『BTOOOM!』が見せる現代社会の精神性 ~『バトルロワイアル』との比較を通じて~ - BTOOOM!の感想

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BTOOOM!

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『BTOOOM!』が見せる現代社会の精神性 ~『バトルロワイアル』との比較を通じて~

2.52.5
映像
3.0
ストーリー
2.0
キャラクター
1.5
声優
3.0
音楽
3.5

目次

『バトルロワイアル』と本作の関係性

『BTOOOM!』を語る上でしばし比較対象とされる作品がある。
高見広春著『バトルロワイアル』だ。
地下鉄サリン事件、神戸連続児童殺傷事件といったセンセーショナルな事件が連なり、どこか日本社会がぼんやりした不安に包み込まれた世紀末に本著は出版された。
のちに映画化もされた本著のもたらした社会的反響は大きく、凄惨な少年事件が起これば、ニュース番組によって半ばスケープゴートかの如く槍玉に挙げられるといった光景も見られるほどであった。
ただ、本著が『BTOOOM!』の比較対象とされるのは、このような社会との接続ではなく、本著の作品そのものの構造にある。
その構造とは、いわゆる「デスゲーム」である。
閉ざされた空間に追い込まれた人間たちが、例外なく参加者として生き残りをかけて殺し合いを行う。
一般的に、デスゲームものとされる作品の多くはこういった構造を取ることが多い。そして、『バトルロワイアル』は、こうしたデスゲームの構造を、恐らく、初めて日本のポップカルチャーに分かりやすい形で導入した作品であろう。
デスゲームものを日本のポップカルチャー作品では総じて「バトロワもの」と形容する傾向もあるほどに、『バトルロワイアル』のもたらしたデスゲーム構造は、現代の日本のポップカルチャーにおいて雛形として息づいている。
そして、『バトルロワイアル』の出版から10年の月日を数え、本作『BTOOOM!』の原作の連載がスタートすることになる。

デスゲームに抗う『バトルロワイアル』と、乗る『BTOOOM!』

「バトロワもの」として『バトルロワイアル』と類似したデスゲームシステムを持つ本作であるが、キャラクターの心理、および行動において決定的に異なる点を見ることができる、
それは、デスゲームというシステムに対する姿勢の違いである。さらに言うと、「デスゲームに抗うか、デスゲームに乗るか」の違いに他ならない。
『バトルロワイアル』では、主人公・七原秋也は、デスゲームのシステムそのものに抗うことを目指した。終盤では、デスゲームに"乗った"最大の敵・桐山を下し、抗った者としてデスゲームからの生還を果たす。
一方で、『BTOOOM!』主人公・坂本竜太はどうか。
当初はゲームに巻き込まれたことに動揺を見せ殺し合いを否定するものの、その後、生き抜くことを最優先に置き、場合によっては他人への攻撃も厭わないといった行動を見せるようになる。
七原と坂本の違いを端的に示すと、デスゲームの参加者であるか否か。さらに言えば、デスゲームという構造に抗うか、乗るかの違いなのである。

システムに抗った90年代と、システムの中で戦う新世代

さて、デスゲームに抗った『バトルロワイアル』と、デスゲームに乗った『BTOOOM!』の両作品に生じた違いの要因を、時代性に求めてみよう。
まずは、『バトルロワイアル』の出版された90年代という時代。
若者は社会から逃れるような"自分の生き方"を探すことに躍起になり、コギャルやフリーターといった新たな"生き方"は、この年代に隆盛を迎えることになる。
一方で『BTOOOM!』の生まれた現代、正確には10年代という時代を分析しよう。
若者は社会から逃れるというよりは、いかに社会の枠組みから外れないかを第一に考えるようになる。就職活動を乗り越え、人並みの暮らしを送ることに執着し、異端よりも没個性的を好むような生き方が現代の特徴ではないだろうか。
これらの時代性の違いを見てみると、『バトルロワイアル』は何故システムに抗おうとし、『BTOOOM!』がシステムの中で戦おうとしたかが明らかになる。
これらは、社会に抗おうとした90年代の若者と、社会の中で生きようとする現代の若者の精神性の違いに他ならないのである。
現在人気を集めるデスゲームものとして、『BTOOOM!』の他にも森恒二著『自殺島』があるが、これも、「自殺志願者の集められた島の中でどう生きるか」という、システムの内側、社会の中での生き方に焦点が当てられている作品である。
今後、デスゲームものに新たな動きが見えた時、それは、社会そのものの転換期を示しているのかもしれない。

おわりに

本稿では、『バトルロワイアル』との比較からデスゲームという構造に目を向け、『BTOOOM!』の持つ社会性に迫った。

最後に、本作そのものに対する評価にも簡単に触れておこう。

ここまで取り上げておいて言うのも忍びない気がするが、私は本作に対してあまり高い評価を与えられずにいる。

というのも、本作からは、デスゲームの理不尽さが見えづらいからだ。

デスゲームの参加者は、様々な思い、考え、信仰を抱きながらそれぞれの結末を迎える。

それぞれの抱えるものは多種多様であるが、結末は死に限られる。

この理不尽さが、デスゲームの存在を絶対的なものとし、そのシステムに向き合うキャラクターたちのドラマに深みを与える。

本作でも、登場キャラクターのほとんどが現実世界に対して何らかの問題を抱えており、デスゲームを現実とみなすことに自己の実存を見出すような描写を多々見ることが出来る。

ただ、抱えている問題はキャラクターによって多種多様であるが、現実から逃避してデスゲームに積極的に没入するという構造がどのキャラクターにも一貫されてしまっている。

ほとんどのキャラクターがデスゲームを受け入れ、そのシステムの中で戦うがゆえに、システム自体の理不尽さは見えず、ある種の「能力者バトル」のような単純な展開に留まってしまうのだ。

そうはいっても、本作はまだ原作が連載中である。

今後の展開に期待を寄せつつ、本項の締めとしたい。

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