主人公ではなかった男
主人公でないがゆえ
私には漫画の主人公を好きにならない癖がある。たとえばドラゴンボール、主人公の孫悟空はいつも明るくて、誰よりも強い。一方ライバルのベジータ。悟空を意識して必死で修行するのに、絶対に悟空には勝てない。当然だ。それは悟空が主人公だからである。
悟空はプライドが高く口調も高圧的なベジータとちがって天然でいつも明るい。当然だ。彼は主人公であるがゆえに最後には必ず勝てるしおいしいところを持っていけるようになっている。暗くなったりひねくれたりする必要がどこにある。
そして私はそんな主人公には魅力を感じず、いつも悟空の”かげ”となるベジータを愛しく思うのである。
そんな私だから、この『俺たちのフィールド』においても主人公の高杉和也ではなく、ライバルの騎場拓馬が大好きだ。ライバルと書いてみたが、そう位置付けようとしてみてもどうせ和也は屈託のない笑顔で「拓馬はすげえなあ」と言ってしまうのだ。和也もまた明るく素直だが、そりゃそうだよ最後には絶対勝てるって決まってるんだから、おいしいところを持っていけるって決まってるんだからと、ひねくれた私はそんなふうに思ってしまう。それもこれも主人公だからというそれだけで。
凡人という役割
主人公の和也は特別な天才で、拓馬は凡人だという。和也だけが特別で、拓馬はその域にないのだという。
拓馬は近くにいて何度も自分と和也の違いを目の当たりにするし、自分でも彼を越えたことなどないとわかっている。漫画で人気があるのは、和也のような一番すごいプレイヤーなのだろう。実際のスポーツでも、一番活躍する選手に人気が集まるものだ。
だがそれでもやはり、私にとってかっこいいのは拓馬なのだ。主人公ではないがゆえ、拓馬は凡人だし、和也には勝てない。それでも、拓馬は自分は特別ではないという事実を受け入れて、努力や練習でそれを越えることを諦めない。最初から活躍するのが当たり前、おいしいところを持っていくのが当たり前の主人公よりも、私はこういうキャラクターに愛着を持ってしまう。和也が世界レベルになり、海外にライバルが現れても、私は拓馬を信じてこの漫画を最後まで読んだのだと思う。結局最後のシュートも決めたのは和也だったけど、拓馬はやはり最後までかっこよかった。たとえ主役になれなくても、自分のできることは全部やった、自分の役割を全うした拓馬は、コマの真ん中に立てなくたって輝いていた。
拓馬の幸せを描写してくれた一コマ
拓馬は幼い頃に母親と生き別れ、その母親には今はもう新しい家族がいることを知っているため会うこともせず、子供の頃からずっと飲んだくれの父親の面倒を見て生きて来た。こんないい子を私は知らない。和也にも悲しい過去があるとはいえ、優しい母親がいて、幼なじみとの恋も描かれ、最終回では結婚して子供までいるのだ。拓馬は? 拓馬の幸せは? と女性ファンとして作者を問いただしたくなるのも仕方ない。
でも、ワールドカップの激戦の中で、拓馬が出場する試合を別れた母親が今の家族と一緒に見てくれているコマがあった。あのセリフもない一コマが、拓馬のささやかな幸せを表しているのだからそれでいいのだろう。あのコマを描いてくれた作者に感謝して、私はボロボロ泣いたものだ。
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