アクセルしかない青春で
旬とは、昔ながらとの配合
このドラマはmiwaに支配されている。なんて言うのは大げさですが、ドラマのタイトルを見ると、
すぐにmiwaの歌う主題歌「ヒカリヘ」がパーッと頭の中に広がります。その逆も多くて、
この曲を聴くと、このドラマを思い出します。アーティストの才能もそうですが、
ポップスってすごい力がありますね。
旬のドラマって旬の曲がセットになっていることが多くて、旬旬(しゅんしゅん)してると
ああドラマだなあって感じがしていいですね。
高級ブランドチョコより、グリコのポッキーとかロッテのパイの実を、はぁおいしいなーと
感じるのに似ています。(高級チョコも良いのですが。)こんなふうに、旬のドラマとは、
老舗の作りに加えて、「今」に対応する導入の気軽さがなくてはいけません。連続ドラマは、
めちゃめちゃ深い味わいとかは、なくて良かったりします。それがおいしさであり、飽きないから
最後まで見ても、まだ見たくなる。今作は、そんな好かれる作品になったのではないでしょうか。
(放送後、DVDがよく売れたそうです。)
確かに、展開のスピード感や、時代背景(学生の就職難 IT業界への注目が高まる 格差社会)など、
見やすさ、導入の窓口の広さが秀逸でした。見れば必ずどこかには「好き」だったり「興味がある」部
分がみつかる、万人受けしやすいドラマだったと思います。人気の俳優陣も揃っていましたし。
恋愛ものでもあり、ヒューマンでもあり、職業ものでもあり…ジャンルも好きなように捉えることがで
きました。盛りだくさんの要素をまとめていて、すごいんですよね。
一番感心したのが、IT業界や独立起業する青年をリアルに描けていることです。
取材したのか、想像で組み立てたのか、両方だと思うのですが、本当の出来事のようでした。
こんな筋の話を書いてくれと言われても、細部が難しくて書けないと思うのです。
変は特徴ではない
あるラジオで、「miwaの声質は今の時代だから受け入れられたのか?」とDJが感想を
話していたのを聞きました。確かに、この高音は時代に合っていたのかもしれません。
DJは「昔は、この声はオーディションも難しかったのでは」と。
(どのくらい昔なのかわかりませんでしたが、この方は、miwaが新鮮で、
今自分がいる場所が新しくなっていることが不思議な気持ちなのだそうです)
だけど、音楽が時代に合っていたのではなくて、アーティストが時代を作った
のかもしれない。その曲を求め、その曲に周りが合わせてしまった。そんな風にも考えられます。
変な声(変な歌い方)の有名な歌手は、いつだっていたじゃないかとも思うのです。
その人たちがどうして有名になるほど人気が出たのかわかりません。ただ、どの方も共通して、
中毒性があると思います。頭から離れにくいというか。変わっている!というのは、
おかしな爆弾なのだと思います。ドカンと衝撃がきて、目の前が消えてしまいます。軽く記憶喪失。
このドラマでは、若手の企業家が、どう時代と向き合うのか、何を世の中に発信したいのか
そういうのも見どころだったのですが、こういう人もアーティストと言っていいように思います。
社長って、「変人」が多いって聞きますよね。それで歌手も「変な声」って書きましたけど、
「特徴的な声」と直すべきかちょっと考えました。
でも、この場合の「変」と「特徴的」は違う。「特徴的」はピンとこないな。破壊力に欠けます。
「変」というのは、あまり褒め言葉では使われません。「変」というのは「変える」という
意味があるからです。「変える」ものを世間は警戒するのです。世間としては、変えるなんて、おかし
いのです。あんまり変えないでほしいのです。多分。(作中では、農家の老人にパソコンを
触ってもらうとして抵抗されたり)。変えられる、のは現状に良くない点があるからで、
そもそもその現状がどうなのかわかっていないことがほとんどです。
大抵は皆、この前変わったものに慣れるのことで手いっぱいです。
次々と新しくされては困るのだから。人には人のペースがありますから。
ペースのお話し
それで、「ペース」というのがやっと出てきたのですが、このドラマは、ペースのお話かと思います。
「アイデンティティ」や自分探しのお話しと評されることもあるようですが、自分の個性を他と
どう合わせていくのかが問題だったのでは、と思います。自分のアイデアを何に使うか、とか
どうしたら自分の意見や思いが通るのか、とかそういうところを悩んでいて、それが面白かったように
感じます。好きな人のために、何かしたいけれど何もできない、と悩むのは、これまでは
能力不足の無力感のことでしたが、今作では自分にできることが役に立ててもらえない、ということ
なんですね。してあげられることが、合わない、という。
登場人物は全員、才能のある人たちです。努力家だし、夢もあります。ただ、ペースが別々なんです。
単純に考えるペースでもあり、社会や、職場、お金、生活、恋、何かとペースが合いません。
だから、どのくらい自分を削れるのかで悩むお話だったのではないでしょうか。
分かりやすいところで見れば、レストランで、主任と副主任が喧嘩するシーンなど。
あれは上司が女性だから気に入らなかったのか、上司のやり方に合わせられなかったのか、とにかく
あんなふうにペースが狂うことは、日常でもありますよね。
ずば抜けた個性や才能のある人、精神力の強い人や視野の広さや視点の違う人には、
周りのペースに合わせるためのペース配分は大きく感じる壁なのかと思います。
私たちは、そんな才能ある主人公たちの「できてあたりまえ」の世界が羨ましくもあり、
眩しくもある半面、こちらでの「できてあたりまえ」が出来てないようなところを見るのが
面白かったと思います。
じゃあ、彼らが普通の人間じゃないのかというと、いやいや、社長も東大生も、
若者の感情面をみれば共感できるところばかりでした。同じような感情の揺れを経験しながらも、
行動によって自分の価値や地位を高めた人たちなのだと思います。ただ前へ進むのに精一杯なので、
「少し」引くことができない。力加減ができないから、恋愛でも大きく引いてしまうのが
この人たちです。(社員も難なくクビにできたりするのですから)だけど、その力加減の調節が
不器用なのも、見ていて面白いのです。
静の場面
人にとって幸せなのは、受けたい人からの愛情を受けることかもしれません。
母親から、片思いの人から、仲間や同僚から、などなど、それがスムーズにいってない
主人公たちでした。誰しも、どうすればいいのかわからないことってあるんですね。
そんな中で印象が深かったのがタオルのシーンです。
日向の家の洗面台で真琴がタオルを掛けます。顔をふくときに「便利だから」と言うのですが、
日向は自分のスタイル(置き場所)と違うといって怒ります。真琴がいなくなって
タオル掛けのタオルもなくなります。日向は思わず、タオル掛けのタオルを使おうと手が伸びる。
タオルはありません。いつの間にか、タオル掛けのタオルの良さを認めていたこと、
それが当たり前になっていたこと、助かっていたこと、でももう無いこと、日向の中で
真琴の存在が何だったのかすごく伝わるシーンでした。
このドラマは、日向の名言や、真琴の行動のひたむきさやかわいらしさが注目されましたが、
どうも私は、日向が座禅を組んでいるところや、母に会いに行った場面など、セリフのない
静かな場面が強く心に響いています。演出のせいか、小栗旬の役者魂か分かりませんが、
ストーリーに一拍置くシーン、そこに日向の気持ちが表現されていて素晴らしかったです。
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