どこかちょっとノスタルジーな、少年少女の色んな生き方
作者の得意な描写でマニアックにどんどん攻めてくる
作者は数年前に週刊の少年誌で連載を持っていた。しかし少年誌といえば、等身が高めでアクションバリバリの派手な演出が読者に好まれる傾向だろうが、そういう傾向とは逆の傾向にある作者だった。福島鉄平先生の漫画の特徴としては「デフォルメ絵の愛らしさ」「味のある日常描写」と言ったところだろうか。裏を返せば、等身の低い絵が目立つこと、漫画全体の雰囲気に派手さがないこということ。とはいえ、等身の高い絵ももちろん描けるし、作中にバトルシーンや勢いのあるシーンもしっかり出てくる。でもそれは、本来作者の得意とする分野ではなかったように感じる。実際、作者は描き下ろしページで、描きたいと思うものは少年誌では拾ってくれないようなネタだった、描きたいと思って描いた作品(「アマリリス」と同時発売された短篇集「スイミング」に収録されている「月・水・金はスイミング」のこと)では連載が取れなかった、とコメントしている。執筆の舞台を少年誌から青年誌に移したことで、本来得意とするだろう独特でマニアックな話が描けるようになったのだ。同時発売された短篇集のうち、「アマリリス」の主人公はどれもみな幼い子どもたち、年端のいかない少年少女たちだが、「スイミング」はそれに比べて年齢層が少し高い主人公たちの話を収録している。(それに加えて少年誌時代の読み切りも収録)どちらの短篇集も、他の漫画に比べて少々異質な切り口から物語が描かれている。同じテーマ、同じ舞台で他の漫画家が漫画を描いたら、もっと派手に、もっと明るくなった話もあるかもしれない。子どもとはいえ容赦のない現実、淡々とした現実、ちょっとだけ幸福な現実・・・そういった日常の表立たない一部分から切り込んで、素の素材にあえて派手な演出を加えずに、作者は物語として仕立て上げている。
子どもたちが生きる、様々な世界とその後の未来
親に借金の肩代わりにされ男娼として働く男の子、2人で協力して生計を立てている兄弟、山姥と暮らす男の子、孤児院に置いて行かれた貴族落ちの女の子、窮屈な家柄の中で女装に目覚める男の子・・・。彼(彼女)らが各物語の主人公だ。パッとみても、青年誌ならではの生い立ちを持つ主人公たちだ。周囲の大人たちによって不遇な扱いを受ける子どももいれば、家族と喧嘩して心を痛める子どももいる。親に捨てられた子どももいる。けれど、そんな子どもたちも、物語の最後には大体が”そこそこ”幸せに生きている。ハッピーエンドではなく、”そこそこなハッピーエンド”で終わっていることも、作者の漫画の特徴のように感じる。主人公たちの未来は、人並みのステータスよりは少し下かもしれないけど、それでも死ぬことはないだろう暮らしができるくらいの幸せが残っている。それくらいの現実味がある方が、読者の心に残る特徴的な作品になるのではないだろうか。
彼らは子供のようだけど、もう子どもじゃない
短篇集全体を通して、個人的に最も印象的なのは「子どもたちの心理描写」にある。主人公たちは学校に行っている者いない者、小学生から14,15くらいの者などと、年齢にばらつきはあるが、どの子どもたちも皆「どうすれば生きやすい世界に生きることができるのか」を、自分たちなりに悩み、考えていることが分かる。最初は周囲のことが考えられなかった子も、現実に直面して生きることの厳しさを悟り、やがて大人になっていく。子どもたちが、肉体的ではなく精神的に大人になる瞬間が、読んでいて分かる。しかし、それも主人公によってはまちまちで、何かをきっかけに大人になる子もいれば、段々社会というものを経験して大人に変化していく子もいる。ところで、短篇はどれも主人公のモノローグから始まり、作中にも何度かモノローグが出てくる。これは、やがて大人になった主人公が、記憶に残る当時のエピソードを振り返っているかのような表現方法になっている。子どもが主人公なのに、全体を通してどこか背伸びをしていてノスタルジーな雰囲気があるのは、このテクニックのせいなのかもしれない。
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