メッセージが隠されたモダンホラー - オッド・トーマスの救済の感想

理解が深まる小説レビューサイト

小説レビュー数 3,368件

オッド・トーマスの救済

3.503.50
文章力
4.00
ストーリー
4.00
キャラクター
5.00
設定
4.00
演出
3.50
感想数
1
読んだ人
1

メッセージが隠されたモダンホラー

3.53.5
文章力
4.0
ストーリー
4.0
キャラクター
5.0
設定
4.0
演出
3.5

目次

モダンホラーとSFのクロスオーバー

ミステリーや謎解きを求めると、退屈してしまうかもいしれない。

ただ、霊との関わりによって進むモダンホラーと、

霊とは異なる見えない恐怖、人が無秩序から科学的に産み出した生命というSFを

クロスオーバーさせたエンターテイメントであり、

その中にディーン・クーンツのメッセージが隠されている。

無意識的な知的な強迫神経症と、虚栄的な自己の秩序の元に無秩序を産み出してはいないか、

という問いかけを感じる。

狂った科学者だけでなく、様々な家庭や社会で起こりうることではないか、と。

無力さを知るが故の優しさと言葉

霊が見えるオッドの体験として綴られているこの物語は、

シエラネヴァダ山脈にある修道院で始まる。

修道士としてではなく、ゲストとしてそこでオッドは暮らしている。

同じゲストとしてそこに泊まっているロマーノヴィチは

インディアナポリスで司書をやっているというが、いうも恐い眼で人を睨むロシア人である。

そして、マフィアの元用心棒であるナックルズ。

そして、天才的な科学者であった、今は修道士のハインツマン。

道を外そうとする子供を救うために、下唇に「神に感謝」とタトゥーを入れた修道女も出てくる。

そう、誰も怪しく、個性的なのである。

そんな中で、誰よりもオッドは優しいと感じる。そして謙虚だ。

オッドには人が死ぬことがわかっても、どうやってそれが起こるかは分からない。

ただ、確実なことは悲劇がおこるということだけがわかる。

その苦しさから逃れるために、人が少なく、静かで悲劇とは縁の遠い

シエラネヴァダ山脈の修道院へとやってきた。それにも関わらず、非情にもボダッハは現れる。

ボダッハは何もせず、ただ人の死を眺める霊とオッドは考えている。

ボダッハはもしかしたら、未来の人が起こった悲劇を、

楽しみに過去に来ているのではないかとオッドは一瞬考える。

彼らは、私たちの愚かな子孫で、醜く歪んだ、病める魂の形ではないか。

そして、「何か」を起こすのは生きた人間なのである。

ただ、それがどういった形で起こるかはわからないのが、オッドのシックスセンスなのである。

目の前の大切な人間が「何か」によって死ぬことがわかっているのに、

自分にはどうすることも出来ない無力さを人が感じたら、何を思うのか。

彼はその無力さに対する恐怖を背負うことから逃れる為に、修道院へとやってきた。

しかし、ボダッハが向かったのが修道院に預けられた身寄りのない、

あるいは見捨てられた子供たちであった。

ボダッハに囲まれた少女、言葉を失くしたジャスティーンを通じて、

亡くなった恋人のストーミーが何かを告げようとするが、

彼女の死後の幸せを願い、すがりたい気持ちを置いて、オッドは応えようとはしない。

そして、幼い頃に虐待にあった自分やストーミーと子供たちを重ねて、守りたいと思うのである。

また、彼は霊に対しても思いやりをもっている。

彼に付きまとうエルヴィスの霊は母親に会わせる顔がないとオッドにとり憑いているのだが、

逆にオッドを励ますように様々な衣装で過剰に登場する。

そんな彼にオッドは優しく諭す。

「突然、気付くんですよ、自分はあらゆる点でなんてばかだったんだろう、と。

だから、向こうにいる者はみんな、こちら側の人間のことをぼくら自身よりも理解している 

ー そして、ぼくらの愚かさを許してくれるんです。」

エルヴィスに対しての言葉であり、自分自身が生きる意味として、

苦しくてどんなに情けなくてもストーミーは分かってくれるという信頼でもあると感じる。

そして、自らの秩序を守る為に、信じたいが為に、

子供たちを殺そうとするハインマンに対しても、オッドは平等な眼で彼を見る。

知性に対する強迫神経症の修道士

ハインマンは秩序に執着するあまり、無秩序を非難するだけでなく、

自分への侮蔑のように嫌悪し、拒否した。

そして、障害を持って産まれた息子を、生物学的な無秩序として捉え、

また自分の血を引くことで耐え難いものになった。

知性に対する強迫神経症の科学者。

それゆえに無秩序の根底に潜む混沌の中に秩序を見つけ、

無の中から生命を産み出してしまう。その無秩序より産み出された秩序は、

自らを侮蔑する存在、ジェイコブを殺そうとする。

また、ジェイコブだけでなく修道院に預けられた障害を持った子供たちを。

人の世界の秩序を乱すことは、ハインマンにとって無秩序を産み出すことにはならないのだろう。

彼の「子供」にとって、自分自身の「秩序」こそが全てであり、

虚栄心によって産み出された怪物なのだから。

修道院という場所で、修道士として科学者はある一面で神を信じ、

赦しを求めながら、自分と同じ顔をした死神を秩序たる「子供」として産み出してしまう。

そして、恐怖する。その「子供」は告解による赦しを望んでいなかったからだ

修道士となり、神を信じ、以前と違う自分であると主張するハインマン。

しかし、オッドは47セットのレゴで量子泡を作った子供と、

骨と関節で複雑な装置を作ったのは同じ子供であると告げる。

ハインマンはそれを認めながら、混沌とした無秩序への恐怖と、

秩序への強迫観念をコントロールすることは出来なかった。

無秩序と考えるものを認めてしまえば、彼の根本が瓦解するからだ。

もしも、1+1が2ではないことが真実だと伝えられたら、一体何が証明できるだろうか。

ハインマンにとっては、それと同様のことだった。

ロマーノヴィチのデザートイーグルによって、偽の神を失い、分解する。

果たして、ハインマンにとって、死は秩序への答えとなったのだろうか。

霊を見ることができ、死と生の狭間を見つめることができるからこそ、

オッドは平等で謙虚であるのだろう。自分が何も知らないということを知っているからこそ。

この物語は、ディーン・クーンツが語る通り、大衆が望むエンターテイメントであり、

その中に真の言葉とユーモアと隠れている。

ただし、エルヴィスを心酔している人間は憤慨するかもしれないが。

あなたも感想を書いてみませんか?
レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。
会員登録して感想を書く(無料)

関連するタグ

オッド・トーマスの救済が好きな人におすすめの小説

ページの先頭へ