日本の「軸」を変えた!? 小品的青春映画  - フリーターの感想

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フリーター

3.503.50
映像
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脚本
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キャスト
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音楽
3.50
演出
3.50
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日本の「軸」を変えた!? 小品的青春映画 

3.53.5
映像
3.5
脚本
3.5
キャスト
3.5
音楽
3.5
演出
3.5

目次

「フリーター」の語源とは? 

1980年代の映画には、特に青春を扱ったものが多かったように思います。映画黄金期の吉永 小百合が主演していたような青春映画の流れを受け継げる土壌があり、一方でアニメやゲームといった新興ジャンルは、まだまだ「子供たちのもの」であり、「青春」を描写するには向かなかったからかも知れません。角川映画もそうですが、あらゆる製作会社によって勢いのある若手俳優たちが活躍する映画が撮られたものです。


本作「フリーター」もそうした青春映画の中の一つです。98分の放映時間ということですから、長編としてはコンパクトな小品と言ってもいい分量でしょう。しかし、よくまとまってはいるものの一見どこにでもありそうなこの映画が、日本の「その後」を変えるきっかけの一つになったかも知れません。


と、言いますのも、今日極めて広く使われている「フリーター」という言葉の語源はこの映画が発端である、という説があるからです。つまり本作は「イマドキ流行のフリーターに焦点を当てて一本映画を作りました」ではなく、フリーターという言葉そのものの起点となった映画なのです。


今まで「プー太郎」や「バイト」と呼ばれ、否定的な含みの強かった非正規労働者たちが、一躍いかにも格好良くスタイリッシュな「フリーター」に「クラスチェンジ」したというわけです。マジックワードという言葉がありますが、「フリーター」のイメージ力は強烈なものがあり、当事者はもちろん雇う側やマスメディアにまであっという間に浸透し、広く用いられるようになりました。呼称に対するネガティブイメージが無くなるとともに、若者たちの生き方、働き方も変わっていき、日本経済全体にまで大きな影響を及ぼすことになりました。「フリーター」という本作で用いられた語句が全体の流れを大きく変化させていったことは否定するのは難しいでしょう。

超好景気に裏打ちされたヤバいレベルの屈託のなさ

本作は、雑誌「フロム・エー」と「リクルート」が五周年を迎えたことを受けて作られた記念映画としての側面も持っています。雑誌刊行の継続記念に全国リリースできるような映画を一本作ってしまうというのも物凄い話ですが、実際、本作が公開された1987年にはそうしたムチャが当たり前に出来てしまえるほどの景気の良さがありました。

社会情勢は安定していて、土地がどんどん値を上げる。株価も上がる。給料も上がる。就職面接に行くだけで万札が手に入る……、今からすれば有り得ないような逸話がゴロゴロ転がっていた時代のことですから、国中のテンションもそれは高いものがありました。しかし、給料がどんどん上がるということは価値の高い仕事が入り続けてきているということでもあり、そうしたビジネスと向かい合っていると超長時間残業が当たり前になってきたりもします。加えて通勤地獄があり、ネットを介して仕事をするようになるにはまだ時間が必要でした。となると、まさに寝る間もない状態になっていきます。


いくら若くして年収一千万円、一千五百万円の高給取りだと言っても、忙し過ぎてお金を使う暇もなければ過労で使う気力もわかないとなれば、稼いでも意味がないと考えるのもある意味当然で、そこでバイトで自由に気楽に稼ごうという流れが生じるのも自然なことでした。「普通に」激務に身を投じれば使い切れないほどのお金が入ってくるわけですから、気楽なバイト暮らしでも普通に暮らしていく分には問題ない、というわけで、本作は極めて屈託がなくポジティブです。そのことが、若手の実力俳優たちで固めた手堅さやイヤミのなさを強調する結果になっているところは評価できますが、それにしても半端ではないハイテンションぶりは、ビデオ版のパッケージにもいかんなく示されています。


「チェック・ポイント! いま夜型人間が大モテ!」というような私からすれば初耳な話が出てきたかと思うと「BMW、カー・テレフォン…重役なみの生活を送る達人フリーターの24時間密着取材!」といった有り得ないほどの景気の良さをうかがわせる表現もあります。そして、極めつけは「ヤッちゃんとも付き合い次第でご祝儀くれる!」とまで。暴排が叫ばれている現在からすれば、まさに規格外の超ハイテンション、そのご祝儀は明らかにタダのご祝儀でもなさそうですが、針が振り切れているほどに屈託なく肯定してしまっています。


この書きぶり、そして映画の中の各シーンを見る限り、製作陣に「調子のイイことを言って若者をたらし込んでおけばOK」的な嫌な本音は見えてきません。俺たちは時代の最先端なんだ! と、とにかく本気で新たなライフスタイルを提案していこうという気合いがうかがえます。

バブルが消え、フリーターへの幻想が消え、そして非正規雇用だけが残った

ただ、そこまでの本気を感じながらも本作は根本的な矛盾を抱えてもいます。何故なら、アイディアとタイミングで色々と仕事を変えていく「機を見るに敏」なアマチュアであるフリーターを賞賛しつつも、映画を作る製作会社のスタッフや好演するキャストたち、そしてリクルートやフロム・エーの社員に至るまで、全ての関係者が「プロ」であるからです。

それも、業界で力を認められるために長年の訓練を必要とするような、職人気質なプロフェッショナル集団なわけです。本作で商業映画というコンテンツを作り上げたことからも分かるように、彼らの実力は高く、その技術を養うためには大変な努力が必要になってきます。延々と続くレッスンに臨み、監督にドヤされ、同僚や後輩のミスを補うために下げたくない頭を下げ、休日にも出勤を繰り返し……、そうしたことを重ねて一つの分野に邁進していった結果、彼らは十分な評価と給料を手にするようになっていったのです。


そのことを体で知り尽くしながらも、根無し草的ライフスタイルを本気で行けると考え形にしてしまった点に深刻なズレがあったと思いますし、その悪しきギャップは現実にも影響をもたらしたのではないでしょうか。

漫画世界における究極のフリーランスであるゴルゴ13のような、雇い主や勤務先が変わっても「仕事」はまったく変わらず、常に技術と経験を積んでいけるスタイルこそ、雇用者を問わない共通の「価値」を、高い報酬を生み出すものだったはずで、そうした職人的プロたちこそ「フリーター」と恰好良く評価されていたら、今日の労働環境もまた違うものになっていたのではないかとも思ってしまいます。


バブルはわずか数年で消え、長引く不況によってフリーターというライフスタイルへの幻想が消えました。しかし、本作で示されているような非正規雇用だけは広がり続け、様々なデメリットを伴っています。若者向けのアニメーションを使って、「脱フリーター」が行政主導で叫ばれるようになったこの現代だからこそ、本作が提示した「フリーター」という用語がもたらした影響や理想と現実の違いなどに、改めて思いを巡らせないわけにはいかない、という現実があります。良くできた青春映画でありながら、深く考えされられる要素を多数含めた作品と言えるでしょう。 

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