小説として素直に心を動かされる
登場人物全員がせつない
母親から精神的虐待を受けているにも関わらず愛してほしいと思い続けるあすかを筆頭にほぼすべての登場人物になにか悲しい過去や辛い思い出がある。姉が病弱なために両親は自分に愛情を注いでくれなかったと大人になっても考えているあすかの母のシーン。誰もが愛されたいと思っているのだと心にしみた。春野ばかりを愛するばかり静代の事は放ってばかりにしてしまったあすかの祖父母がもっと愛すればよかったと後悔しているように静代もまた数十年後「なぜ生まれた時から愛してあげなかったのだろう」と後悔するのだろうか。そう考えるとまた切ない。
キャラクターが在り来りっぽい
愛されずに育った母。そんな母親に好まれ、愛されていない妹を嫌う兄。そして必死に愛されようとする主人公。確かに感動はするが、少し在り来りなキャラクター設定のように感じた。精神的虐待をする母親も、愛されていない主人公も確かに感動要素だと感じるしざっくりとしたキャラクター設定は良いと思うが結局誰もが最後にはいい人になりハッピーエンド。現実はそう甘くないのでは?と思ってしまう様なシーンもあった。たとえば、兄の直人があすかを庇って母親に歯向かうシーン。これまで幾度となくあすかは母親に精神的虐待を受けてきているはずなのに声が出なくなった途端、急にかわいそうに思えるのだろうか。「虐待」が目に見えるようになったから? 直人が生きてきた人生の中であすかのことが少しでもかわいそうだと思ったことは無かったのだろうか。むしろ、声が出なくなるまでかわいそうだということに気づかなかったのだろうか。そんな兄と同じ親からに育てられたあすかだけがどうしてハッピーバースデーというお話の中で唯一真っ直ぐで優しい女の子という素直な育ち方をしたのだろうか。たしかに主人公であるあすかは充分健気な女の子に見える設定だが、ちょっと作り話っぽくなってしまっていたように感じた。
ハッピーバースデーという題名の意味
なぜあすかの声が出なくなってしまったのか、というのとハッピーバースデーという題名は大きく関係してきていた。多くの人が「ハッピーバースデー」と聞くと幸せだったり楽しかったりと良いイメージを思い浮かべる。だが、現実は違う。あすかのように「生まれて来なければよかった」などと血の繋がった親や兄弟から言われるような生活を送っている人もいる。私はその事実に何度も読むうちにたどり着いた。私が生まれた日をおめでとうと言ってくれる人がいる。それは、当たり前のようですごく尊いものなのだということなのだ。そう考えられるようになったことがこの本を読んで最もよかった点だと思う。
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