花と奥たんと私
不自然な幸せな世界
奥たんの暮らしは、得体の知れない巨大な花の存在でいつ壊れてもおかしくない危うさを孕んでいる。無理して幸せを演じているのが不自然だけど、とても幸せにご飯を食べるその様子がとても魅力的で、影にある恐怖とフワフワとした可愛らしい奥たんとのギャップが恐怖をさらに強めている。生きることは食べること!抱えきれない恐怖を一生懸命乗り切るために行動している様子は応援したくなる。現実を忘れさせる強さが奥たんの料理にはあり、不自然な幸せが本当の幸せに変わる気がしてくる。本当のことは知りたくないけど、怖いもの見たさの心情を掻き立て、今後の展開がどうなってしまうのか、それはバッドエンドなのかハッピーエンドなのかとっても気になる作品です。
恐怖を優しく幸せに描いているのに切ない。。
本当に食べて大丈夫なのかな?そんな食材を美味しそうに上手に料理して食べる奥たんは本当は全てをわかっているのに、この場所で旦那さんを待って生きていくしかないから頑張って野菜やお米を作って生きていこうとしていて、その姿はとても切なく、いじらしく、自分も「頑張らなきゃな」と思わせる。この作者の作品にはいつもこの救いようのない切なさを感じ、毎日の幸せは簡単に壊れる可能性があるものだと思わせる。連載中に起こった東日本大震災とリンクしていることも多々あり、自分たちの生活を蝕んでいるものを感じさせ、重く心に響いた。
見ないふりをすること。それは逃げることなのか?
世の中を生きていく中で悩むことは多く、そんな時、「気にしなければ」「見なかったことにすれば」と思うことが多々ある。その方が幸せなのではないか?という疑問からだ。その問いかけに真正面から向かわせられている気分になり、今、自分の置かれている状況は本当は幸せで、全部自分のわがままなのではないだろうかと思わせる。頑張って強く生きている奥たんの姿は作品にもあるように小さいのにとても大きな魔法のように思える。奥たんの様子を影から支えるウサギのPたんの存在もとても重要で頑張って我慢して生きている奥たんの本当の部分を小出しにしてくれる。逃げているようで全然逃げていない奥たんのまっすぐな生き方に共感を覚える。これからどうなっていくのかとても気になる作品です。
料理から感じる奥たんの心情や日常の変化
作品中には数々の料理が出てくる。奥たんが飲まないであろうビールが一緒に並んでいるのを見ると旦那さんを待つ祈りを感じ、切なくなる。しかし、料理だけを追ってこの作品を見ていると、最初にあったビール、いわゆる人工物がだんだんと減っていき、それとは反比例して増えていく自然の食材。日常の変化を料理から感じ、蝕まれているはずの自然が逆に多くなっていくこの場所の不思議を感じ、正しいことは何なんだろうか?と思わせます。
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