誰にでもある感情の怖さを感じる作品でした。
頼子の危うさ
頼子に対して私がまず思ったことは、彼女は【潔癖症である】ということです。
母親に対しての反抗心。もちろん彼女が反抗期である、そうゆう年代の少女だということもありますが、母親に男の影がある事で、[女を感じる母親が汚い]と思っての反抗のように思えました。
また母親も、精神的に不安定な娘をほっておいて男と泊りがけで外に出てしまう心の弱い、男に依存した女性であった為に楠本頼子の潔癖症は強まってしまったのでは?と考えました。
そして、その潔癖症の頼子が愛した、信仰した女性が加菜子でした。楠本頼子にとって、唯一無二の完璧の象徴、存在であった加菜子は全てにおいて完璧に出来、完璧に綺麗でなければならなかったのです。
作中で1番、危うい存在だと思いました。極度の潔癖症であり、自分の理想像から離れたものを認めない、サイコパスを感じるような人物だと思いました。頼子のこの精神状態、考え方は治るものではないように思いましたので、また彼女は他の完璧な象徴を見つけ出し、崇拝していくのではないかと感じました。
雨宮の純粋さ
最初のシーン、加菜子の頭の入った箱を持ち、純粋無垢な笑顔を見せる雨宮。私は始め、とても恐怖を覚えました。でも、考えてみれば雨宮は作中で1番純粋な心を持った普通の人なのではないかと思ったのです。もしも、自分の愛する人が死んでしまったと思って、悲しみのどん底にいる。そんな時に、頭部が、しかもまだ息をしている状態で自分の目の前に現れたら、気持ちが悪いなど思わずにきっと私も愛する人と2人で逃げると思ったのです。雨宮はその結果、のちに加菜子が本当に死んで干からびてしまっても、現実を受け止められずに逃亡旅を続ける、、、。現実を受け止められなかったのではなく、受け止めないことが自分自身の幸せであると理解して永遠に2人で旅を続けているのかもしれないと思いました。人間的で、純粋に自分勝手に生きている人だなといった感想をもちました。
作品としての怖さ
箱にはいった頭への純粋な恐怖ではなく、きっと誰もが持っている人間的な感情への恐怖を感じる作品でした。誰もが大なり小なり、他人への期待や理想像を持ったり、自分の気に入らないことに対して激怒すること、成長期段階での異性への違和感、愛する人の死を受け入れられなかったり、頭で理解は出来るが心が受け止められなかったりすることはあると思います。そんな誰にでもある感情が、歯車が狂い、このような出来事にまでなってしまう。そこにこの作品の怖さを感じました。
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