「背徳感」で満たされる感覚はこのドラマならでは!
共感出来る「究極の」背徳感
サラリーマンなら誰しもが憧れる「平日昼間のビール」。夜のビールは頑張った自分へのご褒美であり、達成感が裏付けにある。しかし昼間のビールにあるのは背徳感。いけないと分かっているがやってみたい。心の奥底に眠っているそんな欲求をくすぐられるドラマである。しかも主人公の内海は成績不振の営業マン。仕事が出来ないのに、大好きな銭湯とビールの誘惑にすぐに負けてしまう姿はもはや「究極の」背徳感であり、サラリーマンの憧れともいえる。特に内海が湯舟に入った瞬間必ず叫ぶ「申し訳ない!」のセリフ。若干のイライラを感じるほど強烈な羨ましさが見ている側の心を支配する。しかし、ドラマ終盤になると、内海に自己投影している自分にふと気が付く。日常のストレスがちょっとだけ減った気分になる。物語が進むに伴い満たされていく感覚は、他のドラマでは味わえない独特なものがある。
銭湯はいまや非現実的な理想郷
今では減少傾向にある銭湯。街中で見掛ける機会はかなり少なくなった。そんな銭湯には、毎回様々な人々が集まってくる。大好きな銭湯に入る内海の目の前では、いつも彼らが織りなす人間模様が繰り広げられる。ルールを知らない若者を注意したり、外国人と言葉を超えて通じ合ったり。「風呂に入る」という毎日繰り返される味気ないイベントが、銭湯では「人間味」という味付けによって全く異質なものに変化する。人間関係が一層ドライになっている現実社会とは全く対照的、言うなれば非現実的な場所。内海がサラリーマンという現実から逃げ込む理想郷なのだろう。
現実も捨てたもんじゃない
セント酒を楽しむ内海に必ず訪れる「終わりの時」。上司の堂園からの怒り電話である。現実逃避していた内海と視聴者を一気に現実に引き戻す堂園は、出来れば最後まで登場して欲しくない人物。しかし堂園の存在は、現実も悪くないかな、とも思わせる。数字が全ての営業において、成果の出ない内海はある意味「お荷物」。にもかかわらず堂園からは見捨てるような冷たさを感じない。頻繁に内海に声を掛ける姿、時には一緒に営業先に出向いて自らのノウハウを見せる姿、成果が出た時に自分も一緒になって喜ぶ姿。何とか結果を出させてあげたい、そんな厳しくも温かく内海を見守る姿勢は、見ていてどこかホッとする瞬間でもある。内海が毎回「頑張ろう」と思えるのは、銭湯・ビールのみならず堂園の存在が背景にあるのではないだろうか。
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