人生の二人三脚からの悲しい脱却
今までずっと二人三脚の創作活動人生だったが…
この映画は、今までのシュヴァンクマイエル監督作品からは転機を迎えた作品である。
というのも、長年映画を一緒に作り続けて来た、妻エヴァが他界して初めての作品なのだ。
私はシュヴァンクマイエル作品は96年作の「悦楽共犯者」からずっと追いかけているが、エヴァを失ってから作品を創るモチベーションはきちんと保たれるのか?そして今まで関わって来たエヴァ無しに作品は一体どう変わるのか?にとても強い興味を引かれた。
そうしたら、映画冒頭からまずとても衝撃を受けた。
今まで一部の初期短編を除いてフルカラーが当たり前だったのに、この映画はほぼ白黒だった。
まるで、監督の妻を失ってからの喪失感や無味乾燥さが、色に現れたようだった。
今まで妻エヴァは作品に何をもたらしてきたのか
今までのシュヴァンクマイエル作品に共通する事は、「ストーリーを追おうとしても他の小道具や映像のギミックが凝り過ぎていて気をとられ、ストーリーを見失う」だった。
今までの作品は、全て観るべき場所が多すぎて監督が本当に表現したかったものに着目するのに注意が散漫になってしまい、結果とても難解になる。
しかし、この作品に関してはそれがない。最初から最後まで、すんなりとストーリーを追えてテーマがはっきりと見える。
今までは妻エヴァが、夫ヤンの作り上げたストーリーにいい意味で介入し、独特の混乱を生み出していたのだ。
難解な映画は得てして観る人を選ぶが、シュヴァンクマイエル作品にはその難解さと独特のビジュアルがあるから他の追随を赦さないものがある。
そして芸術家は、自分が個人で作り上げた作品を愛する気持ちと同時に、介入者、介入物によって自分の作品を自分の予想もつかないような形に作り替えてくれるハプニングを待っている気持ちもどこかに持っている。
それがヤンに対してのエヴァで、今までシュヴァンクマイエル作品を一層奇妙に見せていたのは、妻エヴァだったのだ。
恋しいのは…
この話は、結局一人の男性が深層心理でずっと母を求め続けていたという内容で、ひと言で言ってしまえばつらい現実に嫌気がさして母胎回帰を願う話である。
夢の中で理想の女性に出会い、彼女と恋に落ち、そして現実の世界よりも夢の世界へとどんどん没頭して行く。
しかしその理想の女性というのは結局自分が幼い頃に自殺してしまった母親で、最後に赤ん坊の頭身になって母親の血で真っ赤に染まったバスタブの中で泳ぐ姿など、母胎回帰以外のなにものであろうか。
私はとてもこのシンプルな、「お母さんが誰より一番」という欲求の表現にとても驚いた。
男性は、たとえ76歳になっても「お母さんが誰より一番」なのだ。
エヴァンゲリオンもそういう内容だった。
個人的には、伴侶に先立たれるという事にはとても複雑な多種多様の気持ちが混ざり合うものだと思っている。
悲しいや寂しい、戻って来て欲しい、これからどうしようがメインなのだが、私はその中に「どうして私を置いて行く、どうして私を一人にするんだ」という恨みのような、裏切られたというような「傷つけられた」という感情も小さく存在すると思う。
劇中で、主人公の男性の妻は結局主人公の所にはたどり着けず、男性は無事母親と再会して2人きりの時間を手に入れる。
これは妻エヴァに対して、先立たれてふてくされているシュヴァンクマイエル監督の感情の現れなのではないだろうか。
「妻は僕を裏切って先に死んじゃったんだ、お母さんひどいと思わない?」
という気持ちが、無意識かどうかわからないが監督の中にはあったのではないだろうか。
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