「君は亀山君の代わりにはなれません」相棒交代の相棒シーズン7
相棒が交代する。相棒シリーズのターニングポイント。
相棒シーズン7は、それまでの相棒「亀山薫」が卒業し、「神戸尊」が加入する、相棒シリーズでも一つのターニングポイントと言えるシーズンだ。
当時、9年続いた右京と亀山コンビが卒業するという事で、ファンの間でも相当物議を醸したことを記憶している。
劇場版も制作され、相棒というシリーズがさらなる飛躍を遂げようとした矢先の交代劇、スタッフの思惑とドラマとしての要請は何だったのか。
一部で言われている水谷氏、寺脇氏の不仲説は一旦置いて置いて、シリーズとして、物語としての主役交代について考えてみたい。
亀山薫の卒業
まずは、亀山の卒業について考えてみる。
シーズン7初回スペシャルは亀山の友人である兼高が殺され、そこから浮き彫りになった発展途上国における支援物資還流の流れを暴くストーリーだ(おまけに瀬戸内米蔵も退場するという驚きもある)。
この事件をきっかけに、亀山自身が警察官として今後も続けていくのか否かという迷いを持ち、第8話、第9話の事件を最後に妻の美和子と共に、兼高が人道支援していた発展途上国サルウィンへ旅立っていく。
卒業回である前後編は細菌兵器でテロを企む犯人との攻防が描かれ、また背後には防衛省の思惑も動くという、最終回として扱っても良い位にスケール感のある良作である。
亀山周りの人間関係が重点的に描かれ、伊丹とのやり取り、土曜ワイド時代当初、右京と亀山の出会いを踏襲したやり取り等、そのどれもがファンにとってグッとくる描写ばかりであった。
特に感染者の中に単独飛び込む亀山が、右京の言葉を信じて防護服を脱ぎ捨てるシーンの「何年、あの人と相棒やってると思ってるんですが」という流れは、これまでの歴史や、相棒という作品自体の思い入れもあり、非常に感動的なシーンであった。
卒業自体も変にしんみりせずあっさりと終わるらしさも、相棒らしい終わり方であると思う。
ただ、卒業の理由についてはやや腑に落ちない所がある。
かつての友人が殺されたとは言え、その意思を継ぐというのはポッと出の設定として急な話過ぎる。
そもそも亀山と友人の物語としては、浅倉禄郎との因縁の方がよっぽどインパクトがあり、物語の集大成としては、そちらを拾う方が盛り上がったのではないか。
また、シーズン6最終回、シーズン7第7話のように、杉下右京の正義のあり方や警察官としてのあり方を問う話しもあり、価値観のすれ違いで相棒同士が分裂する、というような苛烈な決着も一つだったように思う。
しかし、全体的な物語としてはなかなかの良作であった。
バディ物としての限界。
そんな亀山の卒業に見るのは、バディ物としての限界だ。
シリーズ当初は、杉下右京と亀山薫が、知力と体力、論理と情という互いのパーソナリティを補い合う事でドラマを展開していた。
それが段々とシリーズに人気が出ていく中で、右京の描写がマイルドになっていく。
右京にも情が出始め、体力も勝っていき、結果亀山の存在意義が失われていった。
右京と言うキャラクターはずば抜けてハイスペックな知力を兼ね備えているが故、油断するとあらゆる面でスーパーマン的な方向にシフトしがちなキャラクターである。
シーズン5、シーズン6の当たりから、そのバランスが崩れはじめ全体として、亀山が必要なのか、という雰囲気の話しが多くなっていたように思う。
また、この時点で相当な制作話数に上り、ドラマの展開としても、同じキャラクターで続くバディ物してはこの辺りが限界だったのではないかと思う。
新たなシリーズの発展には必要なイベントだった。
右京単独捜査シリーズ
亀山薫が卒業後、翌年の元日スペシャルより、杉下右京1人での相棒が最終回スペシャル「特命」まで繰り広げられる事になる。
仮に「右京単独捜査シリーズ」と呼ぶ事にして、このシリーズは、これまでの「バディ物」としての作りから解放され「探偵 杉下右京」とでも言うような、より探偵もの風の寡作が多く作成された。
それこそ第15話「蜜愛」のような物語は、このキャラクターシフトでこそ出来る話であった事は言うまでもない。
また、相棒のいない枠を埋める為に、ゲストキャラクター含めこれまでにはあまり見られなかった登場人物の組み合わせによる物語が展開され、それらも内容がバラエティーに富んだ要因の一つだ。
右京単独捜査シリーズは、長いシリーズの中でじわじわ固定化されてきた右京というキャラクターをもう一度定義し直すシリーズだったように思う。
そして右京の再定義は、新たな相棒「神戸尊」が登場する最終話で締めくくられる。
杉下右京とはいかなる人物だったか。神戸尊の登場。
シーズンの最終回で遂に新たな相棒、神戸尊が登場する。
新たな相棒が登場するに合わせて、右京の人となり、そして右京自身の行き過ぎた正義が描かれている。
最終回は、右京がとある女性から依頼を受け、山村に単独調査に向かう所から始まり、視聴者は神戸と共に、右京の足取りを追う構造となっている。
物語の中、息子の借金苦に止む無く保険金殺人という犯罪に手を染めてしまった犯人が登場し、右京の容赦ない捜査に追い詰められ、破滅していく様が描かれている。
事件終了後に神戸からも指摘があるが、たまたま右京に見つかってしまったが故に破滅させられてしまう家族、もちろん右京の正義は正しい物の、正義に対して手を抜かない右京の姿勢に右京の異常性を感じる。
これまでも右京はその行き過ぎた正義を危険視されており、シーズン6最終回の小野田官房長の言う「杉下の正義は時に暴走する」はまさにそれである。
ただ、この最終回の凄い所は、そこから一歩推し進め、右京自身が捜査に介入したことで、間接的にではあるが登場人物を死に追いやってしまう事である。
勿論そうなってしまう元凶は犯人はじめ村の人たちの中にあるのだが、右京が来なければ起らなかった事件であり、そういった点では罪深い主人公である。
相棒のような単発の事件物で、主人公自体の存在が揺らいでしまう物語は、やり方によっては視聴者も混乱してしまう。
最終回の描写では、右京の異常性を表現するのに、ギリギリのラインで、しかし「そこまでやるか」という意気込みを感じる。
人気作として、相棒変更という大きなイベントを消化しながら、相棒は新たな地平に突入していく。
人気シリーズとなりながらも、刺激的な挑戦を続ける相棒シリーズの姿勢を表す、そんなシーズンとしてシーズン7の意義は大きい。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)