本当の悪とは何か
一瞬においを感じた
一気に心をつかまれた。状況を把握するのに少し時間がかかったが異常な空間なのはすぐに分かった。暗く薄汚いだだっ広い場所、機械の音、加工しているニオイ、そんなものが感じられるようだった。
戸惑うことなく行われる彼女たちの儀式。なぜ、なぜと疑問が沢山浮かんで期待度が一気にあがる。
どうしてそんなことをしているのか、これからどんな風に彼女たちの闇の部分に迫っていくのだろうとどんどん引き込まれていく。残虐で恐ろしい思想。まだ若そうな2人になぜこんなことが出来るのか。
こんなにも躊躇せずあざ笑いながらさらっと行う。どんな理由にせよ、自分や自分の大切な人には関わってほしくない、そんな風に思った。
しかし、さっきの思いはすぐに下降してしまう。彼女たちの前に彼が現れて、問題が彼にすり替わってしまったからだ。彼への取り調べが始めり、最初の事件の存在がどんどん薄くなってしまった。
これは本当に残念だった。え?これでおしまい?って感じだ。
犯人と彼は似ているのだからそれを押していくなら彼のことを深く知ることと同じくらい最初の事件も大事な事のように感じた。この点はとても残念だった。
彼がかかえる問題とは
ただまっすぐ立っている。姿勢がいいわけでもなく猫背でもない。ただ、ただ、立っている。
そんな彼が何を感じ、何を考えているか。それを見抜きたいと思っていた。しかしなかなか答えにたどりつかない。知りたいのに小出し過ぎて結論にたどりつかない。多少のいらつきを覚えた。
最初に出てきた犯人と彼の関係性やこれからどうかかわっていくのかが全体の半分を過ぎても全くわからない。早く知りたい、そう思わされたのだとしたら完全に思うつぼだったかもしれないが、もう少し早めにわかると飽きないで引き込まれてしまうのにと残念でならない。最初にぐっとつかんだ心を離さないで欲しかった。とにかく最初の印象とは違ってしまった。
間違った思想
親が教えたことを子供は覚える。いいことも悪いことも。
やってはいけないよと教えてもやってしまうのはなぜだろうかと考えたことがある。
未だに答えは出ていないが、多分子供にも感情があるからではないかと思う。
ダメなことほどやってみたくなる。それは誰しもが一度は立つ分岐点なのかもしれない。
でも悪いことにもレベルがあって、どこでブレーキを掛けるか。そこで今まで育った環境や親の教え、
人間関係が関連してくるのではないかと思う。一歩間違えたらみんな道をはずしても仕方がないかも
しれない。心が壊れてしまったら人はどうなってしまうのか。人から感情を奪うということが果たして出来るんだろうか。その答えがこの映画にはあるのかもしれないと思えるようになったころ、私の興味はやっと彼へ移動したのだった。
人は真実を見抜けるのか
反省したと判断する基準に明確なものなんてあるんだろうか。長い年月反省したらもう二度としない人間に生まれ変われるのだろうか。きっと一人では変われないだろう。だから医者がいてサポートしてくれるのだ。でももう大丈夫と判断するのは誰で、その人はどれほど人を理解する力があるのか。今までの研究結果に基づいて作成されたマニュアルで全ての人を判断できるんだろうか。そんなことを思いながらそれでも最終的にはそういう偉い人たちや頭のいい人たちの判断によってすべては決められているんだろうなと思った。
そうするしかないんだろう。仕方ないのだ。本当のことは自分だけが知っている。自分を偽って、他人をだまして抜け出そうとしている人もいるかもしれないのだ。それに、治ったはずが誰かのささいな一言でスイッチが入り、また振り出しに戻ってしまうことだってきっとあるだろう。
こういう時、周りの人間はむなしくなる。特に親はそうだろう。子供が悪いことをすると親の責任になる。これは間違っていないと思うが絶対に間違っていないかというとそうでもなように思う。
親の責任
息子の犯した過ちを正す力を親が持っているという考えはナンセンスではないだろうか。
もちろん育てたのは親だ。子供の人格を作るのも親ではないかと思う。でも周りにいる理不尽な大人たちや友達の影響で心が変わっていくことだってある。第三者の言葉だから響くこともある。
私は友達に恵まれないことで人生が変わることがあるのではないかと思っている。教室で1人にならなければ学校をやめることも避けられるかもしれない。もちろんすべてを友達のせいにしているわけではない。ただ、何かが起こった時、一番に近くにいられるのは親とは限らない。そこに正しいことを教えてくれる人がいたら、もしかしたら防げたかもしれないのにと思わずにいられないのだ。
どうして誰も止めてくれなかったのだと思わずにはいられない。それが人でなくても、なにかのきっかけで犯行をやめることは出来なかったのか。大雨とか防風とかそんな誰のおかげかもわからない何かの力で運命が変わってくれさえしたら…。
母親が泣きながら謝るシーンは他人事ではないように思えた。謝ることしか出来ない。
母親ですらどうしていいかわからない。でも子供を信じたい気持ちもどこかにはあって、疑う気持ちもぬぐえない。自分の子供を信じられないほど悲しいことはないのだ。そして亡くなってホッとする瞬間もあったかもしれない。自分の意志とは無関係に動いてしまうのはもう子供ではないから仕方ない。
子供にも意志があって、感情がある。親の思い通りに行くのはせいぜい小学生までだろう。
子を操縦できなくなった時、親と言うものは怒りと悲しみと苦しみと死を意識する。
本当の心
では、許さなければいけない立場の人間はどこで自分の悪意や心の葛藤を消化させるんだろう。
彼女は彼の反応を見るためと自分の心に言い聞かせ、あわよくば自分の弟を殺した人に仕返ししてくれるんじゃないかと期待していたのではないかと思う。しかし彼に、殺してはいけなかった、
私の気持ちがわかる?と言っていた。が、本当の心はどうだろう。
息子を殺した犯人の死を知った母は、無念を晴らしてもらえて生きることに前向きになった。何を言っても変わらなかった母親の心が救われたのだ。私なら意図的にそう促してしまったかもしれない。
そして何か言われたら、あくまで彼の心を動かすためにしたことだと嘘をつきとおす。
そして自分がしたことを悔やんだり、それでよかったのだと言い聞かせたり、悩み苦しんで、一生自分の心と向き合うために自分に制裁を与えるんじゃないかと思う。それは自分を戒めるためでもあり、
自分をいつか許せるようにする為でもある気がする。だから彼女の本当の心が見たくなった。
何を伝えたかったのか
私は精神科医の女性は母親を疎ましく思っているのではないかと思った。
あんなに太っていて動かない、大声をあげて自分を呼ぶ。これが毎日続いたら最初は優しく出来ても
だんだんつらく、苦しく、面倒な存在になるだろう。彼女は職業柄そういう感情にならないのかもしれないが私には耐えられないと思う。てしまった理由があって、それを痛いほどわかっていても、母は自分だけそのつらさと向き合うのをやめ、現実から逃げてしまっているように感じる。
そして自分はそうもいかない。なぜなら母親が先に壊れてしまったのだから。先に壊れたもん勝ちなところがある気がする。残された方はしっかりしなければいけなくなるから。彼女の場合、自分の立場もあるから、家でも職場でもしっかりしなくてはいけないなんてとてもつらいはずだ。
気持ちを吐き出せる場所が彼女にはないような気がした。彼女だけの苦しみにスポットをあてても
よいのではないかと思うくらいだ。彼女は本当に弟を殺した犯人を殺されて心がすっとしなかったのか。それを知りたい。
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