半年で舞台の主役を務められた要因を探る
人前で声すら出せない女の子
演劇の経験など全くない主人公、麻井麦。それどころか、人前に出ると声も出せなくなるほどの極度のあがり症。それがわずか半年で主役として演劇の舞台に立つ。そのギャップというか、絶対に無理だろうということをやってのけようと、そして出来は良くなかったが本当にやってのけてしまうところに、この作品の面白さがある。しかし、そんなことは本当に可能なのだろうか。ここではそれを検証してみたい。
性格はそう簡単には変えられない
人の性格というものは、そう簡単に変えられない。私自身も昔から人見知りで引っ込み思案な性格である。数十年の人生を送ってきた中で多少は改善はしたが、基本的に引っ込み思案であることには違いがない。アニメの中の登場人物でも同じであり、ここでは例として『おおきく振りかぶって』という作品の、主人公三橋廉を挙げる。彼はオドオドした性格で、野球部に入部した当初に監督から「エースになりたいなら性格ぐらい変えてみせてよ」と言われてしまう。が、合宿、練習試合、夏の県大会予選と進んでいっても、オドオドした性格は一向に解消しない。多少緩和されつつあるが、キャッチャーやキャプテンからはたびたびうっとうしがられてしまっている。というようにフィクションの物語であろうと多少の現実味を持たせようとする物語ならば、性格はそうそうたやすく変えられるものではないという状況は現実の人間と同じなのである。では本作の主人公、麻井麦に目を向けてみる。麦が舞台に立てるようになったのはいろんな要因が重なったからだ。野乃先輩に見初められたこと、演劇研究会と演劇部のいざこざに巻き込まれたこと、そして何より、無理やりに主役に仕立て上げられて、どうしてもやらざるを得ない状況にされてしまったこと、勝手にライバル視する友人の登場など。どれが足りなくとも麦が舞台に立つ結末にはたどり着かなかっただろう。だが、いくら条件が揃ったからと言って、それまでの15年で培ってきた“あがり症”がそんなに見事に解消するものだろうか。この“あがり症”を麦本人も周りも皆性格だと言っているが、本当に性格なのだとしたら無理だと考える。
潜在的な要因を考えるカギは原作にあり
この検証をするうえで重要な内容が原作にある。アニメとしては演劇研究会が消滅し先輩の卒業で終了しているが、原作はこれ以降も続いている。麦は悩んだ末、改めて演劇部に入部するのである。そして、演劇部でありながら麦が演劇研究会のときにもいろいろアドバイスをくれていたライバル兼友達のちとせと文化祭の演劇の主役を争うまでになっていくのである。これを題材にしたアニメ第2期を望みたいところだがそれはとりあえず置いておき、話を検証に戻そう。この麦の行動から考えられることは、演劇というものが麦に定められた運命的な道だということだ。だとすれば、“あがり症”は性格ではない、と判断することができる。ちょっとやそっとでは直せない性格として“あがり症”がある人には演劇が運命的なものになりえるわけがないと考えられるからだ。先の「おおきく振りかぶって」の競技である野球の例では、性格に難があっても球を投げるという行為はできる。エースになれるかどうかは別問題として、投球自体はできるからだ。しかし、演劇はそうはいかない。主役がセリフを言わないわけにはいかないからである。以上のことから麦の“あがり症”は性格ではないと結論付けられよう。言い方は悪いかもしれないが病気のようなもの、もっとざっくり言ってしまえば「思い込み」のようなものではないかと考えられる。
すべては野乃先輩の見立て
自分に合っていて、本来やるべきもの、運命的なものでも、それと出会うきっかけがなければどうしようもないのである。麦にとっての演劇もまさにそうである。高校入学までは“あがり症”という思いこみが障害となって演劇という道など到底考えられなかった。それを知らしめてくれたのが野乃先輩である。これが創作物としてのお決まりのパターンではあるが、俗にいう「運命の出会い」というものである。そう考えると野乃先輩の力量は素晴らしい。何しろ、合格発表の「あったー」という大絶叫一つだけですべてを把握したと考えられるからだ。彼女の「文化祭までに(麻井さんに演劇ができるように)育ってもらいます」という言葉があるが、これは麦にはできるという確信がなければ出てこない言葉だと思う。彼女がそれまでに麦について知ることができたのはあの大絶叫だけであるから、あれだけで麦のことを把握してしまったと考えられるのである。自分自身の演劇力も素晴らしいが、他人を見る目も高いものを持っている、ということができるだろう。麦は先輩の卒業の時に「ありがとうございました」とあいさつをしているが、このことにつながっているものと考えられる。つまり、自分が本来進むべき演劇という道に連れて行ってくれてありがとう、という意味も含まれているということであろう。単なるお礼の言葉だが、このようによく考えてみると実に奥が深い言葉だと思う。
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