黒のブーツが似合うシンデレラストーリー - 悲しみよさようならの感想

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悲しみよさようなら

4.504.50
映像
4.00
脚本
4.00
キャスト
5.00
音楽
4.00
演出
3.00
感想数
1
観た人
1

黒のブーツが似合うシンデレラストーリー

4.54.5
映像
4.0
脚本
4.0
キャスト
5.0
音楽
4.0
演出
3.0

(主人公、ディンキー=ウィノナ・ライダーのインパクト) ボサボサのヘアースタイルに、ボロボロの黒い服装を身にまとい、黒目がちの大きな瞳でにらみつける――。このちょっと猫背の不思議な美少女は誰なのだろう?深夜にたまたま観ていたテレビで流れていた「悲しみよさようなら」。冒頭からその一人の少女から目が離せなくなった。結局、眠たい目をこすりながら最後まで観たのを覚えている。以来、主人公・ディンキーを演じるウィノナ・ライダーの作品を観ないではいられなくなった。ウィノナ作品は、これ以外に印象に残っている作品はいくつかあるが、この映画もその中の1本で繰り返し観ている。  ウィノナ本人のもつ清潔感と、美しく幼い顔に似合わない毒気のある言葉。そしてエンディングで見せた晴れやかな笑顔。どの場面をとってもウィノナの印象が強い。といってもウィノナファンだけが楽しめる映画になっているわけではない。あまりにその身なりのインパクトが強すぎるから、まずそちらに目が行きがちだが、シンプルに物語を追っていくと、皆が好きな要素がところどころに組み込まれている。  まず、ディンキーは孤児であり、その独特な服装と頭の良さからくる生意気な態度によって学校内で一人ぼっちになってしまう。学食を食べているときに、ゴミを投げられるなどいじめにあっているように見えても、本人が気にする素振りは見せないが。これはティーンエイジャーの学園映画には欠かせない。おまけに近隣の人々からも変わり者扱いされ、嫌われてしまう。この都会にはない、密な人間関係と閉鎖的な環境もアメリカの田舎町が舞台の映画ではよく見られる。  そしてそんな嫌われ者でも学校の美少年、ジェラルドは好意を寄せるようになる。好きの対象がウィノナでなかったら、「なんでこんなクラスの人気者が不潔な子を好きになるのか?」と思ってしまいそうだが、ウィノナだと「まぁ好きになるかもね」と妙に納得してしまう。このイケメンが冴えない女の子に恋してしまうというストーリーも恋愛映画――特に少女マンガ原作では王道といえる。 ディンキーもまたジェラルドを意識し出し、乱れていた髪をくしでとかすようになるなど、少しずつ身なりを整えるようになりエンディングでは美しいドレス姿を見せる。真っ黒な衣装から鮮やかなピンク色のドレスへのギャップも印象的だ。ただし、このドレスは彼に見せるために着たわけではないが。   このストーリーだと最後はハッピーエンドだし、自分で自分の殻を破ることも一種のシンデレラストーリーのように見えなくはない。恋愛物語としても成立している。  ただし、この映画はそのストーリーともう一つ別な物語が同時進行しており、こちらの物語がメーンだ。 (最後まで見られなかったもう一人の主人公、ロキシー)舞台となっている片田舎から出た大スター、ロキシー・カーマイケルがもう一つの物語の主人公になっている。  ある日、故郷にロキシーが帰ることになり、町の人々はその姿を見ようと期待感であふれる。ただ、このロキシー、最初から最後まで一度も顔を見せてはくれない。顔から下のグラマラスな体型しか映してくれていないのだ。そのロキシーにまつわる話が伝説ともなって全編通して出てくるのに、である。加えて、スターとしてだけではなく女性としても魅力的に描かれている。ディンキーをはじめ、町の人々の落胆と共に観客も「見たかった」とがっくり肩を落とすことになる。「見たい」、「知りたい」という欲求は誰でもあるはず。にもかかわらずこの映画は最後の最後までその欲求を叶えてくれなかった。と同時にディンキーの望み通りにもならず、エンディング間近になって喪失感に包み込まれる。  普通であったら救いのない映画に終わってしまうところだ。しかし、この映画のタイトルを思い出してほしい。「悲しみにさようなら」だ。実は、似たようなタイトルの映画や音楽があるし、ストレート過ぎてこの映画の雰囲気には合っていないような気がしていた。しかし、エンディングをわかりやすく表しているとは思う。 話を戻す。タイトル通り悲しいことはあったけれど、それに「さようなら」ができているのだ。その救いのないさようならを救ってくれたのは、同時進行していたもう一つの物語だ。このシンデレラストーリーとも、恋愛物ともともれる物語が、ハッピーエンドにしてくれている。ディンキーも、彼女に好意を寄せるジェラルドも観客も笑顔にしてくれるのだ。 (3人の優しき味方)ディンキーが殻を破ったのはもちろん、登場人物それぞれが少しずつ変化した様子が描かれているのもうれしい。数少ないディンキーの味方である3人の人物がそう。ジェラルドとロキシーの元夫のデントン、女教師のエリザベスだ。周りがディンキーに対して冷たいだけに、3人それぞれの優しさが際立つし、心に染みる。孤児であるディンキーだけれど、見守ってくれている人がいてくれているのがうれしい。「ディンキーに優しくしてくれてありがとう」と感謝の言葉さえ言いたくなってくる。  デントンのディンキーを気遣う言葉や優しい眼差しにホロりとし、エリザベスのディンキーにかける言葉を聞くと、「こんな先生が自分にもいたらなあ」と思うほどその親身さが身にしみる。ジェラルドはあんなに美しい顔なのに、ディンキーのために、歯の矯正器をつけてニカッと笑うシーンも披露してしまう。  ディンキー=ウィノナのインパクトと、ロキシー・カーマイケルという一人の大スターの神秘性、そして2人を取り巻く2つの物語の絶妙なバランス。「悲しみよさようなら」はそのバランスによってうまく一人の少女の成長が描かれている。でもただの成長物語としてきれいなままで終わっていないのは、ディンキーがドレス姿になったとき、彼女の足元には美しいハイヒールなどではなく、彼女がいつもはいていた黒色のブーツを見たとき。王道のシンデレラストーリーのように、きれいなガラスの靴ではなく、ディンキーらしさを示すかのように、アンバランスなブーツがその映画全体の作品性を表しているように感じた。

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