ワンコ=多部未華子がワントップで引っ張るコミカルストーリー!
目次
第1話冒頭からコミカル銃撃戦でどうでもいい番組ですというアピール
機動隊突入に「ワンダフル」のと呟く刑事ドラマオタクの主人公、視聴者に状況を説明するセリフを連発して誰に話してるんだ? とか、うるせぇ! と叱られ、ロリータファッションで殺人現場を闊歩する。
主題歌やBGMは「太陽にほえろ」を露骨にパロディしているし、愛犬の名前はパトラッシュだし、主人公花森一子=ワンコは警察犬と同等の嗅覚を持つ、などやりたい放題である。
誰もがわかるように、どこを切ってもコミカルな気配満載、気楽に見てね、というスタンスの作品だ。
意外とストーリー性がある、ような気がする
どうでもいいようなコミカルな話が中心だが、一応全10話中の8話まで、警察の腐敗を題材にした一つの事件が背景にある。
この手のお気楽な作品にシリアスストーリーを混ぜ込むと、微妙に浮いてしまったりちぐはぐな展開になったりするが、本作はそこに陥ることなく上手くまとまっていた。
第1話で先輩刑事ガラさん=五十嵐が犯罪組織に情報漏洩している、という展開は多少ミスマッチな感はあった。こんなお笑いドラマみたいな話に、無理をして真面目ぶったシーン入れなくていいんじゃないの、と。
しかし、ワンコが拘留されたガラさんに度々悩みを話に行くシーンが丁寧に描かれると、これはこれでアリだな、と思えるようになる。
安易な恋愛に走らなかったことが勝因
原作マンガでは恋愛要素があるが、テレビドラマでは、ほぼ排除されている。雰囲気としてシゲ(沢村一樹)とキリ(手越祐也)が恋愛対象に見えなくはないが、気配のみで終わらせているところが秀逸だと思う。
例えば上記の二人との恋愛を書くことはドラマ作りとしては容易だったであろう。
三角関係にしても良かったかもしれない。
しかしテレビ版製作スタッフはそこに走らなかった。
ドラマ内の男性陣から見るとワンコはあまり女性として認知されていない。
シリーズ序盤では手がかかる新人として扱われ、超人的嗅覚も信用してもらえない。
しかしいろいろな事件のたびに、少しずつその能力と事件に対する本気度が評価されていく。個々の悩みなどに関わるワンコに対して仲間意識も生まれ、最終的にはチームのアイドル的ポジションを勝ち取れる。
恋愛ドラマに走らなかったことで、ワンコは刑事ドラマに憧れて、捜査に燃えるちょっと変(かなり?)な女の子というキャラクター像を崩さなかった。
仮に恋愛要素を強く押していれば、ワンコは普通の女子となり、ある意味彼女のキャラは汚されていただろう。
また、13係のチーム意識よりも個のキャラ性が目立つようになり、こののほほんとした雰囲気を作り出すことも難しかっただろうと思う。
言い切ってしまえば、本作は完全にワンコがワントップで引っ張っており、他のレギュラー陣の全ては、彼女を引き立てるためのわき役に過ぎない。
これを貫いたが故に、視聴者はワンコの精神的処女性を素直に楽しみ、時に見せる彼女の慈悲を聖母のものとして受け入れることが出来たのだと思う。
前述の五十嵐が犯罪者として描かれるシーンをもう一度考察しよう。
こんな軽いドラマにその設定必要なのか? みんなで楽しくやってればいいんじゃないの? そう思う人も多いだろうが、それは違う。
13係、彼女がLoveという言葉を使って敬愛するあの人々ですら、世俗の垢にまみれた人々に過ぎない。だがワンコは違う。
この世界では彼女は穢れなき天使であり、五十嵐に相談に行くという形で行われる面会は実は彼女が天使としての慈愛を供給しているのだ。
チャンコ、ボス、シゲ、コマ、キリらは全て彼女の天使性を受け入れることで少しだけほがらかに生きれるようになる。
これは恋愛色を出さなかったが故に、結果的に発現した効果なのだと思う。
おそらくスタッフはここまでワンコ&多部未華子が話を引っ張り、先頭に立って視聴に耐えられると思っていたわけではないだろう。
そしてそれが狙ったものではない、偶然の産物であったからこそ我々視聴者も彼女に十分癒されたと思う。
13係にあれだけの人数がいたにも関わらず、彼女以外に主役を張ることが出来なかった事実を如実に表しているのが、完結後に放送された番外編「デカワンコ ちょっとだけリターンズ」だ。
放送枠上の次作開始までのつなぎとして急きょ作られたらしく、内容は何一つない。
おしゃれしてパリを一人歩きするワンコ(パトラッシュ同伴)が、実に孤高を保つ天使として撮影されている。彼女は愛らしく美しい。
そしてそれ以外の時間は、その他大勢である13係のレギュラーの雑なトークと回想シーンで構成されている。特番として出来が良いとは1ミリも言えないが、これ以外に方法がなかったのだというのは納得する。
それほどに本作はワンコ一枚看板の作品なのだ。
そのワンコとそれを演じた多部未華子について事項で語ろう。
ワンコ=多部未華子の魅力
ここまで書いてきた通り、本作の魅力は何と言ってもワンコのキャラクター性と多部未華子の演技力が全てだ。
多部未華子は本作放送当時22歳、この9年前に女優デビューしているので新人ではないが、本作の2年前放送のNHK連続テレビ小説で主演する以前はそれほどメジャーではなかったようだ。
このデカワンコが民放レギュラー番組初主演だったためか、見る側は演技力にそれほど期待していなかったと思う。本作の設定がそもそも真面目に見る系統の番組ではない、と誰もが認識しているので、油断もあっただろう。正直なところ私も全く期待していなかった。
だが、最終話まで見た人は、おそらく第一話でなんだかよくわからない変な女の子に引き込まれて、以後9週彼女の魅力を見るためだけに見続けたのだと思う。
当然ながら沢村一樹、手越祐也が目的だった視聴者も存在はするだろうが、ごく少数に違いない。
言うなれば本作は全編がワンコの活動日記であり、同時に多部未華子のPV(プロモーションビデオ)だ。
毎回変わる華やかなファッション、変顔、臭いを嗅ぐときのくんくんするしぐさ、独特の語り口調、時折見せる柔らかい表情、それが本作の全てだ。
他のキャラクター、設定、舞台はそれを書くための小道具でしかない。
群像劇でありがちな展開として、他の刑事たちの個性や過去が描かれはする。普通はそれが番組やストーリーに厚みを持たせるのだが、本作ではそれらすら背景であり、ワンコを引き立てるモノでしかない。
言うなれば本作はワンコとその仲間たちのドラマなのだ。
最終回までどこを切ってもデカワンコ
スタッフは全10話中の8話で若干(?)シリアス&連続要素の解決編をやってしまう思い切りの良さを見せる。サブタイトルを「コレって最終回!?」と居直るのも本作ならではの面白さだ。
ずっと引っ張ってきた五十嵐の行動の謎に一応の決着を着け、さて残り2回はどうするのか、と思ったが、ここでもスタッフは妥協しなかった。
9話はなんと警察犬ミハイルを中心にした話に1時間を使い、幻(空想?)という形でミハイルを擬人化している。この男優は2流色が強く、かなり残念な感じではあったが、流れとしては必要な話であり、まさしくデカワンコ的な回であったかもしれない。
そして迎えた最終回、スタッフはどこまでも話を盛り上げない。
冒頭からグダグダの慰安旅行が続き、ちょっとだけ事件もあるが、無論大事件ではない。
シゲのナイフを素手で握るシーンがちょっとグロくてくどい気がするものの、事件は軽く流れていく。だってデカワンコは刑事ものじゃないんだから、という意図が明確だ。
自分が必要とされていないと勘違いしてしょんぼりするワンコ。
予定調和の勘違いであることはミエミエで、幼稚園児ですらドキドキしないような展開だ。
むしろ視聴者はワンコのすね方を楽しみ、どこで笑顔に戻るのかをドM的に待ちわびる。
そして訪れる大団円、最後まで誰も彼女を誘惑せず、彼女自身もイケメンにうっとりすることなどなく、ゴスロリと自慢の嗅覚と刑事魂のみで生きていく。
続編ができることもあるまいが、年齢的にも多部未華子が演じることもないだろう。
この時にしか生まれなかった名作、デカワンコ!フォーエバーである。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)