限りある命を恋の炎にゆだねる女を通して、孤独なヒーローが知った生きることの意味を静謐なタッチで描いた 「ボビー・デアフィールド」 - ボビー・デアフィールドの感想

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ボビー・デアフィールド

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映像
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脚本
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キャスト
4.50
音楽
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演出
4.00
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限りある命を恋の炎にゆだねる女を通して、孤独なヒーローが知った生きることの意味を静謐なタッチで描いた 「ボビー・デアフィールド」

4.04.0
映像
4.0
脚本
4.0
キャスト
4.5
音楽
4.0
演出
4.0

限りある命を恋の炎にゆだねる女。孤独なヒーローが知った、生きることの意味。勇気と優しさを与えあって、たとえ生と死が二人を分けようとも、愛は命の証なのだ-------。

シドニー・ポラック監督の「ボビー・デアフィールド」の主人公は、一流のレーサーだ。傲慢なまでに、いつも沈鬱げなボビー・デアフィールドは、演じるアル・パチーノがぞくっとするほどの翳りと憂愁の佇まいを見せる男で、惚れた女はさぞや辛いだろうなというタイプだけれど、同棲する恋人のリディア(アニー・デュプレー)は、べたつかず、まとわりつかず、そっけないほど淡々としていて、馴れきった愛人関係に、格別の情熱と波風もない。

パリに住むボビーを、アメリカから兄が訪ねてくる。ボビーが生まれ故郷を捨てて、何年になるのか。印刷業を営むらしい、いかにも平凡な中年の兄が。わずかばかりの父の遺産と土地のこともある。母も70歳になった、一度家に帰って欲しいとの願いをにべもなく撥ねつける、実に冷淡なあしらいをするボビー。

久し振りの兄との出会いに、あわただしく空港の喫茶室を指定し、濃いサングラスをはずさず、笑顔も優しさもなく、せめてもと兄が手渡す、両親や家族や自分の幼いころの写真に、眼もくれないのだ。

ボビーのこの冷たさは、なぜだろう。恐らく、故郷と訣別し、肉親との愛の絆を断ち切り、束縛から解放されてこそ、彼は深い虚無の孤独に身を置いて、死と隣り合わせのスピードの世界に挑戦することができるのだ。つまりは、冷酷さも非情さも、身の保全のためのエゴイズムなのだと思う。

死を恐れない、といったら嘘になる。どうして、死が怖くないはずがあろう。ボビーの仲間が、レース中に事故を起こし、ひとりは死に、ひとりは大怪我をする。車の欠陥か。それともコースに兎でも跳び込んできて、注意を奪われたのか。ボビーは原因を追究するため、スイスのアルプスの高原の療養所に、チームメイトを訪れる。だが、彼は「曲がる角度を錯覚したのだ」とのみ言い、兎の存在については言葉を濁す。つまり、レーサーの眼の前をよぎる兎は、彼らを死に導く、死の"象徴の幻影"なのだ。

このあとボビーもまた、信じがたい事故を起こし、転倒炎上したフォーミュラ1からはい出し、九死に一生を得るのだが、彼は見たに違いない"兎"の幻影については、語りたがらない。ボビーは、自己の深層心理の中で、"死"を意識し、恐れながら、けれどそれを拒絶して強気を装うのだった。そして、ボビーは、療養所の食堂で、ドイツ語で話しかけてきた、美しいけれど、なにやら突拍子もなく、不思議な魅惑を持つ、リリアン(マルト・ケラー)と知り合うのだった。

お名前は?  お仕事は?  出身地は?  やたら問いかけてくる、好奇心いっぱいの彼女は、死ぬことは考えない?  同じコースを走っていて退屈じゃない?  怪我をしたことあります?  と質問を重ねてくる。それに対するボビーの答えは、ネヴァー、ネヴァー、一度もない、だ。まあ、スゴイわね、と入院患者とも見えぬ明るさ元気さで、彼女は感嘆する。これが二人の、運命的な恋の出会いであった-------。

夜、同じ食堂で、また隣り合わせて、奇術師のショーを見る。手品を信じる?  と彼女。ノーとボビー。運命は?  分からない。神を信じる? ノー。深夜の酒場で、ボビーは、仕事を終えてきた奇術師と一緒になり、一杯おごってやって、見事なヴァイオリンの手品のタネ明かしを教えてくれという。モーターか、マグネットを使っているんですか? 老いた奇術師は答える。マジックです。-------生と死を分けるのも、運命の魔術なのであろうか。

早朝、ミラノへ発つボビーの車に、病院を無断で脱出したリリアンがやって来て、同乗をせがむのだった。あなたって、よく死を前にして平気ね。ハンドルの握り方も優しくて女性的で、ゲイなの? ------などなど、言いたい放題のリリアン。

だが、車を積んだ列車がトンネルの暗闇をくぐり抜ける時、彼女は悲鳴をあげたい、という。あなたも叫んでとうながし、嫌だ、と断られて、顔をゆがめたリリアンは、全身から絞り出すように絶叫すると、身を震わせて慟哭するのだった-------。

不思議な女だ、風変わりな女だ。なぜか心惹かれて別れがたいボビーは、スイスからイタリアへ入ると、コモ湖をフェリーで渡って、湖畔の宿に一泊する。「抱いて」と、リリアン。だが、ベッドで背を向ける彼女の髪に、その手を触れ愛撫した時、小さな束になって抜け落ちた髪の毛をつかみ、ボビーは愕然とする。あわてて、元へ戻す。この時、彼女が、声を忍ばせて泣いていたことに、彼は気付かない。そう、彼女が白血病の末期であることさえ、まだ彼は気づかないのだ。

限られた命であればこそ、死を宣告された身であればこその、リリアンの奇矯な行動なのだ。気まぐれも、刹那的な衝動も、人恋しさの明るさも、発作的な叫びも、突き刺す皮肉も、冷笑も優しさも、懐疑も官能も憂愁も、全ては迫りくる"死"に対する、恐怖と戦いと逃避と諦観の錯綜なのだ。

彼女が、湖の上を飛んで行く気球を追いかけたがったのも、のちに、彼を置いてけぼりにして、巨大な気球に乗り、空高く飛んで行ってしまうのも、全て納得がいくのだ。だが、そうとは知らぬボビーは、リリアンをフィレンツェの豪華な邸宅に送り届け、ミラノへ寄ってパリへ帰ると、待っていたリディアが、男友達からの情報で、ボビーの浮気をかぎつけていて、嫉妬の喧嘩となるのだった。やっぱり、リディアも並みの女なのだ。

リリアンを忘れがたいボビーは、フィレンツェに行き、再会のリリアンと愛の時を過ごすのだが、気球に飛び乗った彼女の気まぐれに腹をたて、パリへ戻ってしまうのだった。そして、レースで事故を起こし、奇跡的に助かったボビーに、リリアンが不治の病におかされ、男連れの旅を重ねていることを、冷たく告げるのはリディアであった。

死を前にしたリリアンを訪ねて、はじめてボビーは優しく心を開くのだった。子供の頃、得意だった、メイ・ウエストの物真似をして笑わせる。家族の写真を、自分の幼い頃の写真を見せて思い出を語り、うずくような肉親への情愛をのぞかせるのだった。彼女にとって、二人にとって、残り少ない限りある日々を、愛に満ちて共に暮らすのだった。

そして、再び高原の療養所に送りこんだリリアンの、その最後を看取ったボビーは、またあのトンネルを通り抜ける。だが、暗闇のかなたに、光がさす。彼の涙を通して、明るい風景が近づき、やがて広がっていく-------。

ボビーとの愛によって、リリアンは、安らかに死を迎えたのだ。リリアンとの愛によって、ボビーは、生きることの意味を悟ったのだ。彼らはお互いに、勇気と優しさを与え合った。生と死が二人を分けようとも、愛は"命"の証であることを、観ている我々も知るのである。

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