蝶のように
好きになるのに言葉はいらない
好きよりもっと、キラキラした純粋な雫のような物語だった。現代は、言葉をものすごく雑に扱っているなと思い知らされた。言葉で表現することが全てではないことを改めて感じさせられた。川澄とすいれん どちらも考えて考えた末の言葉や気持ち、お互いが丁寧に言葉も気持ちも紡ぎだしているように感じた。特に、すいれんの言葉の使い方には、とても考えさせられる。必要な時に、必要な文だけ、必要なあなたに、とっても優しい温かい言葉だった。逆に 言葉を大量に生産して消費するのは、どうなのだろうか とも考えさせられた。人と人をつなぐのは言葉だけじゃない。ただの手段である。言葉に人を縛り付ける力もない。心の優しさがあって、初めて言葉は生かされるのだ と、すいれんから思わされた。
蝶のようになりたい
高嶺の花よりも蝶になりたいということは、何か自由を感じさせられた。今、社会で 自由をはきちがえている人がいることを思い出した。すいれんの自由とは、人を傷つけ 私の自由でしょ と乱用するような自由ではない。人と人との間にある はかなくて、もろい自由なのだ。だけど、ものすごく美しく優しい自由なのだ。
すれ違うときもある
すいれんと川澄でもすれ違うことがある。生きてる限りすれ違うことは必然的なことである。すいれんと川澄でもすれ違うのだから、現実世界ではもっとすれ違うのだろうな と思った。相手の気持ちを感じ取ることがこんなにも難しいなんて、モヤモヤしてしまう。だけど、その難しさ ゆえのモヤモヤに甘えてしまっていたら、ずっとモヤモヤのままなのだろう。どうしたらよいか分からない きっとこれは私たちが恋愛においても人生においてもつきまとってくるのだろう と感じた。優しさ、柔らかさを持つことはもちもん大切だ。だけど、そのモヤモヤの舞台から逃げないことが大切なのだろう。どうなるかも お互い分からない。言い訳をつけてその場から逃げることは簡単だ。しかし、言葉も気持ちも行動も大切に紡いでる2人にとっては、そんなことは2人の世界には必要ないのだ。そもそもないのだ。何かと忙しさを理由にする人たちの顔が浮かんだ。日々蝶々のような物語は、現実で起こることとはかけ離れているように感じるが それは私たちが現実と言って 忙しさを言い訳に生きてしまうようなことがあるからだろう。曖昧さから逃げないこと。曖昧からでも感じ取れる確実なことをを大切にしていこうと思う。
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