八甲田山の感想一覧
映画「八甲田山」についての感想が4件掲載中です。実際に映画を観たレビュアーによる、独自の解釈や深い考察の加わった長文レビューを読んで、作品についての新たな発見や見解を見い出してみてはいかがでしょうか。なお、内容のネタバレや結末が含まれる感想もございますのでご注意ください。
指揮権の所在と責任の明確化、指揮官の資質と判断力の重要性、周到な調査と準備の必要性などと共に、大自然に対する畏敬の念の重要性をも考えさせられる映画 「八甲田山」
この映画「八甲田山」は、「砂の器」に次ぐ第二作として、橋本プロダクションが東宝映画と製作提携した作品で、脚本は橋本忍、監督は「動乱」「海峡」の森谷司郎、原作は新田次郎の「八甲田山 死の彷徨」。 昭和49年2月にクランクインしてから、3年余の歳月と7億円の製作費と30万フィートを超すフィルムを費やして完成された、当時の日本映画界にあっては未曾有の超大作です。 この映画のテーマについて、森谷司郎監督は、「厳しい自然と人間の葛藤を通して、人と人との出会い、その生と死の運命を描かなければならない。自然の思いがけない不意打ちと、それに対応しようとする人間の闘い、その強さと、胸にしみるような悲しさを八甲田山中の、人間を圧倒するような量感で迫ってくる雪の中で、アクティブに描きたい。それには映画のもつ表現力が、もっとも強く迫ることができるにちがいない」と語っています。 原作と映画を比較する事は、もともと芸術の分野...この感想を読む
寒い・・・寒すぎます。
舞台は明治34年冬、青森、冬の八甲田見てるだけで寒い。この物語は実際にあったであろう雪中行軍の模様を壮大なスケールで描かれたもの。実際の八甲田での撮影と聞いて目玉が飛び出そうなほどに驚いた記憶があります。私がもしそこにいたらって想像してみたらもう即凍死でしょうね。ガチガチに震え死ぬなんてもう地獄すぎる。八甲田で噂されている怪談話の元にもなっている悲劇をぜひ味わっていただきたい。生身じゃなくて鑑賞してください。部隊といえば上官がつきもの。すべては自分の目上である上官次第。もし私自身が上官だったらどういった選択をしたでしょう。みんなは自分の命令で動き、命も自分の命令しだいで大きく左右されるものもある。精神的にも肉体的にも疲れきってしまうような気がしました。
観覧注意!雪山は死地である、実録映画。
八甲田山遭難事件自体は史実ですが、映画の中の設定にはいろいろと創作が混じっているとのこと(案内役の女性とのやりとりなど)。そうはいっても、悲劇とわかって見ても、正視に耐えないシーンのある映画です。道を見失い、正確な地理のわかる人間もない100人以上の団体が、野営も行えず、眠らずに雪山を行ったり来たりしたら、そりゃあ、死にますよ。新田次郎が事件の検証を行って書いた小説を原作としているため、遭難につながる要因とされる出来事もちゃんと映画のなかで出てきます。それを見ても「なんで?」と言いたくなる話。これだけの雪山や猛吹雪ってなかなか経験できるものではありませんが、見てるだけで十分に恐怖です。
明治期の山岳遭難事件、「八甲田山」
八甲田雪中行軍遭難事件(はっこうだせっちゅうこうぐんそうなんじけん)は、1902年(明治35年)1月に日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が八甲田山で冬季に雪中行軍の訓練中に遭難した事件。訓練への参加者210名中199名が死亡(うち6名は救出後死亡)するという日本の冬季軍訓練における最も多くの死傷者が発生した。日本陸軍は1894年(明治27年)の日清戦争で冬季寒冷地での戦いに苦戦した。そしてさらなる厳寒地での戦いとなる対ロシア戦を想定し、準備していた。日本陸軍にとって冬季訓練は緊急の課題であった。対ロシア戦は2年後の1904年(明治37年)に日露戦争として現実のものとなった。雪中行軍には青森から歩兵第5連隊210名が、弘前から歩兵第31連隊38名が参加した。うち青森歩兵第5連隊が遭難した。