良い漫画だけど連載するのが早かった
面白いけど色々もったいない
最初に断っておきたいのだが、『スピナマラダ!(以下、スピナ)』はスポーツ漫画としてはかなり面白い部類に入る。
数々のスポーツ漫画を読んできた筆者であるが、試合展開といい仲間や訓練光景といい、かなり読み応えのあるスポーツ漫画だと思う。
しかしながら、その展開やギャグは、同作者・野田サトルが現在連載中の『ゴールデンカムイ(以下、金カム)』に比べると、かなり野暮ったさが残る。
例えばツッコミが遅かったり、『金カム』最大の武器である“ページめくりの衝撃”がなかったりと、スタイリッシュ狩猟ギャグ漫画である『金カム』を読んだ後では、ギャグやストーリーのキレが悪く感じるのだ。
だが、先にも述べたように、これは“『金カム』と比べると”の話である。
普通のスポーツ漫画などに比べれば、『スピナ』は中の上ほどの面白さを誇る漫画であると筆者は断言したい。
以降も、『スピナ』の難点について列挙していくが、これらは全て『金カム』に比べると劣る点という意味なので、誤解なきようお願いしたい。
『金カム』という卵を孵化させるための『スピナ』だと思えばいい
『スピナ』で気になるのは、各キャラクターの登場時の扱い方だ。
というのも、物語のメインとなるのはアイスホッケーの試合なのに、実際の試合が始まる前に仲間の各キャラクターを登場させすぎており、なおかつ各キャラに個性をつけすぎているのだ。
これはスポーツもの特有の難しさも関係しているだろう。団体競技であるスポーツは、どうしてもキャラクターが多くなってしまう。
例えば試合が始まる前に味方側の選手の半分を登場させて、残りは試合中、あるいは試合後から徐々にモブから脱却していく、という風なら読者もついていきやすい。
だが『スピナマラダ』では試合前にほとんどの仲間キャラを登場、紹介させてしまったため、読者はキャラの名前や個性を覚えられず、ちょっと置いてきぼりになってしまう。
特に野田サトルキャラは他の漫画の2・5倍ぐらいキャラが濃いので(それが野田サトルキャラの魅力であるのだが)、もっと時間をかけてじっくり紹介した方が絶対良かっただろう。料理で例えるなら、早く引き上げすぎて粉っぽさの残る豚骨ラーメンの替え玉。くず粉をつけすぎたぼたん鱧のようだ。『金カム』に比べると、個性がくどい灰汁のように感じ取れてしまう。
また、『金カム』との違いに、わかりにくい画力があるだろう。
もちろん、日常風景や訓練中は、もともと漫画の基礎力、地力がしっかりしている作者だけあって難なく読める。
だが、問題は試合中にある。というのも、面(ホッケーマスク)をつけると、登場人物が誰が誰だがわからなくなってしまうのだ。
これもまた、面をつけるスポーツものとして致し方ないところともいえる。
だが、誰が誰だかシルエットで一発でわかるほどの書き分けが出来ている『金カム』から読むと、ちょっと驚いてしまうほどわかりにくいのだ。
薙刀をテーマにした『あさひなぐ』は描き分けが出来ているのか、面金の上からでもどのキャラクターかはっきりとわかるのだが、『スピナ』は残念ながらキャラクターがわからなくなってしまう場面が多々存在した(アイスホッケーはより動きが激しいから仕方がないともいえるが)。
と、散々色々言ってしまったが、『スピナマラダ』の打ち切り(?)が『金カムイ』に繋がったと思うと、全くの無駄ともいえないだろう。
むしろ、『金カム』のあとで『スピナ』が連載されていれば、もっと人気が出ただろうに……とも思う。本当に惜しい漫画だ。
しかし、『スピナ』の潜在的面白さや、それを磨き上げて『金カム』を大ヒットさせたことといい、いずれにせよ野田サトルの漫画力には感嘆の一言である。筆者も年間100タイトル近く漫画を読んでいるが、ここまで「この漫画家はすごい!」と思わせる漫画家は近年では野田サトルぐらいである。
おまけ 『金カム』との関連性を考察 二瓶は子孫なのか?
最後に、同じ作者・野田サトルがヤングジャンプ上で連載中の『金カム』との共通点を洗いだそうと思う。
両作を読んだことのある人はご存知だと思うが、二つの作品には共通点がある。舞台が北海道であることも関係しているのだが、その多くはサブキャラクター絡みだ。
まず、センター分けの猫。これは『スピナ』では白川家にいつの間にか住み着いているが、『金カム』ではファッションモンスター・江渡貝くんの家にいた。『金カム』と『スピナ』には100年近くの時差があるが、もしかしたらセンター分けの猫の遺伝子は北海道に脈々と続いているのかもしれない……。
そして何より気になるのが、“二瓶”の存在である。
『金カム』の伝説の熊撃ち・二瓶鉄造と『スピナ』の二瓶利光は下ネタといい、『マリオ』のブロックのようなぼこぼこ頭といい、無茶苦茶な勢いといい、ほぼ同一人物のようにも思える。
だが、日露戦争後の『金カム』と、(おそらく)震災後の『スピナ』では時代が違う。この間およそ100年の差がある。
二瓶利光は『スピナ』において48歳なので、1960年代の生まれと過程すると、日露戦争後の『金カム』二瓶の息子ということにはならない(『金カム』のネタバレになるので詳しくは書かないが、色々無理な設定なのである)。
では祖父ならあり得るのでは? と考えるのだが、『スピナ』二瓶利光は「祖父母のセックスを見て泣いた」と発言している。つまり、スピナ二瓶と金カム二瓶の生存年代が一致する必要があり、これも色々と無理なのである。
つまり、野田サトルファンには残念な事実であるが、スピナ二瓶は金カム二瓶の直系の子孫ではない、ということになる。
とはいえ、遠縁か親戚かでダブル二瓶の血が繋がっている可能性はなきにしも非ず。金カム二瓶はたくさんの子持ちであるし、もしかしたら、二瓶家の偉大なる遺伝子は北海道のどこかに今も残っているのかもしれない。
センター分けの猫と共に北海道のどこかに存在する二瓶一族。彼らの血は、野田サトルの漫画に脈々と生き続けるのであろう。すげぇ怖い。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)