90年代日本のリアルと、様々な「リバーズ・エッジ=境界線」
90年代日本のリアルと、様々な「リバーズ・エッジ=境界線」
リバーズ・エッジ(河のほとり)というタイトルがこの作品のほぼ全てを表していると思う。
これは様々な境界線を巡る若者達の物語だ。90年代のとある高校を舞台に、退屈な日常を過ごす主人公ハルナと、それを取り巻く人々が様々なレイヤーで描かれていく。作品連載が93年~94年とあるから、いわゆるバブル崩壊後の「失われた20年」が始まった頃だろうか。経済成長とバブル景気が終わり、豊かで均一化された近代国家として生まれ変わった日本で、「平坦な戦場」を生きる登場人物たちは、セイタカアワダチソウが生い茂る河原の、白骨化した死体に生のリアリティを見出だす。ここでの河とは、まさにあの世とこの世を分けるボーダーラインであり、河原はその狭間の地点ということになるだろう。実際に物語のほとんどのエピソードはこの河の周りで進んでいく。死体初登場のシーンでは、観音崎と田島カンナのセックスシーンがカットバックで現れ、生と死の対比がより色濃い形で描かれ、堤防でのクラスメート男子の都市伝説めいた噂話、橋の上で山田がUFOを呼ぶシーン等、「あちら側の世界」と関連したエピソードは河を背景にして語られる。
境界線上の人物とパラノイア達
生と死の境界線としての河を軸に、様々な境界線が物語には登場する。男と女の性を超える存在としての性的マイノリティの山田と吉川こずえ。山田は男婦としてオヤジ達に身体を売っていて、拒食症でレズビアンの吉川は芸能界で活躍するモデルでもある。この二人の登場人物が誘い手となって物語は進んでいくのだが、彼等はある種のボーダーラインへの案内人とも言える、実際河原の死体を発見したのはこの二人だ。そして彼等は境界線をまたいだ存在でもある。袋に入った猫の死体を笑顔でハルナに見せてくる吉川、UFOを呼び、幽霊の存在を当たり前の様に話す山田の言動は一般的な価値観を逸脱した存在と言えるだろう。そして、援助交際でブランド物を買いあさる妹に嫉妬する太ったオタクの小山フユ、山田への叶わぬ思いによってハルナへの憎悪を抱く田島カンナ。二人は自らの妄想に取り憑かれ、悲劇的な最期を迎える。90年代は人間の暗黒面とも言える側面にスポットが当たった時代でもあった。テレビドラマ、映画、コミックといったあらゆるコンテンツで題材として多重人格、ストーカー、心療内科、自殺等を取り上げたものが数多く制作され、今考えればちょっと異常な状態のようにも思えるが、多くの人がそういった世界観を求めていたということでもある。そんな中でのサンプルのようなこの4人の登場人物だが、性や一般的な価値観を飛び越える山田と吉川こずえの軽やかさに対し、小山フユと田島カンナは一つの関係に執着するあまり徹底して重く映る。古い言葉で言えば「スキゾ(分裂型)とパラノ(偏執型)」に分けられそうだが、多様性が容認される現代では前者の方がより今っぽく思える。境界線を行ったり来たりすることで、その存在、生を実感する山田、こずえに対し、境界線を超えてしまい、文字通り帰って来れなくなった小山フユと田島カンナ、ここにもひとつの対照的な線が引かれている。
主人公ハルナの視点と作者のまなざし
では主人公のハルナはどうか。彼女は傍観者であり、観察者だった。境界線に近付くが、それを超えようとはしない。彼女はただ眺めているのだ、境界線を超えてしまう人たちを。妙に達観しているようにも思う。立場は似ているが、軽薄で浅はかなエゴイストとして描かれる観音崎とは対照的だ。その視点は作者である岡崎京子と極めて近いものだと思う。どちらかと言えば陰惨になりそうな物語を抜けが良く、飄々としたものに仕立て上げられるのも、この乾いたまなざしがあってこそだろう。ハルナ(=作者)は眺めている、90年代の日本を、境界線の間で揺れる人々の姿を、それはまさに「平坦な戦場」だ。そして同時にそこに「僕らの短い永遠」を見出だしていた。それはひょっとしたら、河の向こう側からやってくるのかもしれない。UFOが連れて行ってくれるのかもしれない。しかしそういったオカルトめいた神秘思想からも距離を置いているように感じられる。山田は淡々とUFOと田島カンナの幽霊について語り、そこには神秘を信じるという態度より、ドライで即物的な感覚が漂っている。この全てに対する距離感こそ、作者のまなざしの場所であり、ハルナの存在を保つ根拠だろう。「90年代には岡崎京子しかいなかった」とある人が言っていた。他にも色々あると思うが、そう言いたくなる気持ちは良くわかる。時代の何かを捉えられる人、様々なものをすくい上げられる人、ましてやそれが漫画家となれば数は限られる。この作品はあの時代の日本の「ある気分」を表現する、数少ない作品のひとつだと思う。改めて読む度にそれを再確認させられる。
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