自らの手で新しい道を開く - 美貌の果実の感想

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美貌の果実

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画力
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自らの手で新しい道を開く

5.05.0
画力
3.5
ストーリー
5.0
キャラクター
5.0
設定
5.0
演出
5.0

目次

歯を食いしばって生きるキャラクター達

川原泉の描くキャラクター達は能天気で、とぼけていて…なんてことは川原の漫画解説でよく言われてきたことだ。しかしそれは表面上でのことであって、芯は強いなどということも繰り返されてきた。

それを否定はしない。実際にそうだからだ。しかしながら、そういった解説をそのまますんなりと受け入れられない感情もある。川原漫画を読み込めば読み込むほど、キャラクター達が様々に歯を食いしばって、明るい方へ明るい方へと己を奮い立たせて生きている、生身の人間が如く感じられるから、簡単な表現で済ますことができない。

この感情は、他の人には分からないが、自分にはよく分かるという気持ちに近い。キャラクター達が表面ではのんきに笑っているように見えても、内面では人生の悲哀を怖ろしいほどに深く抱えているのが、よく伝わるからであり、それは川原の力量の凄まじさを表している。

淡泊で素朴な絵柄。中身を知らなければ、こんなにも強い魅力を放つ漫画だとは思えない。実際、初めてこの漫画集を手にした時は、同じ手でティッシュを何枚も掴むことになるとは思わなかった。涙を流さずにじっくり読むことができるようになってからは、同じ手を腹だの胸だのに当てるようになった。どこまでもやるせない哀しみと切なさがじんじんと沁みてくるのが、これらの身体部分なのだ。精しゃんが七実のために力を使い果たした時、ばーちゃんが智彦に死の床で語りかける時、ばーさまが本来のばーさまに戻った時、冬騎をお父さんが病院に連れて行く時、なんとも言えない強烈で静かな感情が腹や胸を直撃する。その度にそうした部分をさする。さすって、少し癒えるとページを繰って、また同じ場面を読む。そうせずにはいられない。それは、キャラクター達が懸命になって最後に笑う時、一緒になって笑いたいからである。

他の川原漫画でも、こうした感情に襲われることはあるが、特にこの漫画集では、親しい人、近しい人との死別という、生きる上で最も忘れがたく拭いきれない悲しみを経験する人々が登場し、手でさすることを何度も行う。そして、新しい愛を人々が得た時、ほっとして笑うことも同じ回数、行う。

「うっかり」と演出する川原マジック

とりわけて、冬騎がお父さんと病院へ行く場面。冬騎は自らのルーツである血縁上の父をただじっと見つめる。その男も冬騎と同じ目で見つめ、最後に微笑んで瞳を閉じる。冬騎は男に対して、どういう感情を抱いたか、それは描かれない。恐らく何の感情も持たなかったのだろう。持たなかったというより、持てなかった。これがお前と血の繋がっている父親だよと言われて、そしてその父親という人物が死の間際であると言われて、三カ月前から知っていたとは言え、冬騎はどういった気持ちになればよいのか分からないのではないか。冬騎の肩に乗っている、カメになった雪村さんの点目が、そうした冬樹の感情を純粋に表している。むしろ、冬樹の後ろに目を逸らして立っているお父さんの方が複雑な悲しみを抱えているのだろうことが、表情やたたずまいから読み取れる。この場面から、読者は場面には描かれていないお母さんや、男の姉も含んだ、様々な立場の人々のそれぞれが感じる気持ちを一気に受け取る。何人もの抱える、単純化できない感情を受け取るわけだから、大きな波にのまれたような、思い鉛を鈍くぶつけられたような感覚に陥るのだろう。

けれども場面転換、「…B AB…」の台詞のコマで描かれる冬騎の顔と同じ横顔を見せる冬騎は「好きだから」と雪村さんに優しく言う。何気ない日常会話のように、穏やかに。だから雪村さんはのほほんと、冬騎もケーキが好きだと言ったのだろうと「あ氷室さんも?」と返事をする。ここで読者は深刻な気分から、冒頭で展開されたのんびりとした空気に「うっかり」と引き戻される。だから、冬騎が「ボクにも見えるかな~」なんて、さっきまでの凛々しくクールなお前はどこ行った、キャラ全然違うやんけ、といった突然の人格変更も「うっかり」受け入れて、主様と一緒ににっこりできるのだ。

愛の終わりと再生

読者が冬騎や雪村さんと一緒に経験するのは、お母さんが一度、お父さんへの愛を捨てて男と過ちを犯したという“夫婦間の愛の終わり”、過ちを犯すものの、お父さんの元へと帰り、お父さんが全てを受け入れたことで成り立った“夫婦間の愛の再生”、しかしながら同時に終わりを告げた男とお母さんとの“男女間の愛の終わり”、そして、男とお母さんとではなされなかった、両者からのルーツを受け継ぐ冬騎が雪村さんと育んでいくであろう“男女間の愛の再生”である。

「美貌の果実」でも七実を産んだ母と父とは夫婦間での愛を終らせ、それが再生することはない。加えて、血縁上の母と子である七実との間に結果として別れがある。しかし、産みの母は能動的に子供を手放したのではなく、あくまで結果がそうなってしまったと考えている。だから、七実が「ありがとー おばしゃん」と言ったことにショックを受けるのである。

一方の七実は、それが意図して行ったことではないにせよ、自らで古い親子間の愛を終らせ、菜苗と新しい親子間の愛を再生していく。冬騎と七実はルーツとの別れを経て、自分の手で新しい愛を再生していくのだ。

暗く辛い過去や根源を抱えながらも、自らで新しい道を作り出したからこそ、ブリザードの目をした冬騎も最後にはのんびりと笑って、ほのぼのとした未来を予感させるのだろう。

そして、読者もキャラクター達と同じように最後に笑うことで、新しい道は自らで作れるのだということを無意識に読み取る。それこそが、川原漫画の真髄であり、また、この漫画集が川原泉傑作集とされる所以であろう。

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