距離にして0.5ミリ
サワとおじいちゃん
最近気になっている女優、安藤サクラさん。
ナチュラルで、なんとも言えない魅力があると思うのです。
そんな安藤さんが主演だということで、観てみました。0.5ミリ。
おじいちゃんを捕まえて(?)は別れ、捕まえては別れの繰り返しをするわけです。主人公のサワが。
サワは訳あって職・家・お金を一気になくします。
それから彼女の放浪がはじまるのですが、出会うおじいちゃんもどうやら訳ありの様子。
仕事も住む家も一気になくしてしまったら誰だって途方に暮れますよね。
帰る場所がないのって、とっても心細い。
サワが放浪中に出会うおじいちゃんたちは、お金や家こそあれどなんだか淋しそうな人ばかり。
彼らの弱みを握り、まあまあ強引な感じで同居生活を始めるサワですが、おなじ「淋しさ」を持った者として思うところがあったのでしょうか。
最初はサワをうっとおしいと思うおじいちゃんたちですが、だんだんと心の距離が近くなります。頑固で偏屈なおじいちゃんがまるくなっていく様子がなんとも可愛らしい。
孤独
映画の中で、サワの両親や兄弟といった家族、友達、恋人は出てきません。
普通、家もお金もない!なんて事態になったら家族や友人などに連絡しますよね。サワはそれをせず、放浪の旅に出ることにしたのです。
サワはひとりなのかなと思いました。
彼女には子宮がありません。映画の中でそう言っているシーンがありました。
この先、血のつながった自分の子を持てないということです。
そういう意味でもサワはひとりなのです。
でもカラッと明るくて、さっぱりしていて、どことなく力強い。サワからはそんな不思議なパワーを感じます。
誰しも孤独はあるかと思いますが、サワは自分の孤独をすべて知っているように見えました。
つながり、距離
軽い気持ちで観始めたつもりが、いつの間にかいろいろと考えさせられていました。
この映画、サワの背景もそうですが登場人物の背景が多く語られません。
ああでもない、こうでもないと推測を楽しむ視聴者もいるかと思います。
「0.5ミリ」というタイトルですが、何が0.5ミリなのだろうという疑問が頭にずっとありました。
真壁先生のテープに「0.5ミリ」の単語が出てきて、はっ!としました。
人の気持ちが動くこととその行く先
なのかなと。
サワが出会った人々と築いたような距離感、そこまで持っていけた気持ちのことをあらわしているのかな、と。
「血」はとても強いつながりです。
ただ、「距離」はときどきそれを超えることもあるのでしょう。
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