連続性のおわりに - 竜の眠る星の感想

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竜の眠る星

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キャラクター
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連続性のおわりに

5.05.0
画力
5.0
ストーリー
4.5
キャラクター
5.0
設定
5.0
演出
5.0

目次

連続性

清水玲子には連続性がある。同じ顔で同じ名前で(時には違う名前で)違う作品に、ひょっこり同じキャラクターが出現することがある。

そこには規則性があったり不規則だったり様々であるが『竜の眠る星』でも他作品で登場するキャラクターがいる。ほとんど『カイ』という名で出てくるが、本作では違う。なぜ名前を変えたのか、そこに規則のようなものはあるのかを考えてみた。

本作『竜の眠る星』 はシリアスな物語展開である。この作品の主軸であったモニークは死んでしまうし、惑星も滅びる。作者のファンなら誰しもが知るような『カイ』というキャラクターの名前をぽんと出したら、そこで一気にギャグ化する可能性はある。だから名前を変えたのかなと推測したが、そもそも作者の作品はほとんどがシリアスであるので、ただの気まぐれだったのかもしれない。

そして主人公のジャックとエレナ。彼ら(ヒューマノイドだが、わたしは彼らと呼びたい)はシリーズ物としての作品がかなり存在し、べつの作品に登場することはない。『メタルと花嫁』や『チェンジ』のジャックは、いまのジャックとは髪の色も仕草も多少違うが、どうやら同一人物のようである。マイナーチェンジなんであろう。

エレナは単独での作品はあるが、完全にエレナとして存在している。ただ、舞台がぐっと現代に近づいた近未来ではあるけれど、このふたりを彷彿とさせるキャラクターがいる。
『秘密』の薪剛と青木一行だ。薪が主導権を握り、つねにリードし青木が付き従う関係は、エレナとジャックの関係とまるで同じである。青木は東大出のエリートであるが、少々鈍感であったり妙なところで抜けていたりとドジな部分があり、ジャックがエレナに役立たず扱いされていたことを、これまた連想をさせる。

『秘密』は近未来SFでクライム作品でもあるが、よく考えたら『ジャックとエレナシリーズ』もクライム作品といえる。『秘密』は科学警察内部、『ジャックとエレナシリーズ』は探偵家業と社会的地位はまったく違うが、両作品とも事件を解決する方向で物語が展開をしていく。そしてどちらも長期連載をした(『秘密』は続行中)作品である。この両作品は、まるで双子作品といえるのではないだろうか。『ジャックとエレナシリーズ』はシリーズとして独立したものであったと考えていたが、設定を新たにし現在も作者は連載をしている。『秘密』を読みながら、わたしはそうしたべつの楽しみ方もしている。

投影しているのは?

清水玲子の作品には、しばしば母親が存在する。『竜の眠る星』ではモニークの母。そしてモニークは、母親にそっくりな顔のエレナに恋をする。あまり少女マンガでは見られない展開であるが、清水玲子の作品だとなんとなく納得してしまうから不思議である。


清水玲子は女性を描くのが上手い。『竜の眠る星』ではモニーク、シリーズを通してはルイス。モニークは傷つきながらも明るい健気な少女を。ルイスは強いけれど弱い女性を。作者自身には、よくジャックの似顔を使っている。ちょっと恥ずかしがり屋で奥手な方なのだろうか。けれどストーリー運びや女性描写の奥深さを見ると、百戦錬磨の香りがするし、となかなか興味深く面白い。

当時同じLaLa本誌で描かれていた成田美奈子が言っていたのだが
「キャラクターはすべて自分なんです。キャラクターがすべて合わさると自分になります」
確かに、感情移入ができる余地のない人間の心理描写や行動を予想するのって、思いのほか大変そうだ。
作者がジャックを自己像としたイラストを初めて見たときの衝撃たるや、もういまでも忘れられない。エレナのようになんでもできてしまうスーパーウーマンなのかと思い込んでいたからだ。ただまあ、エレナのような人間だと社会生活は送れないわけで、清水玲子自身が持つ個性のひとつを極端化して作品化しているのは間違いないだろう。

先日NHKに清水玲子がTV出演され、制作工程が撮影されたパートがあり、なかなか面白かった。現在連載をしている『秘密』の作画場面だ。とりわけ興味深く、そして驚いたのは、同じ画の下書きを、三回も描いている作業があったのである。
これは予想外だった。良い意味で、さっと描いてるイメージがあったからである。

デッサン狂いを発見するために、表に一度、裏返しをし裏から表の逆向きになっているイラストのデッサン狂いをチェックし描き直す。そしてまた裏返し、もう一度デッサンのチェックをして描き直す。ほぼ全てのコマで行っているのだ。見ているだけで疲れてしまう行程である。並の集中力では続かないだろう。
仕事柄何人もの漫画家との交流があったが、ここまでやってる人はみたことがない。描き直す人もいるにはいるが、やっても一度くらいである。

この辺がエレナかな、とも思う。これは褒め言葉だが、およそ人間業ではない。仕事のシーンではエレナの面が強くなり、心理描写の巧みさは繊細な人ならではといえる。この辺りはジャックかと。モニークはまだ少女で子供で、母親をずっと恋しがっていた。モニークが作者のなんなのか、この先少し考察してみたい。

安らかな時を

母親に恋するキャラクターは、他の作品にもなんと出てくる。『秘密』のサイドストーリーになり、今度は男性だ。彼は自分の本心を知られる前に母親の元から去る。
そして清水玲子が描く母親の多くは記号化している。無神経な人間ばかりである。娘であったモニークは繊細でとても傷つき自害し果てたが、のちに母である女王はモニークの亡骸とともに心中をし、ある意味ハッピーエンドを迎える。


個人的には『竜の眠る星』はここがクライマックスだったと捉えている。わたしはエレナもジャックも本当に好きだが、本作品はモニークと女王のどうにも歩み寄れない関係というか、運命がメインテーマだった。そこに大量の熱量を感じたのだ。

過去仕事で物作りの現場に携わり、多くの作家と出会ってきた。その中には漫画家もいた。物を産み出す人々は往々にして多弁であることが多く、誰かに何かを伝えたくて仕方がなく、それを形にしたのが作品なのだ、と個人的に思う。

言いたいこと、言わずにおかれぬことが、通常の、つまりわたしたちとは違う人種のように、そこには歴然とした差がある。自分はそうじゃなくてよかったなと、本気で思うことがある。


裡になにがしかのものを抱え苦しみ、浄化させるために苦しみから逃れるために、乗り越えるために作品を描く人のなんと多いことか。もちろん関わった全ての作家と深い話をしたわけではないから憶測には過ぎないが、繊細でない作家など、本当にひとりも存在しなかったのだ。

モニークは、本当にまだほんの子供だ。母親が必要な子供だ。そして、母親に愛されたと思われなかった子供だ。母親の期待に応えるべく、溺れても海ユリを取りに行った哀れないとけない、ただひたすら母親に認めて欲しかった子供なのだ。

人間というのは、実は大人になっても親の愛を恋しがる生き物だそうである。大人になったらもう親なんていなくても生きていけるが、自分を保つためには必要であるらしい。
普通に育てられれば大人になっても親を恋しがるなんてことはないのだが、普通でない場合は話が違う。

これだけ親に対しての希求の話を一度ならず何度も描き(『秘密』の薪も実父が殺人者であるが、薪は父を責めることができなかった)大変恵まれた生育環境というのは、想像が難しい。何度も同じテーマで切り口を変えるのも作者の特徴だ。これも連続性といえるだろう。

人間はなぜか、強いストレスの場所に立ち返るという。犯罪者は現場に戻るというのは、こういうことであるらしい。何度も同じ傷(トラウマ)をみつめたその目には、いったいなにが映っているのだろう。
作中のモニークは、無力で弱い。女王が願えば命すら投げ捨ててしまい、一人で生きていくことも叶わなかった。このモニークは過去、子供だった作者自身の投影であるとわたしは捉えているが、さてどうだろうか。

いつか清水玲子も、作品を描かなくても良い時期が来るだろうか。筆を置くその時は、どうか心安らかな状態でありますように、とファンは祈るだけである。そこに連続性の終わりが、きっとあるはずだ

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