言葉によるセリフがないアニメ作品
登場人物の考察
唯一、人間の女性として描かれているのが、ファニーというキャラクターです。
ただし、目立つ存在ではありますが、本編を観る限りでは主人公という役割ではありません。ファニーの声優を担当されたのは、井川遙さんで、オープニング曲でも大々的にアピールをさせていました。ファニーという役は、井川遙さんをモチーフにキャラクターデザインされたのかと思いました。しかし、井川遙さん現在は40歳の女優さんであり、美しい女優ではありますが、キャラクターデザイン面における井川遙さんらしさは感じられません。
そして、次に目立つ存在なのが、三日月の顔をした宇宙人、クレセントの存在だと思われます。
三日月という特徴的な形から、大きくギョロっとした目、そして歯を強調した大きな口から、見た目は悪人の様相に感じられます。決して、根っからの悪党ではありませんが、子供っぽくトラブルメーカーです。本編の面白さを構成する上で、クレセントは間違いなくキーマンとして機能しています。「それいけ!アンパンマン」に登場するバイキンマンと印象が重なりますが、時折見せる優しさは、明らかにバイキンマンより内面は善人寄りであることを物語っています。
また、本編の中で存在感が薄いのが、太陽の顔をした宇宙人、コロナだと思われます。
ファニーとコロナが仲良くすることで、クレセントを嫉妬させる為の動機づけをするキャラクターという位置付けが強いのではないでしょうか。
ここで作品タイトル「ファニーペッツ」について、言及していきます。
人間の女性キャラクターであるファニーの名前が入っていますが、その後の「ペッツ」という言葉の方が重要でしょう。
「ペッツ」とは「ペット」の複数系であり、ファニーが飼っている動物を指していると考えられます。しかし、本編では、ファニーは動物を飼っている様子はありませんので、同居している宇宙人の二人、クレセントとコロナを指しているものと考えられます。すなわち、作品タイトルから、本編の主人公の存在を明確に示唆していると考えられるのです。
言葉のない本編
それぞれの登場人物に声があり、声優が担当されていますが、言葉を一切話すことがないのが特徴といえるでしょう。
「うん~」「あぁ」「おぅ~」など、言葉になっていない声で本編が構成されているのです。こういった本編作りというのは、声優さんにとって楽な仕事なのでしょうか。しかし、言葉に頼らないで表現をしなければならないと考えられるのです。言葉のセリフがある一般的なアニメ作品の方が、よほど負担は小さいのではないでしょうか。
短編アニメには分類される作品ですが、1話あたり10分以上の本編時間で構成されている作品です。言葉を用いないのに、これだけの時間のアニメ映像を作れるものだと感心できる作品なのではないでしょうか。
それだけ、新しい試みや取り組みに、チャレンジした意欲作と捉えることができます。
それにより、声優の演技力の高さを求められる作品だったということもできます。また、映像における感情表現の描写も、他のアニメ作品より比重の高いものだったと考えられるのです。
だからこそ、登場人物の中で目立つ役であるクレセントは感情表現のしやすいよう、目と口を大きくキャラクターデザインされたのだと考えられます。
何にチャレンジしたかったのか!?
言葉を封印するというのは、アニメ制作においてはハンデキャップだったことでしょう。
しかし、言葉を封印するハンデを背負うことで、別の目的・目標にチャレンジした作品だったと考えられるのです。そうでなければ、言葉を封印するハンデを背負うことに意味はないでしょう。奇抜さだけを意図して言葉を封印するとは考えられないのです。
本編に言葉がないということは、言葉の壁を越えられる作品ということなのではないでしょうか。
言葉の壁を越える方向には、2つがあるのだと考えられます。
ひとつ目は、まだ言葉を覚えていないお子さんです。「それいけ!アンパンパン」より、さらに幼い年齢層を狙った作品だと考えられるのです。そして、ふたつ目に、海外への輸出や進出を狙ったものだと考えられるのです。言葉の壁が皆無であることで、多くの国々の方が本編の内容を理解することができるでしょう。
そして、マーケットの大きさで考えれば、日本より広い市場である海外輸出を画策した作品と考えた方が自然といえます。現に、3DCGで制作されていることで、同じく3DCGで制作されることの多いディズニーアニメを意識した作品だったと考えられるのです。
今後の作品における展望
すでに制作されて10年が経過した作品であり、現在のところも海外に輸出されたという情報はありません。
まだこの先において、当作品に注目が集まることがあるのかもしれませんが、現状ではそういった気配がありません。海外メディアにおけるアピールや販促が弱いことが挙げられるのかもしれませんが、当初の思惑から外れていると考えて良いのではないでしょうか。
その要因について考えていくと、本編中に暴力シーンが多いことが挙げられます。また、少なくとも、クレセントは数回に渡って死にかけています。そして、「死」そのものをポジティブに描写していることも印象的なのです。クレセントが死にかけることで、視聴者の笑いを誘っている場面があるのです。
これだけ暴力シーンが多い類似性のあるアニメを挙げるのであれば、「トムとジェリー」だと考えられます。トムがボロ雑巾のようになってしまうことが多く、暴力性だけでいえば、「トムとジェリー」の方が上なのかもしれません。
しかし、トムとジェリーの自然界における力関係を考えれば、圧倒的な強者なのは猫であるトムなのです。そして、いつも食べられそうになり、追い掛け回されているのはジェリーなのです。
ジェリーも生き残るために必死になっていると捉えることができます。もちろん、過剰防衛であることも多いです。そして、トムという猫のマヌケさも大きいのだと考えられます。
しかし、当作品のクレセントは、そういった立ち位置のキャラクターではないことから、暴力性だけが目立ってしまうのだと思われます。
日本の笑いにおいて、ボケに対してのツッコミで、相方を叩く場面があります。しかし、他国にはそんな文化はないことから、外国の方から見れば、暴力にしか映らないのかもしれません。すなわち、当作品の笑いや面白さも日本文化が前提となり構成されているのであって、外国では受け入れられないと考えられるのです。
今後の当作品の展開において、海外の注目が集まることで、ひょっとしたら人気がでることもあるのかもしれません。
言葉の壁がないことから、可能性はゼロではないでしょう。一気に海外に浸透していく可能性を秘めた作品だとは考えられます。しかし、日本文化の笑いで構成された内容で、海外ではウケが悪い内容だとも考えられるのです。
本編の面白さを分析
クレセントは、いつもファニーから怒られてしまう役回りといえます。
しかし、毎話、クレセントの感情や行動は怒られるようなものだったのでしょうか。その行動や現象における背景には、ファニーに対しての思いやりや、コロナに対しての嫉妬心という感情が作用していたのではないでしょうか。見方によっては、コロナを偏って可愛がるファニーの行動にも問題があるように感じられるのです。
結果的に、客観的な立場である視聴者の目線からは、怒られるクレセントが気の毒だという感情を抱いた場面も多かったと思うのです。
行動や事象による結果によって、ファニーに怒られる機会の多いクレセントに、視聴者は感情移入してしまうと考えられます。意図的に、そういう方向に仕向けられて制作された内容だといえないでしょうか。
悪気のない行動で、結果的に悪い方向になることでクレセントはファニーに怒られているのです。
悪意があって行動しているのであれば、ファニーに怒られるのは当然です。ファニーに嫌われてしまっても必然だといえるのです。しかし、本編内容における事実においては、クレセントに悪意がないことが多いのです。
クレセントは、間違いなく、損な役回りだと考えられるのです。
だからこそ、客観的な立場で映像をみる視聴者は、クレセントというキャラクターに感情移入してしまうのでしょう。そして、感情移入してしまうと、不思議なもので本編を客観視できなくなってしまうのです。感情移入してしまうと、クレセントというキャラクターを身近なものに感じてしまい、距離が縮まってしまうことで客観視できなくなってしまうのでしょう。
だからこそ、視聴者は自覚していないことが多いと思うのですが、クレセントの行動における背景に注目していくと損な役回りであることは明確です。そういった作品づくりを、制作スタッフが意図的にしていることで、本編の面白さを形成していると考えられるのです。
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