華麗なるギャッツビーの世界にみる理想のイマジネーション - 華麗なるギャツビーの感想

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華麗なるギャツビー

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華麗なるギャッツビーの世界にみる理想のイマジネーション

4.54.5
文章力
5.0
ストーリー
5.0
キャラクター
5.0
設定
3.5
演出
5.0

目次

華麗なナルシシズムの世界

スコットフィッツジェラルドのあまりにも有名な代表作は実は当時のスコットフィッツジェラルドの私生活そのもののような世界観を表現したストーリーです。ブルジョア社会の享楽的な華やかな生活と謎の大富豪ギャッツビーの存在はこの主人公以外は流行作家として大成したスコットフィッツジェラルドの派手で享楽に耽るデカダンス的な生活そのものを描いている…現代でも当時でもやはりロマンスだと思います。華麗なるギャッツビーは基本的にはミステリーではなく私はラブストーリーだと思っています。そしてこのラブストーリーはなぜか現代では失われつつある男性の純愛について描かれているのではないでしょうか。「ゼルダに捧ぐ」冒頭のページにはスコットフィッツジェラルドの最愛の妻ゼルダへのメッセージが書かれていますがゼルダのロングパールのネックレスをした美しい横顔の写真はまるでデイジーそのものだと思いました。禁酒法のアメリカがモダンでスノッブで溢れていた時代のこれはお伽噺ではないでしょうか。華やかで享楽的で退廃的なこの作品は好きな人と嫌いな人がはっきり別れるようです。ブルジョア社会の背景に労働者達の生活を影のように写し出したストーリーの内容に嫌悪感を感じる事があったりするのかもしれません。アメリカであるがゆえに自由の国のイメージが揺らぐような感覚があるのかもしれません。特権階級のようなブルジョア社会に対して批判的な感情ではなく労働者階級としてその生活をしている事について諦めとやるせなさがギャッツビーを通してあまりにも痛切に表現されているところが時代の背景とスコットフィッツジェラルドの相反するふたつの世界を照らし出すことによってラブストーリーにデカダンスを感じさせるような手法は現代作家では無理な執筆だと強く感じます。享楽に耽る事によってスコットフィッツジェラルドは麻薬的な快楽、感覚を最愛の妻ゼルダとともにめぐるましく駆け抜けたのではないかと…想像してしまいます。

華やかなゴージャスな背景

ギャッツビーの世界観の表現についてこれほど貴族社会やあまり歴史を感じさせないアメリカをドラマティックにロマンスを表現している作品は稀少ではないかと思います。禁酒法という唯一ストイックな社会的な制約が更にその世界観を増長していると思います。とにかく華麗なるギャッツビーの世界は稀に見る華やかなディテールで書かれているところが個人的にはすごく気にいっています。たとえば大富豪としてデイジーの近くにやって来たギャッツビーのその存在感は「白い瀟洒な邸宅、プールサイドと毎夜繰り広げられる華やかなパーティー」で謎めいていてもラブストーリーとしてもうこの時点で完成しているようなセンスに感動しました。対岸に住むデイジーへの愛情というよりギャッツビーという伊達男的なダンディズムの表現がスコットフィッツジェラルドの書きたい作家としてのほぼエゴイズムのような気がして私は大好きです。「美しい妻ゼルダと流行作家の自分」は正直イケてる作家ならここまで書いたらもう思い残すことはないだろうという感じ。この作家のナルシシズムが今日の多くの作家に気持ちを奮いたたせるような感動を与えているような気がします。女性の観点からしてもこれと近い感覚は私にもあってたとえば書いた文章や日記を残しておきたくなるのはギャッツビーの世界観のようなナルシシズムの塊が表だししているときなのだとすごく実感します。有名な作家の村上春樹さんはエッセイ等の中でよくスコットフィッツジェラルドについて賞賛されていますが「ものすごく完璧な発音の英語を話す美女にグレートギャッツビーを朗読させたい」と書かれているのを読んでスコットフィッツジェラルドに劣らない作家の望む願望がこういう事に喜びを感じられるのだと思うとなぜか創作やそれが仕事等ではなくてもナルシシズムとエゴイズムの感情は素直に肯定できるものだと納得できました。

失われた楽園の純愛について

ギャッツビーとデイジーの関係性はギャッツビーの現代では極端に感じてしまう劣等感のあまりにも激しい渇望がこの関係性を形成しているように思えてなりません。劣等感がここまでのパワーを生み出せる事に励まされた読者もきっといるかも。一攫千金を夢見るアメリカンドリームのベースとも言える物語ではないでしょうか?…本当にデイジーという女性が目的だったのでしょうか?それはこの作品の背景の時代を生きていなければわかりませんが私には強烈なナルシシズムとエゴイズムがポジティブに表現された結果だと思います。ラストシーンがもしハッピーエンドで終わっていればそのほうが安易に想像しやすいですね。たぶん物語のバックグラウンドを際立たせるためにはギャッツビーを永遠の存在にしてしまうしかなかったのでは?最後まで男の純愛を描く為のシナリオはデイジーのブルジョア女としての軽薄さがどうしても必要でそしてそれが享楽的で退廃的という最高の物語として完結していると思います。

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