「愛の亡霊」は儚くてトレヴィアンな映画かも?!
「愛の亡霊」フランスの美意識が散財?!
この映画は、人間の愛憎や欲望の悲しき果てをテーマにした内容だと思いました。火のように激しい情欲、そしてその果てにある儚さや虚しさを見事に映像で表現している傑作品だと思いました。
ストーリーは、都会から離れた荒寥とした山里の因習深い農村地帯で、事件が起きます。
1978年、今から39年前に「愛の亡霊」は、フランスのカンヌ映画祭で受賞していることを、私は、このシネマを観て初めて知りました。なぜこの映画が、当時フランスで評価されたのか?私が個人的に感じたことは、評価された断片の一つとして、この映画の背景にある「人々のつながり」が新鮮に見えたのかもしれません。悪く表現すれば「因習深い土地のつながり」といえばいいのでしょうか?貧しい農村地帯で村人たちの暮らしている姿が、なんとなく興趣に映ったのかもしれません。
フランスのプロデューサーであるアナトール・ドーマン氏が「愛の亡霊」を製作し、大島渚氏が監督を務めたこの映画は、日本が舞台であるけれど、フランスから取り入れた美意識も散財しているように伺われました。
酒に酔い眠り込んだ儀三郎を、せきと豊次は、儀三郎の首を絞めて殺害し、轟音をたてる吹雪の中を儀三郎の遺体を引きずりながら、井戸までたどり着き、井戸の中へ放り投げてしまう恐ろしいシーンの次の場面で、井戸の水面下に沈んでゆく亡骸の儀三郎を二人が覗き込み、あたりは雪が舞っている。この映像を観て私は、恐ろしい場面だけれどなぜか?奥が深いように感じました。それは、決して殺人を美化しているわけではありません。誰の視線を元に表現したかったのか?というところに、私は、奥深さを感じました。もっと表現すれば、下界では、轟音をたてた猛吹雪の中を、犯してしまった罪の重さの現実と非現実の挟間のようにせきと豊次は、ただ茫然と生けた屍のように、井戸の中を覗き込んでいる。暗闇の無音の水面下から、亡霊となった儀三郎の眼に映った光景は、虚空と悲しい運命を背負う二人を哀れに見ているワンシーンのような気がしました。
また秋の頃になると、豊次が落ち葉ざらいをして井戸に落ち葉をハラハラと落とすシーンで、セピア色の雑木林の中で、色褪せた朱色や黄色の落ち葉の映像が美しいと思いました。
「愛の亡霊」は、実話をベースに作られ、現実的に考えれば、その事件は許される行為ではなく、残酷そのものです。しかし、その当時の背景にあった人々の暮らしや考え方、また物寂しい風景や出来事の中に美しさや儚さがあるということをアナトール・ドーマンは、表現したかったのではないでしょうか?
「愛の亡霊」時代の背景に見えたものとは?
いつの時代を背景に「愛の亡霊」を製作したのか?私は、興味を覚えネットで調べてみました。小説「車屋儀三郎」を元にしたことがわかりました。小説の原作者は、中村糸子さんです。時代は、明治29年の茨城県の寒村で起きた実話だということも知りました。
明治29年は、世界では、ギリシャのアテネで「第一回オリンピック」が開催された年です。初めて日本人選手が、オリンピックに参加したのは、それからずっと後の明治45年です。東京の神田では、初めて「ミルクホール」が開業されたそうです。また、当時は、日清戦争の真っ只中であり、士農工商という身分に縛られ、一部の人を除いて人々の暮らしは、貧しく困窮していたことがわかります。
士農工商という身分で主な登場人物を見ると、彼らは農民の中でも身分が低い立場に縛られていたのです。儀三郎は、あえて農民から独立し、人力車を曳く「車屋」として働きますが、一日中走り回り、彼の年齢では、体力的に重労働で過酷だということが、映像を通して伝わってきます。儀三郎にとって唯一心を休める束の間の幸せは、妻せきの夕餉の晩酌だったのではないでしょうか?豊次は、日清戦争の「復員兵」として村に戻り、日々をのらりくらりと過ごしているけれども、戦争という悲惨な現場を目の当たりに経験した彼にとって、それは自分を癒す大切な時間でもあり、「愛されないまま死にたくない、誰かに愛されたい」と常に渇望していたのではないでしょうか?
「愛の亡霊」せきという女の生き方
「愛の亡霊」車屋儀三郎の妻せきを演じているのは、吉行和子さんです。彼女は、せきという役を演じるにあたり、周囲の反対が多かったと語っています。その反対を押し切り堂々と裸身をさらけ出し、濡れ場を演じ、健気な貞淑な妻と妖艶な女の二面を演じる彼女の役者魂に、私は、脱帽しました。
せきのような貧しい身分の女性は、「女に学は必要ない」という運命に従い、受け身のまま夫に情夫に頼って生きていく哀れな女性の一人だったように思います。
刹那的な快楽に溺れ、夫儀三郎を殺し、やがて破滅への道へたどってゆく女の生き方は、人間の無知さ儚さを表現しているように感じました。
さいごに
私は、映画のタイトルがなぜ「愛の亡霊」というのか?素朴な疑問でしたが、私なりに感じたことをまとめてみます。
儀三郎は、殺されて3年が経ち亡霊となって妻せきのまえに夜な夜な現れます。亡霊となって現れるのですから、殺された怨みや憎しみの念をもって姿を現すというのが、ホラー映画の通常の現れ方ですが、儀三郎の場合は、違います。「自分は殺された」ということを娘に告げますが、誰に殺されたかは、言いません。せきの前に姿を現す時も亡霊なので不気味ですが、妻を憎んで現れるというより、妻にお酒を晩酌してほしい、妻を人力車に乗せたいという願望によるものではないかということが、見えてきました。
せきは、夜ごと亡霊になって現れる恐怖と神経衰弱により、せきは、一度死を選びますが豊次に助けられます。しかし、やがて二人は、自白することに追い詰められてゆきます。
儀三郎の亡霊は、妻と情夫に殺され成仏できない姿であっても、妻せきを愛し続けていたということを妻に伝えたかったのかもしれないと、そう思いました。
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