大人も子供も夢中になった昼ドラ風の大ヒットドラマ
目次
堀ちえみさんが初々しい
スチュワーデス物語は1983年のヒット作であるが、今思うと主人公の堀ちえみさんがあまりに幼かったように思え、堀さんの当時の年齢を調べてみたところ、16歳であった。
16歳と言えば、高校1年生か2年生である。大人の先輩女優に混じり、19歳設定とはいえ社会人としてスチュワーデス(現:CA)を目指す一人の女性を演じることは、容易ではなかったのではないか。
主人公の松本千秋は、一生懸命だけどドジでお世辞にも優秀なスチュワーデス候補とは言い難い。共感への憧れや恋も、まるで初恋のようである。はっきり言って先入観もあるのだが、客室乗務員のような花形職業を目指すような人は、少々気位が高く優秀で、男の一人や二人ふることもなんとも思っていなさそう・・・そんなイメージがあった。しかし、中には地味でも愚直に夢に向かって歩み、恋も一生懸命な人もいる。そんな純粋な19歳の千秋の姿は、客室乗務員という仕事がきらびやかなだけではないことを世に示すことにもなったように思う。
リアルタイムで見ていたのは20年以上前なのに、全く記憶から色あせることがなく、堀さんのイメージも可愛らしい千秋の印象が強い人も多いのではないだろうか。
火曜日のゴールデンタイムのドラマなのに、昼ドラ級のドロドロ展開
毎週火曜日の夜8時台のドラマだったが、内容としてはスチュワーデス訓練生の青春ストーリーのような爽やかな一面がある一方、今ではあり得ないくらいドロドロとした展開のドラマだった。
今ではトレンディードラマの流行以降、夜のドラマは爽やか路線やカッコよさを追求しているような作品が多くなってきているが、この作品は昭和時代によくありがちだったセリフが仰々しいわざとらしい展開のドラマだと言える。現在でも韓流ドラマや昼ドラにはこういった傾向が色濃いが、なぜかこういうドロドロした展開のドラマには中毒性の様な面白さがある。
スチュワーデス物語も、訓練生と教官のみにスポットが当たり、CAのカッコよさだけに焦点を当てたとラマだったら、ここまでのインパクトはなかったか知れない。
しかし、村沢教官のフィアンセ、悪役の真理子の存在と彼女の犯罪級の悪事や邪魔の数々のせいで、やきもきしながらもスリリングで目が離せない展開になっている。実際こんな人いないだろ?こんな事件起こらないだろ?と思うような展開でも、理不尽さとどう戦って問題を解決していくかということに夢中になれ、大変続きが待ち遠しくなるストーリー展開は見事であった。
世代を選ばずに愛された故に流行が色々出たドラマ
このドラマはゴールデンタイムの放送だったせいか、あらゆる世代に注目され、また、作中名台詞が数多くあり、流行語も色々出た。
松本千秋は自分のことをドジでのろまで馬鹿と卑下するだけではなく、教官や課長にまでドジでのろま、ぐず、頑固など言われ放題だった。千秋が素直な性格で、自分の性分を受け入れていたため、「ドジでのろまな亀」というセリフが水戸黄門の印籠並みに出てきたが、それはすっかり流行語になってしまった。
若干わざとらしく仰々しいセリフも多かったせいか、「やるっきゃない」といった訓練生同士の励ましの言葉なども流行り、村沢の恋人真理子の脅し文句「ヒロシッ」なども真似する子供が多かった。
また、このドラマでは訓練生が替え歌を歌うシーンが多く、洒落男という歌の替え歌で教官のことを歌ったり、アニメ巨人の星の替え歌で訓練を乗り切る士気を高める歌を歌うなど、ユニークなシーンが多かった。最近はあまりないが、昭和の時代は間抜けな替え歌が子供の中でかなり多く根付いていたため、作中の替え歌を真似して歌う子供も数多くいた。
主題歌の「ホワット・ア・フィーリング」も、洋画のフラッシュダンスの主題歌でもあったため大ヒットし、日本ではフラッシュダンスよりスチュワーデス物語の主題歌という認識が強い。
一部の層だけではなく、多くの層に支持されるドラマだったせいか、このドラマは流行面においては社会現象も起こしていたように思う。
謎の100℃でHEART BERT
この曲は作中で、訓練生がこの曲に合わせて踊るシーン(ダンスパーティやバーベキューでの野外でのダンス他)で使用された。歌は教官である風間杜夫さんが歌っており、総集編ではなんだか気まずそうにこの歌を歌う共感を中心に訓練生がダンスをしているのだが、作中では流行のダンスナンバーという扱いになっている。
総集編のダンスでは、ちえみさん演ずる千秋が教官を真摯なまなざしで見つめ、一生懸命踊っていたのが印象的なシーンである上に、風間さんがあまりに照れ臭そうというか気まずそうなのが印象的なので強烈に脳裏に残っている人も多いのではないか。風間さんにとっては黒歴史なのか、風間さんがこの歌を歌っていたことを知る人も少ない。
こんな仲間が欲しい
今、パワハラやセクハラ、モラハラなど、働く職場での対人に悩む人が本当に多くなった。そのせいで心身を病む人や離職率も高くなっている。
この作品の冒頭で、1983年当時、日本航空のスチュワーデス訓練生への道は、5000人の応募者に対して80人の合格者しか採用されない狭き門だったことが、千秋たちの会話から明らかになっている。約70バイトは恐ろしい倍率である。ドジでのろまとはいえ、その難関をクリアしただけでも、千秋は実は十分優秀なのではという村沢の読みは当たっているように思う。
それに、それだけの応募者があり、半年ごとにどんどん訓練生をスチュワーデスとして採用するだけ航空業界も好景気だったことがうかがえる。
夢を追いかけることに素直に夢中になれる時代だったことや、たとえ教官が厳しかろうが、訓練が大変だろうが、家族のように公私ともに相談に乗ってくれる仲間の存在や楽しい寮生活に、こんな環境で仕事をしたいと思う人も多かったはずである。当時だけでなく、もしこのドラマが平成の今放映されたら、こんな環境で仕事ができればどんなにやりがいがあるだろうと感じる人も多いだろう。
教官の村沢だけでなく、訓練課長の訓練生への愛情は、厳しいながらも真に思いやりを伴っていることがひしひしと伝わってくる。また、兼子など千秋に若干意地悪をする仲間も、千秋を追いつめるようないじめをするのではなく、根底には仲間意識がしっかり根付いていて憎めない。
こういった理想的環境の描かれ方も共感を呼んだ理由であろう。
未来を感じさせるユニークな結末
村沢と千秋の恋愛は、横やりや誤解、教官と訓練生という葛藤を経て、最後は村沢の婚約者真理子が憎悪の果てでの結婚を諦めることにより、もしかしたら二人はうまくいくのでは?と思わせる。
しかし、この物語のラストは、二人が結ばれるラストではなく、千秋が無事スチュワーデスになり、訓練所を去るシーンで結末を迎える。
「世界の空を、飛んで、飛んで、思い切って教官の胸の中に飛び込んでもいいでしょうか?」
千秋のこの問いには、村沢はイエスと答えている。
夢をかなえたばかりの千秋には、まだまだ社会経験が必要であり、千秋がもっと成長し大人の女性として一人前になった際に、再び会って恋をしたいという二人の未来の約束を感じる。ラストシーンは、千秋たち同期のメンバーが訓練所に別れを告げるシーンで終わっているが、村沢に依存気味の千秋には、独り立ちをして魅力的な女性になることで夢がかなうという終わり方で良かったように思う。
村沢も千秋を好いているものの、自分に依存しなくても頑張ってほしいと常々思っていたようなので、夢をかなえた先に女性としての幸せも待っているだろうという、希望に満ちた終わり方は、はっきりとした後日描写がなくても想像でき、かえってすがすがしい。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)