またあした
作画の配色変化
登場人物のキャラクター配色に変化が見られ、全キャラクターが明るくなりました。
当作品は、2作目となるOVAシリーズですが、制作会社や制作スタッフは変更されていません。しかし、配色だけが明るくなっているのです。前作のOVAシリーズと比較すると、画の違いは明らかなものに感じられます。
髪や目、肌の色に変更が加えられたわけではありませんが、全体的に明るい色を使われていることで、登場人物の存在が一層に栄えるようになったように感じられます。また、作画に光が差し込まれている場面が多く、制作スタッフが、登場人物を魅力的に映そうとする意図があるのだと考えられます。
当作品は、失礼かもしれませんが、話の展開や、取り扱うネタに斬新なものはありません。
しかし、原作者や制作スタッフは、初めから、そこで勝負しようとしていないのだと考えられます。
原作者や制作スタッフが勝負しているのは、登場人物を魅力的にすることなのだと考えられます。そして、魅力的に描く、映すことに注力されていると考えられるのです。その表れとして、作品タイトルの「苺ましまろ」なのだといえます。白くて、小さく甘い苺マシュマロは、主要な登場人物である信恵、千佳、美羽、茉莉、アナを指したものと考えられるのです。
また、登場人物はとことん絞り込んだ構成の作品であり、それは、原作者の登場人物への愛情だと考えられるのです。
そのことから、作画においても登場人物を綺麗に可愛く描くことに、全力が注がれている姿勢を垣間見ることができます。制作会社や制作スタッフが変わっていないのに、変化があるという事実は、制作スタッフの意図的な狙いがあったことを表していると考えられます。
また、原作者の意に沿って、忠実な内容でのアニメ化が実現されていることの表れと受け取ることもできます。
もし、アニメ化された作品が、原作者の気持ちやイメージを汲み取ったものでなければ、原作者は制作会社や制作スタッフは変えること望むと考えられます。そして、変わっていないという事実は、原作者と制作会社・制作スタッフの良好な関係性を表していると考えられます。
配色ひとつで、原作者と制作会社の関係性まで、予想することができます。
また、逆説的に、原作者と制作スタッフの登場人物への強い愛情が、当作品の配色の変化をさせたのだと考えられるのです。
美羽というキャラクター性
当作品で最大の売りとなっているキャラクターは、美羽の存在なのではないでしょうか。
美羽というキャラクターについて、分析をしていきます。
自由で元気いっぱいの女の子という印象が強いように思えます。
しかし、闇を抱えているのは間違いないでしょう。いくらお隣さんだからといえど、毎日毎日、隣に住んでいる友達と遊ぼうとするでしょうか。毎日のように遊びにくる美羽は、自宅に居たくない、という気持ちの表れなのだと考えることができるのです。
また、一人っ子ということもあり、姉妹や兄弟もおらず、寂しがり屋である美羽にとって、自宅というのは居ても苦痛という面が強いのかもしれません。現に、千佳の姉である信恵に対して、自分の姉であるような感覚をもっているようです。
信恵が千佳の下級生である茉莉やアナを可愛がる時、明らかに寂しそうな表情をみせます。
悲しさを表に出さない美羽にとって、唯一、悲しそうな表情を見せる場面なのです。信恵が、実の妹である、千佳を可愛がる分には仕方ないと理解しているのかもしれません。しかし、茉莉やアナを可愛がる場面では寂しそうであり、独占欲が働き、嫉妬心を抱いていると考えられます。
そして、そのことがトリガーとなり、美羽が突拍子もない発言や行動をすることが多いと考えられます。
自由にみえて、ストレスがないようにみえる天真爛漫な美羽ですが、心の中に潜ませているストレスは相当に強いのだと考えられるのです。また、美羽の突拍子のない発言・行動の裏側には、そういった自宅や生活での強いストレスが大きく作用していると考えられます。
また、美羽の親が描かれない事実は、そうは見えない美羽の悲しい気持ちや、寂しい気持ちを強調したいのだと考えられます。
あまり描かれることのない美羽の闇ですが、天真爛漫にみえる表面と本心の間にあるギャップが、美羽というキャラクターの本当の魅力なのだと考えられます。
本編で描かれる場所
主要人物のうち、4人は小学生なのに、学校生活が描かれることが少ないです。
アニメ本編で描かれている場所のほとんどは、千佳と信恵の部屋なのです。お隣さんであっても、美羽のお宅が描かれることもありません。描かれている場所が固定されている、というのも当作品の特徴といえるのではないでしょうか。
しかし、最後の場面だけは、展開が少し違ったのではないでしょうか。自宅だけで進行されてきた展開から、海に遊びにいく場面が描かれました。場所が変わることで、観ていると印象に残るものがあります。
これまで、ひたすら自宅を背景に描いていた展開から、「海」という非日常を描くことで、視聴者に締め括りを印象付けようとしている意図があったのだと考えらます。
そして、海という場所で、暮れていく太陽は、夕方の時間を表現しています。それは、子供たちが遊ぶ時間が終わることを指しているのだと考えられます。最終話におけるサブタイトルは「またあした」でしたので、海での日が落ちていく最後の場面を指しているのだと考えられるのです。
そして、最後の場面やサブタイトル「またあした」には別の意味があるのだと考えられます。
夕方になれば、当然のことながら日は暮れます。しかし、翌日の朝になれば、再び、日は昇ってきます。「またあした」というサブタイトルには、明日になれば、日が昇り、新しい物語が始まっていくことを予感させます。
きっと、アニメ本編はこれで終わりだけど、この物語には、まだ続きがあることを表現したかったのではないでしょうか。そして、「続編OVAを制作したい」という制作スタッフの気持ちの表れだったとも考えられるのです。
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