不思議な話が多く掲載されている - 新耳袋 第七夜の感想

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新耳袋 第七夜

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不思議な話が多く掲載されている

4.54.5
文章力
4.0
ストーリー
4.0
キャラクター
4.0
設定
4.0
演出
5.0

目次

全10巻の中でも不思議色の強い1冊

新耳袋を深く読み込んでいる人にとっても、第7夜は「ノブヒロさん」のイメージが強いのではないだろうか。「ノブヒロさん」にまつわる14話(本の最後の方に収録されている「縁にまつわる十四の話」)は映像作品としても発表されている。このことから、第7夜と言えばノブヒロさんの巻でしょ?という形で、ファンの間では語られている。ノブヒロさんの話は要約すると、エツコさんという女性が、亡くなったノブヒロさんの気配を感じているという話だが、現在もこの現象は続いているそうで、幽霊版のストーカーという感じで気味が悪い。幽霊話としての恐怖よりも現実側の恐怖を感じる代表作だ。怪談と言えば中には「作り話でしょ?」という人もいるが、そういう意味ではこのノブヒロさんの話は、ホラーというよりもサスペンスに近く、違う恐怖(殺されるかもしれないという感覚)が強い話だ。新耳袋の話の中では、呪いであるとか祟られて死ぬみたいな話はあまり掲載されていないのだが、そういう意味でノブヒロさんの話は個人的な因縁を受けて恐怖に困惑する主人公が明確に存在している稀有なストーリーだと言えるだろう。生きているストーカーも怖いが、死んでいるストーカーも怖いので、こういう場合はすすんでお祓いをきちんと受けるべきだろうと思う。

中山先生の千手観音の写真

第4話「一本腕」の話のもとになった心霊写真は、中山先生が他のメディアでも発表している。女の子たちの記念写真で千手観音をしているのだが、腕が一本多いという話だ。文庫版には掲載されていないが、雑誌やテレビなどでは取り上げられたことがあるため見たことがある人も多いだろう。詳しく見たい人は「新耳袋殴り込み」という映像作品を参考にされるといいだろう。この写真の影響もあって、第7夜は、この千手観音のイメージも強い。写真に映った彼女たちに悪影響があったわけではないようだが、きれいに並んだ腕が一本多いのは芸術的とすら思える。また、記念写真とは言え「千手観音をやろう」と誰が言いだしたのかわからない、という点も非常に美しい(不気味な)構成だと言えるだろう。

人形はやっぱり怖い

ホラーが苦手な人は「人形が怖い」という人も多いが、第7夜には人形に関する話も掲載されている。擬にまつわる六つの話と題して掲載されている話だ。人形の話で言えば、稲川淳二氏の「生き人形」が有名だが、もとから人形には魂が宿りやすいと言われていて、念がこもって供養対象になる人形も多い。人の形をしている上、大事にしている人も多く、まるで「人の形に擬態している別のもの」という感じがある。人形関係の怖い話は珍しい話ではないため、この6つの話も特別怖い話ではないのだが、人形の怪談としては外せない典型的な怪談、という感じがして非常に親しみ深い。

事故物件ではないのに出るオバケ

昨今は事故物件ブームで、事故物件を検索できるサイトがあり、自宅や自宅周辺に事故物件がないか調べたことがある人もいるだろう。また、事故物件は家賃が安いということで、すすんで事故物件に住もうとする人もいるし、自分が借りた部屋が事故物件ではないかどうか怯えながら生活する一人暮らしの人もいるだろう。第三章、くずれたものにまつわる十一の話では、事故物件というわけではないのに怪異に見舞われる話が掲載されている。通常、怪異には因果関係があるものだ、と思っている人もいるが、そうとも限らない。事故物件でもないし、今までなんでもなかったのに急に怪異が起こるやら、中古の家具が原因であるとか。しかもちゃんと人の形をしていない(部分的な)オバケが出てくる。確かに怖いのだが、これはまるでパソコンのデータがバグを起こしたり、きちんとデータが送信できていなかったり、または別の人に間違って送信してしまう、といった状態にとてもよく似ている。人間の全身の画像を送ったのに首しか表示されない、みたいな感じだ。オバケがいったいなんなのかは、まだ現時点で解明されていないが、こうして考えるとなんだかオバケの方も気の毒に思えてくる。

新耳袋は怖いのか?

新耳袋と言えば、怪談実話作品が99編収録された短編集だ。この99編収録の本が10冊存在する。正直に言えば、後に語り継がれていくことになるだろう現代の奇書であり、けして偽物ではなく、こちら側に存在する怪異を記したノンフィクション作品だ。と言えば「いや、ちゃんと脚色してますし」と言われるかもしれないが、少なくともノンフィクションを元に書かれている実録本なので全部嘘というわけではない。短い話が収録されているので読みやすく、サラリーマンが移動中にちょっと読む、暇つぶし読む、寝る前に読む、というのに最適な本だ。さて、新耳袋は怖いのだろうか。正直に言えば、今販売されているあらゆる怪談本の中で一番怖いと断言できる。というのも、怖い演出をとくにしていないから怖いのだ。この本を「ノンフィクション本」として読み進めていくとその怖さがわかる。あくまで淡々と、あった事実を書き連ねている(ように見えるが実はちゃんと演出されている)。この絶妙なテンポが10冊続くのだからたまらない。第7夜ともなれば、第1夜を読んでやめられずに読みすすめてここまできた人が多いだろうが、もちろんどの巻から読んでも問題ない(読み切り短編なので)。今から怪談に一歩踏み出す人も、ずっと怪談沼にはまったまま抜けられない人も、新耳袋の10冊だけは、怪談の教科書として本棚に必ず置いておきたい本だろう。

全体的に優しい第7夜

第7夜は、全10巻の中でも比較的恐怖度が低く優しい怪談と言われています。ごく普通の人が怪異に巻き込まれる、という感じの話が多いからです。恐怖色が強いというよりも、不思議な感じが強い1冊です。印象深いのは、第三十六話の「寿司提灯」。ある夫婦が千葉県の国道をドライブ中、夜景を見ようと道を進むがなかなか目的地につかない。そんな中、提灯に回転寿司と書かれている店をみつけ、入ってみる。しかし店は満席で、客は全員うつむいたまま、皿はすべて空のまま回っている。よく考えてみれば狸か何かに化かされたような話だが、なんとなく「狸も回転寿司とか知ってるんだ、勉強したのかなあ」という感じで微笑ましくも思える。昔のムジナの話もそうだが、動物が一生懸命に人間の文明を真似て人間っぽくしようとしているような感じがして可愛らしいようにも思える。ただ、実際に体験した人の側に立ってみると、全員俯いたままの客、何ものっていない皿がぐるぐる回転している様はさぞ不気味だったろう。狐狸妖怪の類の目には、人が回転寿司を食べる様子というのは、こんな感じに見えていて滑稽に映ったのかもしれない。もちろん、こんな目に逢いたいとは思わないが、そこに悪意は感じられないので恐怖ではないのが救いだろう。

身近な怪談が一番怖い?

第五十一話の「ねぼけ眼」もそうだが、このような「よくありそうでとくに怪談話にはならないような怪異」は、実は一番身近で怖かったりする。もちろん、ただの夢のように思えばそうかもしれないし、勘違いだと言えなくもない。自分で自分の姿を見る、ということは相手は自分なのでオバケではないかもしれないし、かと言ってなぜそんなマジックのようなことが起こったのかも理解できない。証明することもできない。誰もが怪異を経験しているというが、このように「そういえば、夢かもしれないんだけど、不思議な体験をしたよ」という話が一番身近で一番怖いのかもしれない。

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