優と役柄のギャップが
大きくもなく、ぴったりでもなく、中途半端かなー、とテレビの前で頭を斜めにしてました。
役者とはいえ、素のその人を消し去るのはなかなか難しいので、そんなことしないで、うまみを
相乗させるのがいいんでしょうけど。実演しないとわからないですよね。
出来そうで出来なかったり、想像以上に出来たり。
改めてSPECの配役や、役に応える俳優陣の技術が絶妙で、いい塩梅だったなあと感心します。
どうやってこんな作品作れたんだろうって思わずにいられない。
偶然なのか、まさにSPECの成すことだったのかもしれません。ちょっと奇跡を感じてしまいます。
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