唄は世につて世は唄につれ - ル・バルの感想

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ル・バル

5.005.00
映像
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脚本
5.00
キャスト
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音楽
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演出
5.00
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唄は世につて世は唄につれ

5.05.0
映像
5.0
脚本
5.0
キャスト
5.0
音楽
5.0
演出
5.0

目次

セリフ一切なしの人情コメディ

1983年フランス・イタリア合作映画。監督はイタリアのエットーレ・スコラ。この映画には顕著な特徴があって、セリフが一言もありません。歌われる唄の歌詞はありますが、ミュージカルではなくあくまでBGMとして流れるだけなので、セリフ代わりになっているわけではありません。

と聞いただけで敬遠したくなった方は多いのではないでしょうか。あ、前衛映画ね。とか、何だか小難しそう、とか。ところがどっこい、この映画はそうした予断とは正反対の、物凄く判りやすい、誰にでも入っていける、ベタな人情コメディなのです。

セリフがない、というとパントマイムを連想される方もおられるでしょうが、この映画にはそれとも少し違います。登場人物の動きはすべてリアルな日常の動作と、そしてダンスです。そう、この映画では8割程度の時間、登場人物がダンスを踊っているのです。なぜなら、これは、ダンスホールを舞台にした映画だからです。

そんなんで映画になるのか

実は、登場人物がずっと踊っている映画としては過去に「死霊の盆踊り」というカルトムービーがありました。こちらは、主人公カップルが幽霊のダンスパーティーに遭遇するという枠組で、とにかく延々とダンスだけが続きます。ストーリーは何ひとつありません。自動車が1時間ほど走っている間に夜になったり昼になったり(別の日に適当に撮った絵をつないでいるため)、セリフはカンペに目を走らせながら読んでいるのがバレバレだったり、いい加減きわまる素人映画ですが、劇映画の文法を完全無視しているという1点のみでカルト化しています。単にストリップの映画版を狙っただけのような気もしますが。

これに比べるとこの映画はれっきとしたプロの仕事で、監督も実績のある人ですし、俳優は全員無名ですが、みな練達の舞台俳優です。実はこの映画は、パリの小劇団が大当たりさせた舞台劇を映画化したものなんです。キャストはおそらく舞台からほぼそのまま横滑りしています。

で、「死霊の盆踊り」と比べるのも失礼な話で、こちらはちゃんとドラマになっています。とはいっても、首尾一貫したストーリーがあるわけではなく、ダンスホールに集った人々の小さな触れ合いや諍い、駆け引きなどを踊りの中で、あるいはその合間に描いていく構成になっています。果たしてそれで2時間も持つのでしょうか。

唸らされるオムニバス構成

実は、この映画は変形オムニバスとなっています。まず現代(1983年)で始まり、途中で戦前(1936年)の話に移行します。ついで1940年、1944年、1946年、1950年、1968年とジャンプし、最後に現代に戻ってオシマイ。その間舞台はずっと一軒のダンスホールに固定され、カメラは1歩も外に出ません。バーテンダーは同一人物同一俳優で、現代編のヨボヨボの老人が戦前編に切り替わったとたんに矍鑠たる青年に一変します。その他の登場人物は、戦中の3篇のみが大部分共通、他はすべて変りますが、面白いのは舞台キャストを踏襲しているせいか、一人何役も振られていることで、わずか22人の俳優がメイクを駆使して100近い役を演じます。このあたりは後ほど。

各時代のエピソードは記念写真やスチームなどで巧みに繋がれ、ホールのインテリアや人々の服装はもちろん、色調も微妙に変化しております。長さも様々で、この時代の選び方、緩急のつけ方など、唸らされるばかりにうまい。

もちろん各篇においては、それぞれの時代に流行ったヒットソングがダンス曲として用いられており、いわばフランス版「唄は世につれ、世は唄につれ」となっているのですが、意外と日本人にも馴染み深い曲が多く飽きさせません。ビートルズナンバーを代表しては「ミシェル」がフランス語で歌われるのも面白いですし、現代篇ではなぜか古いシャンソン「待ちましょう」がギンギンのディスコアレンジ(しかもポール・モリーアです)でオープニングとエンディングに使われているのも楽しい趣向です。

ベタな人情コントだがきっちり笑わせ、泣かせる

各篇のストーリーというか、趣向は、おおむね男女パートナーの張り合いを軸にしたベタな人情コントです。ただ、イタリア人監督がフランス人(一人だけドイツ人ですが)を描いているため、微妙に皮肉な視点が効いているのが面白いところ。特に戦後篇で誇り高いパリジャン、パリジェンヌたちがコロリとアメリカかぶれになっていくあたり、実にユーモラスですし、戦中篇でのナチス士官と迎合者の戯画的な描写も、外国人、それも 枢軸国側に属した人ならではならではの冷めたものがあります。また、戦前篇のラストで開戦を告げに現れた軍人が片目の不吉な姿で描かれ、踊りを中断させられた人々が足を踏み鳴らして抗議する姿も特筆もの。フランスは一応は戦勝国ですから、第二次世界大戦はナチスドイツに対する正義の宣戦布告として始められたというのが公式見解のはずですが、ここではとにかく戦争そのものを絶対悪として捉える姿勢が描かれています。この次のエピソードで描かれるナチス占領軍士官がどちらかといえばコミカルなだけに、この抗議の描写のシリアスさは鮮烈です。

続く戦中篇で傷痍兵を迎えて踊りの輪が再開さる場面はベタですが泣かせます。1950年篇でアルジェリア戦争出征兵を見送る場面も同様。ベタな笑いとあわせて、てらいのないセンチメンタリズムもこの映画の大きな特徴といえるでしょう。

一人3~4役をこなす、早代わりの楽しさ

先ほど、22人の俳優が100の役に扮していると書きましたが、全員が無名に近い人(現代フランス映画をそれほど見ているわけではありませんが)なので、スター七変化みたいな楽しみ方はできません。ただ、そのぶん扮装が巧妙で、誰が何と何の約をこなしているかを探す楽しさは、ビデオ時代ならではといえるでしょう。ずば抜けた長身と猫背で目立つジャン・フランシス・ペリエールと、逆に小柄でギョロ目のマーク・ベルマンが一等目を引きますが、後者は、現代篇の変質者ぽいオジサン、戦前篇の酔狂貴族、戦中篇の胡散臭い闇屋だけでなく、1950年篇でサングラスに革ジャンの不良に扮しているところまで気づくのは、10回以上見た人だけではないでしょうか。現代篇で不気味なペリエールは、戦前篇で純情青年役なのでまだしも、終始ヘンなヤツを演じているベルマンは、素顔は実はアッと驚くほどの好青年です。海外版ブルーレイの付録についているオフショットビデオで司会役をつとめていて、全く誰だか判らないほどの変貌振りで驚かされました。映画だと(ロングショットしかないサングラス姿は別として)完全に中年男にしか見えないのですから凄いものです。

女優陣は逆に年齢高めで、若い役に扮するのにどうしても無理があるのですが、それも皆ご愛嬌。胸を揺すって妖艶なフェロモンを振りまいていた人が一転してひっつめのマジメ主婦風に変身したり、楽しい趣向が満載です。私は特に、アニタ・ピッチアリーニという女優の、同じ現代篇の中でオバサン然として登場しながら、踊っているうちにどんどん若返っていくような様子に魅了されました。これは扮装ではなく、あくまで演技と演出です。

後を引く余韻、呼吸鮮やかな演出

この映画は、現代篇でホールの閉店時間が訪れ、客が順次去っていく場面がラストとなっています。音楽も哀切で、あるいは半世紀を経たこのホールは本日が最終日なのかも知れません。が、照明が消えた瞬間、再び「待ちましょう」が流れ、出演者全員を丁寧に紹介するエンディングクレジットに移ります。開巻もそうですが、このあたりの呼吸が実に鮮やかで、観客のハートを鷲づかみをするアクセントというものを心得た監督だなと痛感。タイトルの後半は全員のダンスですが、明らかにカットをかけた1秒後までカメラを回していて、皆が踊りをやめ、ペリエール氏の猫背がすっと真っ直ぐになったストップモーションでエンド。実に後に尾を引く終わり方で、結局のところ私はこの映画を何十回見返したか数え切れていません。

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