日常生活のなかのカフェとしての存在感 - クーベルチュールの感想

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クーベルチュール

4.504.50
画力
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ストーリー
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キャラクター
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設定
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演出
5.00
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日常生活のなかのカフェとしての存在感

4.54.5
画力
5.0
ストーリー
5.0
キャラクター
4.0
設定
4.0
演出
5.0

目次

自分の家でもちゃんとしたティーカップでお茶を楽しむ

チョコレートの専門店には行ったことあるという人は多いと思います。2月のチョコレートのシーズンにチョコを買いに多いのではないでしょうか。自分にご褒美チョコというのは何とも贅沢なお話しです。末次先生が最初のページに「仕事がはかどらなくて、部屋は散らかって、もうどうしたら??というときに、まずテーブルを片付けて、ちゃんとお茶を淹れることにしています。友達がくれたソーサー付きのきれいなティーカップで桃の紅茶を飲んだりすることが、実はとても大事なことなんだと最近気がつきました。自分の力を底上げしてくれるもの。私にとってチョコレートは実は、その最たるものです」それが物語を描いてもらえるきっかけになったのかなと思います。私もそのひとりの時間を大事にしています。末次先生と一緒で何よりも活力が生まれます。掃除をした後の一杯、緑茶でも紅茶でもなんでもいいのです。お菓子を買ってきても、袋のまま食べないで一度皿に出すと味まで変わってくるような贅沢感が味わえます。それにちゃんとしたティーカップで飲むということが大事です。普通のマグカップよりも自分のモチベーションがアップします。仕事場ではマグカップでないと無理なんだけど、帰ってちょっとゆっくりしたいときは、家でもそんな贅沢な空間を味わってもいいのではないかと思います。子どもと一緒にティータイムというのも楽しみが増えていいと思います。ぱりんとお気に入りのティーカップを割られてもそこは笑顔で、次また新しいティーカップを買えばいい話です。末次先生もそれがよくわかっていて、仕事の合間の息抜きが必要と言われているようです。恋も仕事もガチガチに頑張らなくていいよ。たまにはティーブレイクしてねというときに、この本と紅茶とチョコレートがあれば、自分も漫画のなかの「クーベルチュール」に行った気分になれ、この漫画自体がそんなリラックスしたときに読みたい本の一冊です。

人に大切なサード・プレイス

チョコレート専門店のカフェは、なかなかいかないので、こんなイケメン兄弟が経営するところなら行ってみたいと思わせるカフェです。毎回出てくる女性は、イケメンを目当てではなく、「しかし恋の相手は彼らじゃない」というのがいいです。このカフェは「別空間」癒されに来る女性客でいっぱいです。イケメン+甘いもの=癒されるってわかります。週1回やってきては、癒される。働く女性にとって、それは大事な空間です。彼氏がいなくても友達が一緒じゃなくてもいいのです。ひとりの空間というのを大事にしている瞬間というのを末次先生は描いてくれます。家、職場以外の場所、サード・プレイスが現代の人間には必要と言われています。それを「カフェ」という場所で表現してもらっています。

仕事をするということを考えさせられる

表紙には、クーベルチュールに出てくるその話の主人公が全員集合しています。それが何気なくて、にくい演出です。チョコレート専門店に森田さんという65歳の人が登場する。一瞬、この店には、不似合いなのかなと思いますが、何でも手際よくやる森田さんの姿に一郎と二郎が関心している様子がわかります。さりげないけど、そういう言葉では伝えられないところを上手に絵にして見せる技術がすごいです。「このお店ではいちばん安いチョコでも250円、異世界」と思っている森田さん。一郎さんが聴いている曲がテレサ・テンと知り、余計に二人の存在は謎がいっぱい・・・。ジェネレーションギャップを感じながらも二人のことに興味はなさそうであります。謎を感じながらも森田さんの発見がおもしろい。その発見は、全部私たち読者が知りたかったことなのです。「それでなくても一粒250円以上、ぜいたく品よね~」と思いながらも一郎さんの作業を目で追っている様子がわかります。「そりゃまあ、確かに、確かに・・・」のところで、これだけ手がこんでいるということをわからせてくれます。私たちはどんな工程でチョコレートが出来上がるのかわかりません。溶かして終わりではない!気軽に考えてしまい、ショコラティエさんたち申し訳ありませんでしたと言いたくなるようなたくさんの手作業を得て、チョコレートとしてお店に並ぶのだなと感じさせてくれます。

二郎さんは、インフルエンザで苦しんでいても人への配慮を惜しまない人です。「む、無理ですよ二郎さん。私割烹着姿ですよ」と森田さんが言っているのに「大丈夫・・・大丈夫です。森田さんの割烹着姿は美しい―」「そんなお世辞言ってる場合ですか!?」と言ったところで、お願いしますと言いかけながら電話切れています。ぱっと一郎さんを見ると、ぱっと同じタイミングで余所を向く一郎さんのシーンがおもしろく、人の心の動きをよく考えて行動が伴っています。「でもうち夏でつぶれたらイヤだなあ・・・」という一郎さんのつぶやきを最初に聞いていたから、割烹着姿でカウンターに立ってくれる森田さん。「キャラキャラしててもこのへんの子はみんなうちの駄菓子を食べてた子だ。バカねぇ。世界が違うなんて。私もまただれかと繋がれるかしら・・・?」そう考えている森田さんがとても素敵できらきら輝いて見えます。働く人は、何て美しいのだろうと思えてしまう。一郎さんがテンパリングしている姿も、二郎さんの笑顔を絶やさない接客も、森田さんの手際よくお掃除をやってしまう姿、どれをとってもひとつのお店が存続するのには必要なものです。

森田さんの「一郎さんはどうしてチョコ屋さんになったんですか?」という問いに「たまたまマドレーヌ寺院を見にいったんです。すごく大きな寺院で、昼間で観光地なのに、中は暗くてろうそくの光しかない祈りの空間。どっかの観光客がフラッシュをたいたんです。そしたら、一瞬だけ天井に絵が見えた。一面の重厚な絵―。真っ暗な中に見られても見られなくても関係なく在る。決めたんです。極められるものがひとつなら、チョコレートにしよう。茶色い面しか見えないけど、深い中身をおれも込めようって」それをお話として考えつくのがすごいなぁと思いました。世界が違う。それはマドレーヌ寺院を実際に見にいかないと、フラッシュで一瞬天井を見れる状況でないと描けない一コマなのではないかなと思います。自分の極められるものって何だろう。本当にひとつでいいのだと思います。たったひとつを自分のなかに極めることができれば、成功した人と言えるのではないかなと思いました。

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