肉欲に溺れてわかったことは何か - 溺れる花火の感想

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溺れる花火

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画力
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ストーリー
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キャラクター
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設定
4.00
演出
3.50
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肉欲に溺れてわかったことは何か

3.53.5
画力
3.5
ストーリー
4.5
キャラクター
4.0
設定
4.0
演出
3.5

目次

やけくその泳太

この漫画は、性欲のピークにある男子大学生が、彼女とはそういうことができなくて、結果浮気して別れてしまうというお話。タイトルの「溺れる花火」には、花火を通していろいろとイベントが起こっていることもあって、そう名付けられたんだと思う。それに、毎晩花火をぶっ放すことともかけているよね。

泳太は、彼女の小秋とプラトニックな関係をずっと保ってきた。それは小秋が病気で入退院を繰り返す病弱な少女だったから。一線を越えることが彼氏と彼女じゃない。そういう部分じゃないところで、俺は小秋とつながっている。そう信じていた。でも、興味がないわけじゃない。小秋の病気が治ったら、いつかはそういうことができるかも。俺はきっとそれでいいはず。大好きな俺の彼女…

そんな気持ちも、生身の女・夏澄に偶然触れた瞬間、今までくすぶってぐるぐる回っていたものが、ダムの決壊と共になだれ落ち、深く、深く堕ちていく。そこからはもうただの浮気漫画と化した。夏澄を小秋と呼び、生身の女にぶちこむ快楽に溺れて、夏澄から拒絶されるようになればバイト仲間のナナと、そしてナナの後は佐保と…もうやけくそ。そのころには小秋との体の関係も持てるようになっていて、もはや彼は何のために、小秋を彼女にしているのかも、恋が何だったのかも、わからなくなっていったみたい。佐保に今までそういう生活をしていたって話ができて、どれほど気持ちが楽だっただろう。彼が求めたものは、何だったんだろうって思う。性行為をすることは恋なのかな。恋の結果なのかな。行為の結果が好意で、恋なのかな。絶頂にたどり着いたら、それは花火みたいに散って消えていくのかな…

利用する女

泳太の若さゆえの欲求に応えてくれたのが夏澄。小秋のいとこで、小秋によく似た顔の女性。ただ一つ違うのは、健康で、元気だということ…っておい。泳太、夏澄は小秋じゃないし、ただ一つどころか、同じところを探すほうが難しいものなのに…こいつは、もう小秋に恋愛感情を持てていたわけじゃないんだよね。同情して、自分から告白したことの負い目とかばっかりで、自分が求めることばかり…与えることのできない男だったわけだよ。

だから、夏澄に利用されてしまった。彼女は過去のこともあり、子どもがほしかった。安定日だって嘘をついて、まんまと欲しかったものを手に入れた。小秋は泳太を自分から逃れさせないために、夏澄を利用したし、夏澄は泳太を利用したのだ。

男女の関係はきっとそれだけじゃない。と言いたいが、もしかしたらそれだけなのかもしれない。繋ぎとめられるものは好意の事実があるかどうか…そんなの嫌だから、必死に考えるし、抵抗するんだと思うんだ。でも泳太は全然抗うこともできていなくて、頭の理性では止めようとしていたものも、ダムが決壊してしまってからは、カラダの衝動を擁護する理性ばかりを働かせていたと思う。夏澄の子どもは泳太の子ども。男はいらない。子どもは欲しい。その気持ちはわからなくないよね。子どもなら、自分がいなきゃ生きていけないっていうの、本当だと思うし、何より、自分が生きている実感が強く持てる気がするもの。

利用される女

小秋は、泳太をつなぎとめるために夏澄を利用したはずだった。だけど、何もつなぎ留められなかったね。泳太がいなきゃ、小秋には何もない。病気の自分のところに、唯一、本当の笑顔で愛に来てくれる人。愛を語らい、共に生きることを望んでくれる人…

それが泳太のどうしようもない性欲に負けちゃったのは…悲しいことだね。小秋の世界は本当に狭くて、病気のせいで自分は彼をつなぎ留められないんだと責めた。そして、自分から離れていってしまう彼を責める。女と違って、なくてもいいようなものってわけじゃないんだよね、男の性欲とは。こればっかりは、異性からはわからないことなのかもしれない。そこをうまくついて、何が悪かったんだろうね…って考えさせて終わってしまう。この感じ、作者さんの他の作品で、「ヒメゴト」でもそうだった。性別って何だろうね、付き合うって、カラダの関係ってなんだろうねってより深く、長く、考えさせるのが「ヒメゴト」。「溺れる花火」はその序章って気がしている。

泳太にとっては、小秋のことがいつも頭の片隅にあって、でも普通じゃないからと理由をつけることで、自分が尊く、犯してしまったこともしょうがないことのように思えてくる。はたから見てればただの浮気なんだけどね。そして小秋はフラれた人。もうどうしようもない人…

小秋って、かわいそうなんだけど、なんか憎たらしい気がする。夏澄を使ったことだってそうだし、そうしなくてももう少し我慢させておいて、がっつかせればよかったじゃん。「なんで強引にもっときてくれないの」とかマジでウザい。じゃぁ最初から、すべて約束して、夏澄なしで、恥ずかしがってる場合じゃなく、言ってやればよかったと思う。

ただ好きだった女

佐保は、終盤に出てきて、すべてかっさらっていった。泳太という存在も、子どもも、泳太の横にいることのできる立場もすべて。でも彼女は、なーんも悪い事ないでしょう?小秋に別れてと言ったことだって、泳太を想っているからであり、泳太から想われている確信があったから。体の関係だって、初めてが泳太だったし、むしろ夢中だったと思う。ただ、泳太を好きだったと思う。でもね、泳太はあんたのカラダが好きだったし、ヤらせてくれるところが好きだったんだよ。

なんだかんだ、泳太のその無欲そうにみえるところ、そそられる女は多いみたいだ。残念だけど、泳太はヘタレで、欲深く、執念深い人間だった。5年後に花火が打ち上げられていたとき、確かに佐保は泳太を手に入れていたけれど、花火が打ちあがったあの時、また泳太は夏澄を探すだろうか?それとも、あのシーンは泳太の夏澄への、そして小秋への後悔?佐保だって、花火を見ればあの日を思い出してしまう…。欲しかったのは、なんだったのかって。佐保も、処女だ童貞だと騒がれて、ほっとけって思いつつ、興味がなかったわけじゃないんだよね…理性と本能の合間に、答えを求めてもどうしようもないのかもしれない。

好きな気持ちは何から生まれるのか

この人好きだー!って思うのは、カラダが先か、心が先か。心が先だと言うと綺麗な気がして、カラダが先だと言うとチャラくて汚いもの(だけど汚れているからこそドキドキしてそそられるもの)のように感じられてしまう。結局、どちらが先ということは言えなくて、好きの気持ちに性欲が湧くのはたぶんどうしようもないんだと思うんだよ。小秋と泳太は、本当のところで歩み寄れず、病気を理由にしてぶつかることを避けた。口にしてしまったら、悲しい思いをさせるかもしれない。でも、口にしていればよかったと思うくらいなら、やっぱり話すことは話すべきだったよね。

もしかしたら、小秋と泳太が順当に付き合っていたとしても、物足りなくなった泳太が浮気することはあったかもしれない。相手が病気だと思うからこそ遠慮してセーブするなんて、泳太にはできなかった。だって今までだって、たくさん我慢してきたんだ。そして、病気を理由にして、付き合い続けることが尊いことのように思えてしまったんだろう。

好きなのに、何が好きだったのかもわからなくなるほど、他人に左右されて、自分で価値観を決められないからこんなことになったんだなーって思うよ。

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