XXXHOLiC 継の感想
無性に
XXXHOLiCを見ると無性に切なくて泣きたい気持ちになる。家族や周りの人に対する接し方を改めて考えさせられるなと。自分より他人を大切にする四月一日。もし四月一日みたいな人が家族や友人だったら、百目鬼のように憤慨するだろうなと思います。現実では口では心配しているようなことをいっていても結局は、自分を良く見せたい、人間関係を円滑にする為な事が殆ど。本当に想っているなら上辺ではなく、その人の為に行動を起こすのが本当に大切に「想う」という事なのだと認識できる、侑子の「切なくて哀しくて愛しい」という台詞が沁みる。台詞とストーリーと音楽の調和が今まで見たアニメの中で個人的に群を抜いている。特に音楽に関しては感情のパラメータのように同調して、自然に感情移入してしまう。
狐と
個人的な癒され2大キャラ、管狐とおでん屋の小狐。四月一日大好きでいざという時頼りになる管狐と照れた顔と仕草が思わず悶える可愛さの小狐。四月一日でなくとも甘やかしたくなる。特に最終話のおでん屋の小狐にお返しのお返しのお返しをしている場面は本当に微笑ましい。お返しの応酬に戸惑う小狐に「うん。でも、嬉しかったから」という四月一日。本当に嬉しくて何か返したいという思いが伝わってくる。非打算的なお返しは心地良く、いつまでも続けば良いなと思わざるを得ない。個人的には座敷わらしとモコナにも非常に癒された。純情でマイナスイオンのような座敷わらしと子生意気だが憎めないモコナ、声も可愛らしくて非常に癒し属性。
四月一日と百目鬼と
仲が良いのか悪いのか、喧嘩して助けて助けられて、兄弟みたいな感じ。向日葵ちゃんがいつも言っている「本当に仲良しだね」という台詞が出る度激しく同意してしまう。素直なのに百目鬼には素直になれなくて、でも感謝の気持ちからお弁当を作って持たせようとする四月一日に「半分づつだな」と言う百目鬼。このシーンがもう、何事においても対等で信頼も痛みも分かち合う二人の関係がとても微笑ましくて、思わず時よ止まれと思ってしまうが、時間が有限である事の良さも悪さもこの作品で深く感じられる。
気づくこと
「起こる事全てに意味がある」、「これは意味があるのではないかという気づき」「何故、と考えること」に意味がある。この遥の台詞がとても気に入っている。物事の意味を考えたり、人の行動の意味を考えることは意識しないとできない。でも考えることでその人のことをもっと知れるのかなと思う。母親に道具のように扱われていたが、母親を守ろうとした子羽。自分の近くにいる事が危険だとわかっていて何も言わなかった向日葵など。明るくて優しい向日葵に隠された悲惨な体質と生い立ちを、大怪我をした四月一日に自ら話すシーンでは、敢えて笑顔で経緯を話している。この回ではいつも以上に四月一日への思いやりを感じた。百目鬼や侑子も含めて四月一日を中心に「幸せになってほしい」と願っているのがとても良い。
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