ラブロマンスとしても中途半端な印象の作品
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ラブロマンス小説にケチをつけるほどヤボではないけれど
アイリス・ジョハンセンの書く小説はなんとなく内容にワンパターンを感じながらも、ラブロマンス小説特有のベタな展開に甘く飲み込まれてしまう女性読者で成り立っているのだと思う。しかし今回のこの作品には残念ながら飲み込まれることはなかった。
元々アイリス・ジョハンセンの作品を知ったのは「スワンの怒り」からで、そこから「真夜中のあとで」、そしてイブ・ダンカンシリーズと次々に読んだ経験がある。ラブロマンス小説ながらそれだけで収まらず、サスペンス要素の強いそのストーリー展開に一時夢中になったものだ。そしてでてくる男性登場人物の魅力はさすがにロマンス小説なだけあって素晴らしいもので、女性なら誰しもうっとりと読んでしまうものだと思う。
それが今回の「悲しみは蜜に溶けて」にはあまり感じることができなかった。女性主人公リーサの哀しみや心のもろさもイマイチだったし、なんといっても男性主人公であるクランシーにもあまり魅力を感じることができなかった。これはロマンス小説にしても致命的ではないかと思ったところである。
もともと私自身が楽しめた「スワンの怒り」以降の作品は1996年のもので、今回の「悲しみは蜜に溶けて」は1986年発行という、実に10年前の作品となっている。
もしかしたらアイリス・ジョハンセンは後期の作品の方が自分好みなのかもしれないと思った作品だった。
クランシーが恋に落ちた瞬間の描写の不足
テロリストを罠に落とすためにその元妻の下を訪れたクランシーだったけれど、任務として訪れた割りにすぐ恋に落ちてしまっている。もちろん一目ぼれといったものは本人の意思を無視した理不尽なものだということは心得ているけれど、その描写がどこか物足りなくて、リーサのどこに魅力を感じたのか全くわからなかったのだ。理不尽に一目ぼれしたとしても、彼女のどこにとか、その思いつめた表情とか、なにかしら印象的な所作のひとつやふたつあったほうが絶対にいいと思う。それがあって初めてストーリーにリアリティが生まれ、読み手が感情移入できるからだ。今回のストーリーだと、あらかじめそう決まっているからというストーリーのためのストーリーといった無理やり感が否めなかった。全体のストーリーは悪くないのにそこのリアリティがないから、最後まで残念な印象のまま終わった作品も少なくはない。
だけどアイリス・ジョハンセンの今まで私が読んだ作品では、たくましく頼れるヒーローがヒロインに恋した瞬間は少なからず描写されている。だからこそその情熱的な愛にロマンス小説ならではの存在理由があるのだと思う(実際に「スワンの怒り」のタネクは素敵だった)。
それなくしてはロマンス小説の価値は半減してしまうのではないだろうか。
敵対する相手の拍子抜けするほどの弱さ
リーサの元夫はテロリストとして暗躍している人間で、それを追いかけるのがクランシーという設定は他のアイリス・ジョハンセンの作品でも良くある設定だ。リーサ自身も離婚しているとはいえ元夫マーティンの嫉妬深さには苦労しており、すでにマーティンはストーカーめいた気味悪さを彼女に感じさせている。そこに彼女を守ると大きく出たクランシーなのだけど、いかんせん最終的にマーティンと対峙したときのマーティンの弱さ(体力的にも戦闘的にも)は、国際的テロリストというよりはただのチンピラ風情に見えて、かなり物足りない思いをした。このようはチンピラのためにクランシーは時間をかけてマーティンを追いかけていたのかと思うと、クランシー自身の能力にも疑いの目を向けてしまう。だからこそクランシーにさほどの魅力を感じなかったのかもしれない。
この「悲しみは蜜に溶けて」の前後に出されている「ふるえる砂漠の夜に」と「燃えるサファイヤの瞳」はセディカーンシリーズと銘打って、そこにもクランシーは主役でこそないものの脇役として数々のエピソードを添えているらしい。まだそのシリーズは読んでいないため、もしかしたらそれを読んでこの作品のクランシーに出会えば少し印象は違ったのだろうか。
それでもこの作品だけでもその彼らしい魅力が感じられないと、物語としては幾分致命的ではないのかなと思った。
アイリス・ジョハンセンの他の作品との違い
彼女の作品で手にして読んだのは、前述したように「スワンの怒り」、「真夜中のあとで」、そしてイブ・ダンカンシリーズだ。特にイブ・ダンカンを主人公とするいくつかの物語は、彼女の職業である複願彫刻家というものにとても興味を持った。そこからゴールデンレトリバーを相棒にするサラを主人公にしたスピンオフ作品である「爆風」と、アイリス・ジョハンセンのその創作意欲には限りがないように思えた。
それらの作品には、ヒーロー、ヒロイン、いわば恋人同士になるだろうと予感させる2人の性格や暮らしが今回の作品よりはもっと緻密に描写され、ヒロインの切ないまでにいじらしい強がりなど、読み手でも守ってあげたくなるような描写があってこそ、このヒーローの庇護欲を描きたてるわけで、だからこそヒーローが彼女を愛する理由もわかってくるのだ。
またこのヒーローに守られることで安息を感じるヒロインも、もしかしたら今時のフェミニストが見ると眉をひそめたくなるものなのかもしれないが、女性の原始的な安心感は男性に守られることで得られるのだと思う。愛する人に守られて眠ることこそ、なによりも安全なところなのだと感じるのではないだろうか。ヒロインは過去に大きな痛手を背負っているが、力強くたくましいヒーローの腕に守られて眠ることで初めて悪夢から逃れられることができたのだ。
このようなロマンスの鉄板のような設定がアイリス・ジョハンセンの作品にはいつもあるけれど、だからといって読み飽きることはない。ベタな展開だからこそラブロマンスならではの存在理由があると思うからだ。
それが今回の「悲しみは蜜にとけて」に感じられなかったのがとても残念だったところだ。
波もたたないまま終わってしまった物足りなさ
クランシーとリーサが条件つきながら子供をもうけることを前提に愛し合うことに決めた日から、加速度的に2人は愛情を深めていく。一度結婚に失敗したリーサが結婚というスタイルに二の足を踏んでしまうのはわかるのだけど、それは同時に同じ人と関係を深めることを怖がることと同意だと思う。そのような気持ちに縛られているにもかかわらず、子供だけは欲しいという先進的な欲求に応じることにどうにも違和感を感じた。そしてリーサを心から愛しているといったクランシーがそのような申し出をしたのも、一晩考えてそれかというようながっかり感を禁じえなかった。
よくわからないそのような協定を手に2人は急速に愛を深めていくのだけど、だいたいそのような幸せのピークには、ヒーローに命の危険が迫っていたりする。「スワンの怒り」でもそのような展開があったのだけど、今回はいっさいそのようなスパイスがなかったのも残念だったところのひとつだ。作者的には前述したマーティンとの戦いがそれに当たるつもりだったのかもしれないが、いかんせんマーティンが弱すぎて話しにもならなかった。ここでこのまま終わるのではないだろうかという危惧が現実になってしまったところだ。
この話は恋に恋するティーンエイジャーなら細かいことは気にせずに読めるのかもしれない。しかし未成年対象にするとすれば性的表現も多いし、誰を目当てに書いているのかよくわからない中途半端さがあった。
アイリス・ジョハンセンの作品はいいものも多いので、それに比べるとこの作品はいささか詰めが甘いのではないかと思った作品だった。
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