半世紀前の特撮ヒーローモノの楽しみ方教えます! - ジャイアント ロボの感想

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ジャイアント ロボ

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映像
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脚本
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キャスト
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音楽
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演出
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半世紀前の特撮ヒーローモノの楽しみ方教えます!

3.53.5
映像
2.5
脚本
2.5
キャスト
4.0
音楽
4.0
演出
4.0

目次

50年前の作品は5年前の作品と同じ見方をしても楽しめない!

本作は1967年に放送されたので実に50年の歳月が流れている。もちろん、半世紀前の子供番組、しょぼい所はたくさんあるし、ンな訳無いやろ、という点も多い。

ギロチン帝王は宇宙人なのだが、地球制服に際してわざわざ地球人を使い、なぜか各国に支部を作って人間ぽい組織づくりをしている。怪獣やロボットをバンバン生み出せるのだからそれで地球は征服できそうなものだが、本気度0%にしか見えない。

実質4人程度しかいないと思われるBF団の下っ端隊員は、隙あらばトランプに興じたり、子供さながらにロボと戦っている怪獣を応援するだけ、というありさまだ。

でも程よいツッコミどころの多さは昔の番組を見る際は欠かせないアイテムでもある。

良い点も多々ある。敵のメカなどのデザイン性の高さ、スタッフの愛情が随所に感じられ、見ていて飽きが来ない。

基本的には50年という歳月は当然人々の意識の変化を伴っている。

茶道をたしなむにはそれなりのマナーがいるし、クラシックなフランス料理を堪能するにはドレスコードが必要だ。

同じような意味で、50年前の特撮を楽しむための作法を具体的に挙げていきたい。 

デザインを楽しむ

なんといっても主役メカ=ジャイアントロボのデザインがいいのだが、これはもう横山光輝の原作マンガありきなので特撮スタッフの仕事ではない。

しかし主人公草間大作が所属するユニコーンの制服をはじめ、敵のメカや怪獣のデザインも良い。

秀逸と言って良いのが、ガンガー、グローバー、ガンモンス、アイスラー、GR2あたりか。(GR2も原作に登場するけど…)

手、鉄球、目などとモチーフが明確なのに、ありきたりでないシャープな仕上がりだ。敵役としての圧迫感も良く出ている。本作ではシンプルなものほど際立った特徴があり、それが勝因なのかもしれない。

上記よりは一歩劣るがダコラー、ライゴンなどの怪獣系も悪くない。

かなり造形が微妙な怪獣もいるが、まあそれは優しくスルーしよう。 

本作は同じ怪獣やメカが敗北の際、爆発したにもかかわらず再登場するケースが多い。

もしかするとガンダムのザクのように量産型だったのかもしれない。

上記の雑魚隊員も同様だ。死んだと思われるヒゲの男が何度も再登場してくるので、ギロチン帝王はアンドロイドかクローンの技術者なのかもしれない。

(すぐさぼったり、子供にあっさり騙されたりするあたりからあまり出来が良いアンドロイドとは言い難いが…)

巨大メカや怪獣は結構イケてるのに怪人(宇宙人?)たちは何故かちょっとしょぼいデザインだったりもするが、そこが昭和40年代の緩さであり、暖かさでもある。 

ツッコんで楽しむ、当時の制作意図を予想して楽しむ

ジャイアント・ロボの飛行速度はマッハ17らしい。

この10でも20でもなく17という細かい数字は何なのだろう?

ちなみにマッハ1は音速の定義であり、時速1200kmだ。基本的に旅客機はこの速度を超えないので我々がそれを体験することは難しい。

米軍の第一線の戦闘機でもマックスで2.4程度、最近の機体は速度よりコスト重視で主力機でもマッハ2以下だ。

本作放映時、参考あるいはライバルになりそうなヒーローたちはどうだろう。

本作より2年前に放映されたウルトラマンはマッハ5、マグマ大使はマッハ11、鉄腕アトムは大気中ではマッハ10らしい。

これらから想像するに、従来の有名ヒーローよりも高い数値を与えたのではないだろうか。それにしても17という数字は微妙である。

これは全くの想像だが、同じ横山光輝原作の鉄人28号に対して、アニキ分という立ち位置にリスペクトを込めて、28という数字から十の位と一の位それぞれ1ずつ引いたのかもしれない。

2001年宇宙の旅のコンピューターHALが実在のコンピューターメーカーIBMのそれぞれ一つ前のアルファベットを用いて名づけられた、というのと同じ発想だ。

ああ、もう一つ全く同じ考え方のものがあった。ほぼ10年後に放送された特撮巨大ロボットもの、大鉄人17(ワンセブンと読む)は全くその考え方だった…

ちなみにワンセブンは飛行形態に変形する能力を持つがその速度はマッハ4。

マッハ17がどのくらいクレイジーな速さかこのあたりからも理解できる。

もう一点余談ではあるが速度に関連して挙げておきたい話がある。

最終話でロボはギロチン帝王とともに宇宙に飛び立ち、隕石に激突して最後を遂げるが、マッハ17では大気圏脱出することは不可能である。

地球の重力を振り切るためには時速にして40300km/hが必要で、これをマッハ換算すると33.58、ロボの倍の速度が必要であり、残念ながらあの感動の最終回は設定上は成り立ちえない展開だったようだ。 

スタッフの心意気を楽しむ

本作は東映初の巨大ロボットモノとして、後の戦隊ものなどの始祖となった作品でもある。スタッフは全てが初めての試みであり、チャレンジの連続であったようだ。

いろいろ調べていると当時のスタッフの苦労を幾つか拾うことができたので紹介したい。

(この過去のコメントを掘り出すというのも楽しみの一つだ)

まずは特殊技術スタッフとして制作に参加していたキャプテンウルトラにも参加していた矢島信夫氏の逸話だ。

氏はロボのデザインが非常に気に入っていたらしく、画面上でいかにロボを強調するかを考えた。能の演出をヒントに、ライティングによってロボに怒りや悲しみを与えたのだそうだ。

また、強化ガラスの上でロボと敵を格闘させて真下から撮るというアイデアで巨大感を演出したり、低予算ながらロボの手だけは実寸大で作り、その上で演技をするのでリアルな絵を生み出す、などの試行錯誤を重ねている。

続いて怪獣技術担当の阿部洋士氏、イカゲラスの「中の人」を務めた彼は迫真の演技にこだわったあまり、水中でのイカゲラス撮影シーンで溺れかかって死にそうだった、と話してもいる。

いずれも本気であればこその話、子供向けだからと妥協しないスタッフの心意気が伝わってくる。

女性隊員を楽しむ。 マリーと西野が結構可愛い♪

特撮モノと言えば、女性隊員も楽しみの一つだ。昭和モノの多くは、女性はストーリーにあまり関わらないが、男性中心の戦闘の合間に咲く一輪の花、時々存在を誇示するだけで物語を印象的にする役割を持つ。

当時としては最も良い例がウルトラセブンのアンヌ(ひし美ゆり子)だ。

決して彼女がいなければ成り立たないというシナリオは無いのだが、ビジュアル的には彼女あってのウルトラセブンと言えるほどの印象を持っているのだ。

戦いに傷つき故郷ウルトラの星に帰るセブンが、自分の正体を明かすのはチームメイトや隊長ではなく、紅一点のアンヌ隊員である。子供向けであるが故に愛を語ったりはしないのだが、やはり匂わせるのは愛だ。

既に自分は限界を超えており、もう一度戦えば命の保証はない。

しかし地球の危機を救えるのは自分しかいない。戦いに赴くのに躊躇は無いが、誰かに自分の存在を刻んでおきたい。それがアンヌ隊員なのだ。

そのような意味で女性隊員は特撮ヒーローもので大きな意味を持つ。

本作では前半は主にU5:西野隊員がヒロインのポジションを務めるが、7話から登場するマリー花村に徐々にその役割を譲っていく。

西野隊員=片山由美子も十分に美しいのだが、主人公との年齢差が大きすぎることが問題だったのかもしれない。草間大作少年は小学生、それに見合うヒロインが、物語の構造上必要だったのだろう。

マリーは作中では数十か国語を操り、情報戦でも活躍するハイスキル女子だが、ちょっと丸っこい顔が愛らしい。

美しい女の子としての役割ではなく、視聴者が親しみやすいビジュアルが優先されている。しかし彼女は単なるお飾りではなく、他の隊員にはできない貢献を見せる。

一時的ではあるがロボに指令を与えることができた人間は大作少年以外はマリーしかいない。少ない出番で女の子としての「華」、主人公を情報面などで支える戦わない女性としての貢献、物語に介入する唯一の女性としてのヒロイン性を完備していて、西野からのヒロイン移行は大正解だった。 

作り手を信じて大筋にはツッコまずに楽しむ

怪人や宇宙人は作戦立案や遂行を行う幹部的立ち位置が多いが、ドラキュアンは自身が行動し、巨大化して戦闘もする。これはギロチン帝王も同様なのでドラキュアンは最手話手前で出てくる強敵としてギロチン帝王と同じ種族、あるいは近いものだったのかもしれない。

ドラキュラは十字架に弱い、といううなづきたくなるけど宇宙吸血鬼もそうなのか?という疑問は言ってはいけないことか?

ともあれ、「吸血鬼には十字架だ」と大作はロボにクロスファイヤーで戦う事を指示する。

文字通り十字架型の炎なのだが、最終回1回前にして初登場の武器、ロボにこんな機能があったのか…と若干のけぞるが、思えば強敵相手に新必殺技を繰り出して勝利するというのはバトル物の常套手段ではある。

口から火炎放射という能力があるのでその応用か。 

後年への影響を楽しむ

このクロスファイヤー、どっかで見たな、と思う人は多いのではないだろうか?

そう、ジョジョの奇妙な冒険第3部スターダストクルセイダースの1シーン、アヴドゥルとポルナレフが対決するシーンだ。

荒木飛呂彦が横山光輝ファンなのは周知の事実だが、アヴドゥルのクロスファイヤーハリケーンの元ネタはこれだったのかもしれない! 

伏線無しの新設定を楽しむ

最終回に近づくにつれて、惜しみなく前振りの無い新設定が繰り出される。

ロボの原子力エネルギーが切れるのもその一つ。

この時のギロチン帝王は「ジャイアントロボの原子力エネルギーはもう一滴もない」

と叫ぶのだが、え、一滴って、原子力って液体? もしかして原子力っていう名のガソリン? などと考えるのは無粋だ。

更にロボのエネルギー切れを予測して怪獣三体を差し向けたのに、補助エネルギーで再起動というのは予測できんかったんかい! というツッコミも禁止だろう。

最終回なのだから、とにかく流れに乗ってロボの活躍を楽しむのが優先だ。

大作の制止を振り切って、ギロチン帝王と宇宙で果てる、このロボの心意気に感動するのだ。

思えば、この時の番組作りというのは、制作者側を信頼して見る、という暗黙の了解によって成り立っていたのだろう。

大作の声にしか反応しないはずのロボがマリーの呼びかけで戦う。

自由意志は無いはずのロボが自己犠牲を持って地球を守る。

そこにそんな訳無いやん! と思うのは自由だが、それでは昭和特撮は楽しめない。

突っ込んでいいのは細かい設定であり、大筋に対しては寛大に、むしろ自分の脳内で補完してツジツマを合わせる、くらいの方がいい。

ロボは戦いの中で少しずつ意思を生み出したのだ、それを可能にしたのは大作やマリーのロボに対する友情と尊敬、そう解釈した方が素直に物語を楽しめる。

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