河合惣一軍曹はホタルになったか
劇場で観たい
この手の戦争映画を劇場で観ることができたら良いのにと思う。日本海の大海原をゆく艦隊や、桜島を眼下に錦江湾を渡る特攻機の列。壮大な音楽と大画面の映像に感動するだろうなと思いつつ、未だに勇気がない。理由のひとつには一緒に映画を観てくれる人がいないからで、戦争映画というとどうしても右翼みたいとか怖いとか重たいとか、一般的に私のような主婦層にはあまりウケないジャンルだ。
かといってひとりで劇場のシートに座り、初っ端から鼻水を啜るのも恥ずかしい。実際に知覧の特効開館へ行った時も、涙をこらえるのに必死で展示の事はよく覚えていない。早い話が自意識過剰なのだ。そんなわけで、この映画も家でひとりの時にアマゾンの動画で観た。史実として智識を得るという姿勢も大切かも知れないが、いつか私も戦争映画を純粋な娯楽として、劇場で映像や音を楽しんでみたい。
純粋な感性で鑑賞したい
脚本と監修は、実際にあの戦時を生きた石原慎太郎氏、そして沖縄県出身の“盟友”である新城 卓監督ということで、はじめから安心して観ていられた。実際どんな映画に仕上がっていようと、あの時代に生を受け、空気を吸った人たちへの敬意は払われて当然ではないかと思う。極端なことをいえば、あの戦争を聖戦として描こうが、逆に国民を不幸の淵に陥れた愚かな負け戦として描こうが、当事者にはその資格があると思う。
氏がかつて東京都知事だった頃の記者会見の様子だったと思うが、幼少時代の思い出として、B29に狙われ死を覚悟したときに、何処からともなく飛来した日本軍の戦闘機が敵機を追い払い、助けてくれた時のエピソードが語られていたのを聞いたことがある。九死に一生を得た当時の少年の目に、銀翼に輝く日の丸がいつまでも消えることのない残像として刻まれたときの心情を、淡々と語っていたのがとても印象的だった。
老知事はあまり多くを語らなかったが、特に感動したとか日本軍の雄姿をカッコいいと思ったとか、そういう感情は湧かなかったと語っていたように記憶している。それで却って、かつてあの時代を実際に生きた少年の感性が、そのまま伝わってきて映像が見えるような気がしたものだった。
私は特に戦争映画を鑑賞する時は、そんな瑞々しい、というかニュートラルな感性が必要だと思うのだ。戦争映画は己の人間感情を刺激して、密かな悦びを楽しむべきものではないと思う。善悪判断や個人の感情を超えて、人間の本質や時代というものをよくよく内観するべきだと感じる。
この映画が発表された当時、世を騒がせた井筒和幸氏のコメントや一連の論争などは論外で、少し前の日本の風潮をよく表した自己憐憫の妄想だという気がした。まず戦争に対する恐怖とか、旧日本軍の大本営がいかに無能だったとか、そういうムズカシイことはひとまず横に置いて、当時の日本人がそれぞれの立場でどんな風にあの戦争を体感していたのか。それを追体験することが、これから真の平和を追求する時代には必要な感性だと思うし、無念の死を遂げた当時の若者への誠の追悼であり、人として最も自然な感謝の形だと思った。
肝心のレビュー
石原氏は実際にトメさんと面識があったとのこと。知覧には、トメさんが生涯を通して特攻隊員らの供養を続け、建立し続けた石灯篭が並んでいた。映画の中でも、身を挺して隊員らに心からのもてなしをしたエピソードがつづられていた。誰がトメさんの立場でも、きっと同じことをしたのだろう。トメさんが切り盛りしていた店は軍指定だったというが、元は一介の町の定食屋の女主人だ。犬死にと知りながら自らの誇りと国や家族の弥栄を願って死んでいった若者たち。その多くは高い教育を受け美しい字を書き、音楽や読書を楽しんだ普通の若者だった。食堂の女主人は、そんな彼らの姿を実際にどんな思いで見つめたのか。知覧の特攻会館で彼女の存在を知った時、そこにとても関心が湧いた。
そんな生前の「英霊」たちの素顔を語る生き証人、鳥濱トメさんの生の証言が脚本家である石原氏の心を動かし、そうして世に出たこの映画は、トメさんの言葉を通して今に蘇った特攻隊員らの想いそのものに違いないと思った。
鳥濱トメさんを演じたのは大女優・岸恵子。上品な顔立ちで大好きな女優だが、欲を言えばこの映画のトメさん役としては、失礼ながら少しキレイ過ぎる印象で残念だった。石原氏の強い要望だったらしい。なぜ田中裕子や賠償千恵子じゃダメだったのか。あの配役によって何を表現したかったのか、質素な生活を強いられながらも慎ましく、堅剛で一途であった当時の日本人の心の美しさであろうか。監督や脚本家の「母」というものに対する思慕の発露ではないかと、どうにも気になってしまった。というわけで私的にはマイナス10点。ついでに、タイトルにもセンスを感じられないのでマイナス20点。
その他の配役に関しては満足して観られた。特に主役の窪塚洋介はハマっているように見えた。、役所広司の息子・橋本一郎も存在感があって良かった。知らなかったが、この映画がデビュー作だったそうだ。
B'zの唄う主題歌「永遠の翼」も、ほどよく軽い感じで良かった。この映画は単なる悲劇ではないのだと思えた。B'zは我々世代にはとても受け入れやすいアーティストだが、真に誰かのために行動するとき、人の心は翼を得てその想いは報われるのだという希望のメッセージが込められた歌詞だそうだ。とても共感できる。メンバーは脚本を読んだのち実際に特攻会館へ足を運んだと知り納得した。あの場に足を踏み入れてこそ心に芽生える、前向きなメッセージ。そんな風に気持ちを切り変えなければ、救われない気持ちなのだ。
河合惣一軍曹はホタルになったのか
隊員たちがトメさんに吐露する心のうちは本当に切ない。人生の未練は断ち切れるとしても、25キロ爆弾もろとも“生きたまま”敵艦に突っ込むという恐怖心は耐え難いものだったに違いない。トメさんは身銭を切って若者に最後のご馳走を振る舞う。最後に食べたいものを食べるという行為は、この世への未練を強くするのではと思ってたが違っていた。隊員にとって「好きなものを食べる」という行為は、それにまつわる沢山の思い出との決別の儀式だった。
戦死したらホタルになって帰って来ますと約束したエピソードで有名な河合軍曹。私は戦没者は全員、成仏されたと信じたいので、河合軍曹もこの世に未練を残してホタルになったとは思わない。季節外れのホタルは、おそらく隊員に戻って来て欲しいと願うトメさんの心が呼び寄せたものだと思う。
隊員たちが咲き誇る桜並木の下で、揃ってにこやかに手を振るシーンは感動的だった。日本戦史の中で最も過酷で無残な時代に生きた若者たちの、仏のような無垢な笑顔にどんな想いを巡らせるかは、映画自体の目線によらず、観る側の感性の問題だろう。戦争を美化することが悪のように言われることがあるが、戦争をいくら美化しようが排斥しようとが、戦争という悲劇は繰り返し社会を襲うのだろうと思う。そして当時の人たちがそうであったように、おそらく一般市民は時代に翻弄されるしかないのだ。
国民が一致団結して非戦を貫いたところで、その先には「亡国」という、死ぬより恐ろしい悲劇が待つのみだ。のちの世の人たちは、いま左翼と呼ばれているような人たちは、そんな時代を何と表現するのだろうか。また同じように祖国の歴史と「戦う」のか、戦うべき祖国が消滅していたら誰に悲しみをぶつけるのか。
死の悲しみと、亡国の悲しみ
特攻隊員たちがトメさんに語った切ないエピソードの中で私が最も哀しかったのは、前川泰之演じる朝鮮半島出身の金山少尉だ。祖国を失い、日本人に疎まれながら日本国のために命を捨てなければならなかった。最期に朝鮮人の心のうた「アリラン」を唄い、朝鮮人として死んでいった。既に存在しない祖国朝鮮の名誉のために、民族の誇りとともに散ったのだ。言葉にならない悲しみと同時に、明日はわが身という気持ちで泣かずにはいられなかった。彼らは民族として劣っていた訳ではない。国を持たなかったので日本という他国で肩身の狭い思いを強いられ、時には人間扱いさえされなかった。国を失うという事はそういうことだ。これこそ、特攻隊員が命を賭しても守りたかったものだ。
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