自殺について、全く違う世界観を突き付けられました。
「暗い映画なんだろうなぁ」と、侮ることなかれ
恐らく暗い映画であろうと分かっていて観始めると、流れてきたのは予想外の間の抜けたようなオープニングの音楽。“この先には妙チキリンなことしか起こらないよ”とでも言いたげな雰囲気が漂っていて、ただの暗い映画ではないなと予感しました。自殺したであろう大人の男性の靴と、人生最後に飲んだであろう牛乳瓶の空き瓶を両手に持ってゆっくりと家に帰る主人公の千代(高橋恵子)の様子が、悲しいような、手慣れたような、ほっとしたような、そんな独特な始まりに、いい意味ですでに予想を裏切られました。
自殺志願者が集まる場所に住む人たちって、しんどいだろうな
『カミハテ商店』で自殺者に最後の晩餐となるコッペパンと牛乳を売る千代と同じように、自殺の名所といわれるバスの終点『上終』に、戻ってくることのない客を乗せる運転手もまた、暗黙のうちにあの世への案内人となっていたある日、店を辞めると決めた千代が自殺者を止まらせる結果となったとき、運転手が「乗せた人が帰ってこん次の日の朝は目覚めが悪いけん。今朝は良い朝だったなあ・・・」と千代に言った言葉が印象的でした。縁もゆかりもないただのお客なのに、その人が闇を抱えていることにも気付いていて、この先のその人の未来も分かっているのに、何かができる立場でもない。『死』を覚悟してここまで辿り着いてしまった人を、一言二言でなんとかできるはずもない。そんな中に存在しているこの人たちってなんだかすごいなと思いました。死にたいと思っている人を死なせないようにするのは“正”なのか、あえて見過ごすことは“悪”なのか、思わずそんなことを考えてしまいました。
自殺は“世の中レベル”の問題じゃなくて“半径1メートル”の問題なのだ
千代が商店を閉めることになったことが恐らく原因で、自閉症の牛乳配達の青年が崖に立ち自殺しようとしていたのを、千代は必死に引き止めました。これは千代が初めて自殺者を引き止めた瞬間でした。今まで千代のもとにやってきた自殺志願者は、千代にとってはきっと止める理由も権利もない赤の他人です。でもこの青年は違った。毎日顔を合わせ、当たり前のように自分のそばに存在していた人間です。だから引き止めたいと思ったのだと考えたら、やっぱり自殺したいと思う人間を止めることができるのは、警察でも学校の先生でもお悩み電話相談の誰かでもなく、心からその人に死んでほしくないと思っている誰かじゃないとダメなのかもしれないと思いました。この世から自殺という悲しいニュースを消すためには、世の中がどうだからとか、こんな時代だからとか言っているのではなくて、まずは自分の周りに当たり前のように存在する人が「死にたい」と思っていることに気付いてあげることなのかもしれないなと、しみじみ思いました。
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