ハイファイクラスタ 考察
この作品の主題
この作品の主題についてだが、それは「特別な才能なんてさして重要ではない」ということだ。作中に「才能」という言葉が幾度となく出てくる。本作においてはラベルが才能を開花させるトリガーとなっているが、このラベルの効用こそが逆説的に才能を重要でないものと主張しているように見える。もとはといえば平太もラベルに適合していなかったし、貫寺も強制的にラベルを適合させていた。だが、貫寺は周りから支持される存在であったし、ラベルの有無など彼の前では重要な意味をなさなかったのかもしれない(それが能登の恨みを買うことに繋がったのだが)。また彼の言葉に「愛と勇気は標準装備」とあるように彼もまた、才能は二の次であるということを身を以て平太に体現していたのではないだろうか。
時代背景
この作品はどこか近未来的な雰囲気の作品である。「アプリ化」されたラベルのように現代の若者にとって馴染みの深い言葉が出てくる。ではなぜ作者はこのような舞台設定にしたのだろうか。なんとなくと言われればそれまでなのだが、ここではもう少し深くこの設定について掘り下げてみよう。作者はこのような現代に似た設定にすることによって現代社会を批判したかったのではないだろうか。少し小難しい話になってしまうが、現代はポストモダン社会と言われる社会構造に突入している。これは差異が重要視される社会のことである。つまり目新しさや斬新さが重要なファクターとなっているのだ。この作品も同じで才能を通常のラベル、またはHi-Wiのラベル使うことによって開花させ周りとの差異を作ろうとする連中が出てくるが、そんなものがなくても、むしろ平太のようにラベルに適合できなくても誰かに必要とされることだけで十分だと作者は言っているのではないだろうか。
他作品への影響
才能を扱った作品というのは多いようで少ない。何故ならば、登場人物に何らかの魅了がないと面白みに欠けてしまうからだ。その前提で考えると、登場人物それぞれに得意とするもの、戦術があり、またそれが才能だという描写すらも書かれていないことも多々ある。いちいちそんな描写をしているときりがないからだ。だが今作では全面的に「才能」というテーマを押し出している。今作が掲載されていた同雑誌に掲載されている「僕のヒーローアカデミア」もこの作品と類似した部分があるのではないだろうか。周りの人間が「個性」をみんな持っているのに対して主人公だけは個性を持っていない落ちこぼれであった。共通点としては主人公が最初出来損ないであったが、そこから外部的な要因(ハイファイクラスタの場合、ラベル、僕のヒーローアカデミアの場合、主人公の師匠から)で力を得る。このようにこの「ハイファイクラスタ」は「個性」や「才能」などを扱った少年漫画の先駆け的存在になったのではないだろうか。
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