ラノベ作家の悪しき点が存分に出てしまったマンガ - ステルス交境曲の感想

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ステルス交境曲

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ラノベ作家の悪しき点が存分に出てしまったマンガ

2.02.0
画力
4.5
ストーリー
1.0
キャラクター
2.0
設定
2.0
演出
3.0

目次

マンガ畑以外からのマンガ業界への参入

最近は芸人や声優などといったマンガ畑ではない人たちがマンガ業界に参入してくることが多くなったが、その中でも参入が目覚ましいのがライトノベル作家だろう。自身のライトノベル作品のコミカライズを足掛かりに、最近では、直接マンガの原作を始める人も非常に多い。

しかし個人的には、この流れにはあまり肯定的ではない。その理由としては、マンガとその他の物語、例えばライトノベルの作り方は大きく違い、ライトノベル作家を始めとするマンガ畑以外の人がマンガを描いても面白い作品にはなりにくいと考えているからである。

ただ、そう私個人が主張したところで、具体的な例が無ければ賛同することは難しいだろうし、理解を得られることも出来ないだろう。そこで、ライトノベル作家がマンガ原作を描くのがなぜダメなのかを説明できるライトノベル作家原作の失敗作品『ステルス交境曲』を用いて、自説の合理的な理由、その正当性を説明したいと思う。

ステルス交境曲』について

ステルス交境曲』は原作:成田良悟、作画:天野洋一で2014年に週刊少年ジャンプで連載されてた漫画である。天野洋一は「絵は良いんだが何故かウケないマンガ家」の代表格で、連載作品のほぼ全てが短期打ち切りで終了しているという不遇なマンガ家である。一方原作の成田良悟は『バッカーノ!』や『デュラララ!!』といったアニメ化もした人気作も手掛ける売れっ子ライトノベル作家だ。

週刊少年ジャンプ連載でライトノベル作家が原作を担当した作品と言えば、ステルス交境曲』に近い時期では西尾維新が原作を担当した『めだかボックス』がある。『めだかボックス』は、批判も多かったものの、全22巻の長期連載、アニメ化、累計発行部数500万部以上の大ヒットとなり、そのため同じライトノベル作家が原作である『ステルス交境曲』も大いに期待されていた。

しかしその結果は、人気を獲得できず全3巻と短期で打ち切りになってしまった。「突き抜け」と言われる打ち切り作品でも全2巻、クソマンガが他作品との兼ね合いで長く残ってしまう「ノルマン現象」という不名誉な言葉を作ったノルマンディーひみつ倶楽部』でさえ全5巻であることを考えると、改めて全3巻終了の不人気っぷりが理解できるだろう。

打ち切りの原因はどちらか?

ここで今回問題にしたいのが、この不人気の原因は原作・作画のどちらに原因があるのかということだ。

実績だけ見れば、作画が悪かったのではと考える人も多いだろう。確かに天野洋一の絵は上手いながらもゴチャゴチャしていたり、キャラクターデザインのセンスが悪かったり、全く問題が無いとは言えないものだ。しかしこの作品を読めば分かるが、ステルス交境曲』に関しては、作画よりもストーリーの方が問題点が大きい。はっきり言ってしまえば、原作の成田良悟が描いたストーリーがダメだったのである。

そしてその問題点には、ライトノベル作家がライトノベルを書くノリのままでマンガ(の原作)を描いたらどうなるかの問題点がはっきりと出てしまっている。

ライトノベル作家が描いたマンガの問題点

ライトノベル作家がマンガを描いた時の問題点、それは冒頭でも言った通りマンガとライトノベルでは物語の作り方が大きく違うことに関係している。

ライトノベルというのは、基本的に一冊で一つの物語を作り上げる。その途中にオチもヒキも必要ない。とにかく一冊で一つの山場を解決した大きな物語を作ればいいのだ。

一方マンガは連載作品として一話ごとに読者に提供されている。そのためある程度の満足感を得てもらうために、まず一話でヤマとオチ・ヒキを備えた一つの物語になっている。さらにそれらのある程度のまとめである「一節」を作り、当然単行本化し売るための「一巻」を作り、さらにそれらの集合体である「一章」を作り、それらすべての集大成として「一作品」が生まれる。

まとめると、ライトノベルはある程度大きな話作りであるのに対し、マンガは小さな話の集合体なのである。

ライトノベルの一冊をマンガに換算すると、コミカライズを読めば分かるが、大体3巻くらいである。つまりライトノベル作家がライトノベルを書くノリのままマンガ原作を描くと、約3巻で一つの物語が出来上がるように描くはずだ。そうなるとそのマンガの一巻、一節、一話の内容はどうなるだろうか。当然ながら、非常に平坦で退屈なものとなる。

と言うかなった。ステルス交境曲』は一話一話を雑誌で追って行くと、非常に平坦で退屈な作品になってしまっていたのである。

このような見方をすると、ステルス交境曲』が後半の連載終了直前に評価を挙げていた点も納得だ。なぜなら、ちょうど3巻の一つの物語の総まとめという、物語の中で一番面白い部分に足を踏み入れていたからだ。

その点で言うと、成田良悟が物語の綺麗さ・完成度で評価されている「理論派」の作家であったことも不幸であった。もしライブ感重視の作家であれば、もっと盛り上がりポイントを作れたかもしれないし、打ち切りという結果も変わっていたかもしれない。

とにかく、ステルス交境曲』を通して説明した通りの理由で、ライトノベルとマンガの作り方は大きく違い、ライトノベル作家がマンガ原作を描いても面白い作品にはなりにくいと私は考えている。

そのためライトノベル作家をマンガ原作に起用するのも個人的には反対である。なぜ反対なのかと言うと、マンガ雑誌は値段を簡単に変更することが出来ない以上、連載数には物理的な制約があり、有能な若手マンガ家のおもしろい作品が載る可能性のあった椅子が期待できないライトノベル作家の作品に奪われることは、個人的な問題としても機会損失であると考えているからである。

その点で、私はライトノベル作家以外のマンガ畑ではない人の連載にも反対である。なぜならライトノベル作家と同じ理由で、それ以外のマンガ畑外の人の作品もおもしろくなる可能性は少ないと考えているからである。

ステルス交境曲』のその後

余談だが、その後ステルス交境曲』を描いた後マンガ業界でどうなったかについても話しておこう。

作画担当であった天野洋一は、現在少年ジャンプ+で『アナノムジナ』という作品を連載している。既刊4巻で、天野の作品の中では初めて3巻打ち切りの壁を突破した作品だ。現在は不定期連載になってしまったが、それでも連載中は連載中である。個人的には天野の美麗絵で描かれたヒット作を週刊少年ジャンプで見てみたかった気もするが、それでも天野ファンは、ある種の長い長い下積みがやっと実を結んだことにひとまず喜ぶべきだろう。

一方原作担当の成田良悟は、今度は白梅ナズナというマンガ家と組み、月刊少年シリウスで『クロハと虹介』という作品を連載開始したが、全5話・全1巻の短期で連載終了となった。こちらの作品は読んでいないため打ち切りなのか、それとも円満終了なのか、正確なことは言えないが、ただやはり、マンガ家を志していたわけではない理論派のライトノベル作家は、マンガには向かないのではないかと思う。

週刊少年ジャンプには、ステルス交境曲』後はライトノベル作家原作の作品は載っていない。これは『ステルス交境曲』の反省なのか、それとも単純に描く人がいないのかは分からない。ただ個人的には悪くない傾向だとは思っている。やはり、餅は餅屋である。

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