スローカーブを、もう一球 山際 淳司 レビュー
①この本は山際 淳司さんのスポーツ選手のノンフィクション作品集です。
「ノンフィクション」つまり、実話を脚色しわかりやすくした作品集なのです。
②江夏の21球やスローカーブをもう一球などが有名な短編集です。
全て実話なので、スポーツが好きな人も読みやすいですし、そうじゃない人でもわかりやすい内容になっております。
③短編集ですのですべてを紹介できるわけではないのですが、それぞれ良さがあります。
普通の大学生がボートでオリンピック出場を狙う「たった一人のオリンピック」
本当にスポーツマンとは無縁の大学生が一念発起し、何かをやりたいというところからスタートします。ボートがいいな、これでオリンピックに出るぞ。スポーツマンというのは幼少から信念があって泣きながら続けているというのが、昭和のスポーツマンの常識ですが、それを覆す主人公です。山際さんは多くのスポーツマンを取材してきたと思いますが、このタイプの選手を取材したことは少ないのではないでしょうか。例外中の例外。しかしそれでも、オリンピック出場を決めるところまでたどり着いたのです。しかしながら、その男のシンデレラストーリーはそこで終わってしまうのです。なぜなら、日本がモスクワ五輪の参加を拒否したため、五輪出場はできませんでした。男がそれについてどういう答え方をしたのか、男がその後、ボートから足を洗ったことなど、やはり儚いのです。それがスポーツマンのシビアな勝敗という、ただそれだけの結果を、山際さんが描いています。オリンピックに出られない。あれだけ頑張ったのに!その悲劇性がこの作品の特徴でしょうか。「それでもスポーツとは無縁だった男の一からはじめたボートが後一歩のところまでいった」この山際さん特有のスポーツの表現。熱と儚さがうまく表現されています。
「江夏の21球」にも山際さんの作風が見て取れます。誰よりもプライドが高く、その性格から様々な球団を渡り歩いている江夏豊。日本一まであと1イニングまで来たところで、最大のピンチが彼を襲います。彼の心境をうまく表現してあると思ったのが、プライドが高く百戦錬磨のはずの江夏豊がピンチになったときに監督がリリーフの準備をさせたことです。あろうことか、リリーフの準備を始めたのは、まだ若い頃の北別府学投手
「ちょっと待ってくれ、このチームのリリーフエースは俺じゃないのか?」
「俺はマウンドを下ろされるのか?」
「監督はなぜ俺を信頼してくれないんだ?」
江夏の不安。焦り。怒り。これは山際さんの著書スタイル、熱心なインタビューによってはじめてわかったことです。当然、試合中にそんなことを口に出してプレーする選手などいません。江夏豊のプライドは他の選手と比べ物にならないくらい強い。高飛車といっていいほど。それに裏打ちされている実力。ランナーが貯まるにつれて焦り出し怒り出す江夏の心境を、この本で山際さんはわかりやすく表現しております。リリーフエースとしての信頼がないことを怒る江夏に、ほかの選手が駆け寄り、お前の気持ちはわかるけど落ち着け、昭和特有の熱い展開でしょうか。今のスポーツ選手はこういう選手はいません。おそらくですが。監督やコーチの言うことが絶対で、江夏豊のような実力だけで監督を認めさせる。自由を認めさせる選手は許されない時代なのです。そういう選手は排除される時代。結果は、ご存知のとおり江夏豊はピンチを抑えて優勝の胴上げ投手となるのですが、当時の映像だけでは、彼の心情までは計り知れなかったと思われます。ノンフィクションライターの山際さんによって、この事実がいろんな人間に知られることになったんでしょうね。江夏の21球の一番の見どころ、「スクイズはずし」あれは技術なのか、マジックなのか、偶然なのか、そこも山際さんがライターだからこそ書けるポイントなんですね。なにしろはずした本人に取材ができるのですから。ちなみに、この本に影響を受けたNHKのディレクターが企画した江夏の21球の日本シリーズドキュメンタリーが放送されてあのシーンがなんども放送されるようになったらしいです。
スポーツマンの心情の変化。それは一流の選手だけの物ではないのです。「背番号94」それがわかるのが、巨人に入団した無名の若手のノンフィクションです。巨人のドラフトにかかってしまったものの、当然、どの球団以上に激しい競争に勝てるはずもなく、すぐに首になり、それでも打撃投手になって球団に残る。打撃投手は意外と難しい。きちんと言われたところに投げられないと怒られます。心境の変化、その投手が同窓会でお前、丸くなったなあと言われたシーンです。日本シリーズで戦ったわけでもない、オリンピック出場を決めたのに、日本が五輪を辞退してしまったという悲劇性もない。単純にスポーツマンの人生を取材し、描いているのです。今の若い人がこの本を見ると「昭和の男」を感じることができるかもしれませんね。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)