八甲田山のあらすじ・作品解説
原作は、1902年に八甲田山で実際に起きた遭難事故”八甲田山雪中行軍遭難事件”を題材にした「孤高の人」「劒岳 点の記」の新田次郎の小説「八甲田山 死の彷徨」。 「七人の侍」「私は貝になりたい」の橋本忍が製作/脚本、加えて野村芳太郎、森谷司郎が脚本を担当し、1977年に公開された日本映画。監督は「潮騒」「日本沈没」の森谷司郎。 時は明治、陸軍上層部からロシアとのシベリア戦に備えて、八甲田山の雪中行軍訓練の大部隊が編成された。青森発の青森第5連隊210名を率いる指揮官神田と、弘前発の弘前第31連隊27名を率いる指揮官徳島の2隊に分かれ、すれ違い地点となる八甲田山での再会の約束を交わす。しかし、神田大尉の計画は内部事情からことごとく狂い、210名の大行軍が見る間に半数に減り…。 神田に北大路欣也、徳島に高倉健など名優が揃い、真冬の八甲田で行われたロケの凄まじさが話題となった。他に大滝秀治、緒方拳、三國連太郎、栗原小巻、菅井きん、秋吉久美子、島田正吾、丹波哲郎、藤岡琢也、小林桂樹、東野英心など。
八甲田山の評価
八甲田山の感想
寒い・・・寒すぎます。
舞台は明治34年冬、青森、冬の八甲田見てるだけで寒い。この物語は実際にあったであろう雪中行軍の模様を壮大なスケールで描かれたもの。実際の八甲田での撮影と聞いて目玉が飛び出そうなほどに驚いた記憶があります。私がもしそこにいたらって想像してみたらもう即凍死でしょうね。ガチガチに震え死ぬなんてもう地獄すぎる。八甲田で噂されている怪談話の元にもなっている悲劇をぜひ味わっていただきたい。生身じゃなくて鑑賞してください。部隊といえば上官がつきもの。すべては自分の目上である上官次第。もし私自身が上官だったらどういった選択をしたでしょう。みんなは自分の命令で動き、命も自分の命令しだいで大きく左右されるものもある。精神的にも肉体的にも疲れきってしまうような気がしました。
観覧注意!雪山は死地である、実録映画。
八甲田山遭難事件自体は史実ですが、映画の中の設定にはいろいろと創作が混じっているとのこと(案内役の女性とのやりとりなど)。そうはいっても、悲劇とわかって見ても、正視に耐えないシーンのある映画です。道を見失い、正確な地理のわかる人間もない100人以上の団体が、野営も行えず、眠らずに雪山を行ったり来たりしたら、そりゃあ、死にますよ。新田次郎が事件の検証を行って書いた小説を原作としているため、遭難につながる要因とされる出来事もちゃんと映画のなかで出てきます。それを見ても「なんで?」と言いたくなる話。これだけの雪山や猛吹雪ってなかなか経験できるものではありませんが、見てるだけで十分に恐怖です。
明治期の山岳遭難事件、「八甲田山」
八甲田雪中行軍遭難事件(はっこうだせっちゅうこうぐんそうなんじけん)は、1902年(明治35年)1月に日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が八甲田山で冬季に雪中行軍の訓練中に遭難した事件。訓練への参加者210名中199名が死亡(うち6名は救出後死亡)するという日本の冬季軍訓練における最も多くの死傷者が発生した。日本陸軍は1894年(明治27年)の日清戦争で冬季寒冷地での戦いに苦戦した。そしてさらなる厳寒地での戦いとなる対ロシア戦を想定し、準備していた。日本陸軍にとって冬季訓練は緊急の課題であった。対ロシア戦は2年後の1904年(明治37年)に日露戦争として現実のものとなった。雪中行軍には青森から歩兵第5連隊210名が、弘前から歩兵第31連隊38名が参加した。うち青森歩兵第5連隊が遭難した。
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